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009話『二人の旅路』


 [ グラニアム地方 ~ エニズマ平野 ]


 陽光が垂直より降り注ぐ時刻まで休息を採ったサダューインとラキリエルは、旅籠屋の一階で営業している食堂兼酒場で数日分の食糧と補助用の鞍(サイドサドル)を購入した。

 地方と地方を跨ぐ商人や冒険者の往来が活発だからこそ、自然な流れで旅の必需品ともいえる品々を取り揃えており、旅籠屋にとって宿泊費以外の重要な収入源となっているのだ。


 そうして必要な物資を買い揃えてから、二人と一頭はエペ街道を北上してグラニアム地方へと移っていく。



 サダューインの駆る黒馬の速度はノイシュリーベの愛馬ほどには至らないものの、走りは静かで持久力に優れている。

 二人の人間が乗り、その荷物を積んでも些かも常足の速度が落ちる様子を見せないタフさが強みであった。


 手綱を操るサダューインの前方に追加された補助用の鞍(サイドサドル)に横乗りの状態で密着しながら相乗りする形となったラキリエルは、移り変わる地方の景色に見入っていた。


 昼過ぎに発ち、夏前の程好い陽気を浴びながら街道を進み続けること数刻。やがて黄昏時へと至り橙色に染まる草花はどこか哀愁と神秘さを滲ませて映り始める。

 海底都市で生まれ育ったラキリエルにとっては、陸の上でゆっくりと目にするもの全てが新鮮に感じるに違いない。



「綺麗ですね……優雅でいて、誰のものでもない厳しさを兼ねた美しさを感じます」


 微風に揺れる草花、点在する樹木、飛び交う小さな虫。遠方には雄大な山々が並び、見上げた空の先……ナーペリア海側には城のような積乱雲が漂っている。

 その一つ一つに対し、感嘆の溜息とともに笑顔を浮かべながら所感を零すラキリエル。そんな彼女の様子を手綱を握るサダューインは優し気な眼差しで眺めていた。



「そう感じてもらえるなら嬉しいよ。大領主となった姉上も、きっと誇らしく思うことだろうね」



「姉上……そういえば、あの時 わたくしを助けに来てくださった騎士様達を率いておられたのがサダューイン様のお姉様だったのですよね。

 大領主様自ら駆け付けてくださるなんて……」



「ふふっ、姉上は昔から自分が率先して動かないと気が済まない性格だからね。

 騎士見習い時代も、ああやって周囲の者の度肝を抜くような行動力を発揮していたそうだ。

 それもこれも"偉大なる騎士"……とか云われている父上のような存在でありたいと願っておられるせいなのだが」


 父親に対してはなにか思うところがあるのか、或いは認められない部分があるのか、僅かに言い淀んだのをラキリエルは察した。


 

「勿論、大領主自らが危険に身を晒すことを訝しむ意見は多く出ているし、俺もそう思っている。

 しかし姉上としては自分の信念は曲げられないし、大領主を継いだばかりの身ということもあって、騎士や兵士とともに現場を駆けることで、領民に顔を覚えてもらい親近感を懐かせたいという思惑があるそうだ」


 姉のことを語るサダューインの面貌はどこか誇らしく、同時に寂し気な雰囲気を含有させていた。



「お姉様と仲がよろしいのですね」



「……いいや、最近は言葉を交わすどころか顔を合わす機会すらなくてね。

 実際のところ俺と会っても、その度に口論になるばかりだよ」



 ほぼ完全に日が落ち宵闇の帳が掛かり始めた空を見上げ、遠い目をしながら嘯く。同時に鞄から魔具製の提灯(ランタン)を取り出して、己が歩む道を照らしてみせた。

 その言葉の節々には姉に対する尊敬の念と同時に、ある種の憤りを滲ませている。並々ならぬ因縁と確執が姉弟の間で熟成されていることを暗に語っているようだ。


 外様であるラキリエルは、この場ではそれを追求するような真似は控えた。



「そうでしたか……何も知らずに不躾なことを申してしまいました」



「気にしないでくれ! 俺達が少々 拗らせ過ぎているだけの問題だからね。

 それよりも、このまま北上していけばこの辺りで一番大きな農村が見えてくる。

 充分な数の宿泊所があった筈だから今日はそこで一泊しよう」


 万が一の悪漢達の追走を警戒して昼過ぎから強行軍を強いてしまった。

 なるべく早く目的地であるヴィートボルグを目指すことに越したことはないが、ラキリエルの体力を鑑みるならば適度に休息を挟む必要があるだろう。



「お気遣い、ありがとうございます。

 すべてサダューイン様のご判断に委ねます、好いようになさってください」


 道中で小さい村々を幾つか通り過ぎた後にサダューインが宣言した通りに大規模なライ麦畑が視界に入り、やがて小作人達の棲み処へと辿り着く。村以上、町未満といったところだろうか。


