007話『裏拍-其は足元に這い寄る濁り水』(5)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
「……あの」
暴風の如き一幕が終わり、再び貧民街に湿気た静寂が訪れる。
それまで物陰に隠れていた少年が恐る恐る顔を出してきた。
否、少年だけではなかった。それまで遠巻きに様子を窺っていた他の住人達も、ぽつぽつと顔を出しては騒動の起こった区画を見詰めていたのだ。
「今の連中って、最近この辺りでデカい顔してた奴の取り巻きだよな……」
「ベルなんとかっていうギルドの……それを、こんなにあっさりと……」
手練れの三人組に襲われたにも関わらず、見事に撃退したノイシュリーベに向ける視線には、警戒よりも畏怖と称賛の色合いが濃くなったような気がした。
「その足できちんと隠れていたのね、偉いわ。
でも貴方達の塒を台無しにしちゃって申し訳ないわね」
戦闘の余波により、木片やボロ布を寄せ集めた住処は無残にも吹き飛ばされてしまっていた。
一見するとゴミの塊のようだが、彼等にとっては雨風を凌ぐための大事な砦。
住処すら失えば、更に悲惨な生活を送る羽目になってしまう。
「くっ……!」
そのことでノイシュリーベを責めるように睨み付ける者も居た。
だが言葉には出さない。自分達がなにを訴えようと絶対に勝てない、逆らえないのだと心底理解しているからだ。
「(お父様なら……昔の私なら、こんな時どうしていたかしら……)」
様々な視線を一身に浴びたノイシュリーベは、黙して瞑り、考え込む。
彼等を路傍の石として切り捨てることは簡単だ。
さっさとこの場を離れたとしても、グレミィル半島全体の統治には大した影響はないだろう。
むしろ早急に城塞都市ヴィートボルグに帰還して警邏隊を動かすべきだ。
然るべき戦力を投じて貧民街に巣食う悪漢達を一掃し、セオドラ卿との因果関係を精査する方が有益な結果に繋がるかもしれない……だが、しかし。
「(……そういうのは、私が歩いていく路じゃないわよね)」
竜巻を解除した細剣を鞘に納めながら、周囲を見渡した。
そして付近一帯に響き渡らせるために凛とした声で住人達に向けて告げる。
「先程の戦いで住処が壊れた者は、今この場で申し出なさい。
弁済として当座を凌げるだけの銀貨を差し出すわ!」
「な、なんだって……」
「あの姉ちゃん、何を言い出すんだ」
「それから『偽翡翠』に罹った者で、まだ立ち上がることができる者は
この街の救護院を訪ねなさい!」
「それは……無理だよ。
何人も救護院には駆け込もうとしたけど、皆 門前払いされた」
「そうだそうだ、俺達みたいな『偽翡翠』に罹った底辺の人間を受け入れると
街のお偉いさん達に怒られるんだってさ……」
「……そう、根回しでもしているのかしらね」
救護院とは、都市や村ごとに運営されている公の施設である。
元々は大陸を統括する"主"を奉る宗教組織が、布教の場として各地に建てたもので、孤児の保護や病人の治療、読み書きなどの学習の場を兼ねていた。
しかしラナリア皇国では時代が下るにつれて"主"を信奉する者が数を減らし、前述する宗教組織の影響力が著しく低下。
その結果、施設を維持することが難しくなったので各都市の貴族ないし皇王府が救護院を接収して独自に運営しているのであった。
「(今の救護院の方針は、その土地の有力者によって大きく左右されるわ)
(あのセオドラ卿が公正に門戸を開くわけはない……か)」
テルペス宮殿で面会した、肥え太った男の醜悪な姿が脳裏を過ぎる。
次に、貧者が姿を消した市中の光景を思い出す。
「だったら大領主の権限で貴方達を受け入れさせるように掛け合ってみるわ!
そして『偽翡翠』の進行を遅らせる魔具を、この都市の救護院に届けさせる」
「大領主の……権限? あんた、いったい何者なんだ……」
眼前の女性が只者ではないということは、既にこの少年も理解していた。
しかし容易く行政の方針にまで口を出せるような存在であったなど、露にも思わなかったのである。
「そういえば、私としたことが名乗り損ねていたかしら」
先程の戦闘の最中に、素性を隠しておくための外套は失われた。
であれば今更、名を告げずに立ち去ったところで大した違いはない。
むしろ堂々と言い放ってやろう、無鉄砲だった幼少の頃と同じように。
「私の名は、ノイシュリーベ・エデルギウス・グレミィル!」
声高々に、朗々と己の名を告げた。
騎士名のファルと、『森の民』としての名であるシドラは、今この場では必要が無いので省いている。
「このグレミィル半島を治めるエデルギウス家の当主よ。
今は訳あって貴方達の塒にお邪魔することになったけど、
用事が終わったらすぐに出ていくから安心しなさい」
眼前の、呪詛や病や貧困で苦しむ者達を直ちに救うことは出来ない。
しかし、己の持つ権限を駆使すれば多少の改善くらいは押し通せるだろう。
「少し時間は掛かるかもしれないけど、先刻の約束は必ず果たすわ。
だから早まった真似だけはしないで頂戴」
身分に甘えた施しと言われれば、それまでのことかもしれない。
だが、この都市の有力者達の意向によって彼等が救護院を利用できない状況を覆すことは決して悪手ではない筈なのだ。
余りにも堂々と言い放つ彼女を前にして、住民達はただ頷くばかりであった。
「(解呪の目途が立たない限り、本当の意味で彼等を救うことは出来ないけれど)
(見て見ぬふりをして『偽翡翠』が蔓延し続けるのが一番拙い状況よ……)」
その後、ノイシュリーベは住処を壊された者達への弁済に着手した。
幾らか持ち歩いていた銀貨入りの革袋を惜しまずに配って回る。
返り討ちにした男の遺体は、港湾都市の警邏隊に連絡して後処理を任せた。
そうして彼女が貧民街を後にする頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。
「残りの二人は取り逃してしまったけど、収穫は大きかったわね。
……状況としては、決して褒められたものではないけれど」
貧民街を闊歩する冒険者崩れの男達とセオドラ卿の繋がり。
『偽翡翠』という呼び名で浸透しているほどには、呪詛が蔓延していること。
これまでノイシュリーベが知り得なかったことばかりである。
やるべきことがまた少し増えてしまったが、今代の大領主として歩むべき路の輪郭が、少しずつ明確になり始めた気がした。
【Result】
・第7話の5節目を読んで下さり、ありがとうございました!
長かった第7話もこれで一区切りとなりますが、如何だったでしょうか?
・本日は夜19:10頃にもう1話、第8話を投稿する予定ですので、もし良ければそちらもご覧いただければ幸いです。
そして明日の朝、いつもの7:10頃より投稿予定の第9話からはサダューインのパートを予定しております。