 農村の周囲は立派な木柵で守られており、水堀とまではいかないものの、それなりの深さの小川で囲われている。

 入り口には篝火が焚かれており、槍と革鎧で武装した見張りの兵士と思しき者達の姿があった。



「ご苦労。日没後の来訪で済まないが、"私"はエデルギウス家の遣いの者だ」


 懐よりエデルギウス家の紋章……黄金の樹木と騎士剣が刻まれた鞘入りの短剣を見せる。

 この場では大領主の弟ではなく、密使の一人と偽って振舞おうという算段だ。


「訳有ってこの付近に立ち寄る使命を仰せつかっており、本日はこの村で一泊したいと考えている。

 出入りを禁ずる時刻にあると承知しているが、通していただけないか?」 


 紋章の刻まれた短剣はエデルギウス家のために働く一部の者に与えらえる身分証と通行証を兼ねており、グレミィル半島内に於いては、あらゆる関所や夜間の市町村への出入りを可能とする効力がある。



「!? これはこれは……大領主様の一族のお使者様とあらば、

 お通ししない道理はありません」


 紋章を検めた番兵が目を見開き、すぐに開門の指示を出してくれた。大きな農村を守る兵士だからこそ、密使が身分を明かすことへの重要性を理解している。

 僅か数秒の間のみ門が開き、二人を乗せた黒馬が滑り込むように村へと入った。



「お使者様の村内での行動に口出しする気はございませんが、

 どうか中央の建物……この村の救護院には今はあまり近寄らないでください」



「……実は数日前に、北東の宿場街で謎の瘴気が噴出して落盤事故が起こり、

 多くの炭鉱夫達に負傷者が出たのです」


 番兵の一人が意味有り気な口調で警告を発し、もう一人が補足する。



「なんでも落盤による直接の負傷に加えて、噴き出した瘴気の影響で皮膚の一部が紫色に変色する奇妙な症状が出たのだとか。

 件の宿場街の救護院にも運び込まれたそうなのですが、人数が多くて収容しきれなくなり、一部の者達がこの村に運び込まれました。

 農村を管理する立場の方々も突然の状況なためか、判断に困っておられます」


「皮膚が変色した患者もこの村の救護院に移送されておりますので、

 お使者様の身の安全のためにも不用意に近寄らないほうが賢明かと」

 


「何だって? そのような話は届いていなかったが……私が城塞都市を発った後にでも起こったことだろうか。

 ともあれ、報せてくれてありがとう。ささやかだが、これは礼だ。なにかあったら都度よろしく頼む」


 短剣を懐に仕舞い、代わりに取り出したエディン硬貨を番兵に手渡す。

 驚いた表情を浮かべる彼等を後目に、自らは馬を降りて手綱を引きラキリエルを宿泊所まで先導した。




「あの、サダューイン様……先ほどのお話なのですが」


 宿泊所に辿り着き、馬舎に黒馬を停めて宿泊の手続きを一通り済ませる。

 食堂で遅めの夕食を注文し終えたころ、ラキリエルが躊躇いつつも口を開いた。



「ああ、ここより北東の宿場街といえばザンディナム銀鉱山に併設する形で栄えた場所のことだと思う」


 鞄から地図を取り出し、宿泊街の位置を指で示してみせる。そこは東側を海峡、西側を小規模な山脈によって挟まれた土地。

 その特異な土地柄から採掘した鉱石類は海峡経由の水路で運搬していくことでグレミィル半島の内外に資源を行き渡らせている要地でもある。

 


「あそこは魔物が多く棲息しているがグラニアム地方の重要な財源の一つでもあるから常に一定数の警備の者が駐在しているし、

 炭鉱夫を含めた定住者を相手に商売をする商人や冒険者も多い。

 したがって救護院と治癒術の使い手の数もそれなり以上には揃っていて、患者が炙れるなんてことは滅多にあり得ない筈なんだけどね」


 温め直されたであろう料理の数々が届く。ライ麦パンに豆と鶏肉のシチュー、そしてセルボワーズのセットという、この辺りの農村部の宿で提供される定番メニューといった組み合わせである。


 セルボワーズはどろっとして濁った液体で、いわゆるエールの原型であり酒精よりも原材料の香りが強く漂ってくる。

 栄養価が豊富であるために、日中に過酷な肉体労働に勤しむ者が多いザンディム周辺では昔からよく愛飲されていた。

 注文すればエールも提供してくれるのだが、追手を警戒しながら城塞都市ヴィートボルグを目指す最中であるがために、酔いを楽しむのは今は控えるべきだと判断したのだ。



「ありがとう、美味しくいただかせてもらうよ」


 料理を運んできた若い女性の給仕にお礼の言葉とともに笑顔を傾け、手当が入った麻袋を手渡す。するとなにやら軽く燥ぎながら厨房のほうへと戻っていった。


 半島の統治を担うグラニアム地方とはいえ、城塞都市から離れた場所にある片田舎の農村ではサダューインのような美丈夫を目にする機会は非常に乏しい。

 そんな彼から笑顔と手当を渡されたのだ、若い女性であれば燥ぐなというほうが無理な話である。



「……手馴れておられますね」



「エデルギウス家の一員として、正統に働く領民には能う限り労ってあげたいと考えているからね……どうかしたかな?」


 無意識のうちにか、僅かに拗ねるような仕草を見せるラキリエルであったが、当のサダューインは柳の如く受け流しつつ真っ当そうな返答を返した。



「いえ、何でもございません……。話を戻しますが、もし治療を行う者の手が足りないというのであれば、微力ですがお役に立てるかもしれません。

 これでも故郷では海神龍様の御力とご威光を示すべく、癒しの秘術を用いて都民の救済を担っておりました」



「そうか、それは心強いし ありがたい申し出だ。

 実のところ番兵が言っていた患者の症状も気掛かりだったし、近寄るなとは言われたが後で様子を見に足を運ぼうかと考えていたところだった」


 ラキリエルの体力は気掛かりであるが海底都市で暮らしていた者が扱う治療魔法というのは、貪欲に知識を欲するサダューインにとって実に興味深いものであった。


 

「じゃあ、これを食べ終えたら一緒に行ってくれるかな?」



「はい、喜んでお供いたします!

 ……海神龍様の思し召しと、この地で糧となりて巡る生命達に心より感謝いたします。どうか蒼角の果てで再びお会いしましょう」


 元気よく答えると、ラキリエルは両手で相掌しながら今晩の食事にありつけることに対する感謝の祈りを奉じた。

 その後、幾らかの談笑を二人で交えながら食事を共にすることで、旅で疲れた肉体に幾許かの活力を蘇らせる。


 ライ麦パンは素朴で雑味が強く、粗目の粉のせいか ぼそぼそとした食感が気になってしまうが、この地方のライ麦自体の質が良いため滋養を感じられる。

 それをシチューにたっぷりと浸しながら時間をかけて平らげつつ、セルボワーズで流し込んでいくのだ。

 



「こほっ……こほっ……。この飲み物、思っていたよりも喉に詰まりますね」



「ああ、セルボワーズは作り手や地方の風習によって粒度がまるで異なるからね。

 ふむ……これは飲み物というより固形物を蕩かした代物といったところか。

 口に合わないようなら残してくれていい」



「いえ! 予想外の口当たりだったので少し驚いてしまいましたけど、

 これはこれで海底都市では味わえなかった新鮮な体験で楽しいのです!」



「なら良かった。ヴィートボルグまでは幾つかの村に立ち寄ることになると思うから、行く先々の料理を少しでも楽しんでくれたら嬉しく思うよ」


 片やグレミィル侯爵の身内の者、片や海底都市で高位の神職に就いていた者。

 二人とも高い身分に在る者同士であったが、庶民と同じ物を口にすることへの抵抗は全くといっていいほど感じていない様子であった。


・第9話を読んで下さり、いつもありがとうございます。

・サダューインという男がどういった人物であるのか、じっくりと描いていきたいと考えていますので、ヒロインであるラキリエルとともに見守っていただけると嬉しく思います。

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