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007話『裏拍-其は足元に這い寄る濁り水』(4)

・(2025.11.04)加筆修正を行いました。


「いったい何処から湧いてきたのかしらね……だけど、良かったわ」


 背後から近寄って来た者達は貧民街の奥部で暮らしている者達とは異なり生命力に満ち溢れているようであった。

 少なくとも健康状態には問題は無く、確りとした足取りであると感じられた。



「……冒険者か、もしくは冒険者崩れの悪漢といったところね。

 ここには居ないんじゃないかと諦めかけていたところだった」


 臆する様子もなく立ち上がったノイシュリーベは、背後を振り返りながら声を掛けてきた者達を睨み据えた。そこには破落戸(ごろつき)よりは幾らか上等な身形をした三人組の男性が下卑た表情と薄ら笑いを浮かべながら佇んでいる。



「うっ……こいつ、ただのボンボンじゃねーな」


「ああ、明らかにこの辺の住人とは毛色が違うぜ」


 被衣(フード)の奥より垣間見える彼女の眼光は、騎士として鍛え抜かれたものであり相対する者を貫くような鋭さを宿していた。

 三人組の中で最も背の低い男は思わず辟易(たじ)ろぎ、身を竦ませてしまう。



「……つーかよ、もしかして ここの市長が捉えろって言ってた奴じゃねえの?

 ノイシュなんとかっていう貴族だとか」


「確かに、背丈や目の色は情報と一致している。

 ということは、この外套(マント)の中身はエルフの女ってことか」


 それぞれが所感を語り合う。彼等の様子から察するに、向こうもノイシュリーベの足取りを辿って貧民街に踏み込んで来たようだ。




「市長が捉えろって言っていた、か……絵に描いたような能無しの屑ね」


 昨日の今日どころか、先刻の今で来訪した大領主を捉えようとするとは、どこまで短絡的なだろうか。

 確かに面会の場では彼女もセオドラ卿を煽るような詰問を何度も行ったかもしれないが、それにしたとて考え無しが過ぎるというものだ。



「(もしくは、ここで大領主である私を亡き者にしたとしても困らないほどの)

 (強大な協力者なり、後ろ盾がセオドラ卿に付いているということかしら?)」


 いずれにせよ、そんな大事を本人の前で容易く漏らした三人組に対しても、侮蔑を通り越して憐憫の情すら感じてしまった。

 或いは、そのようなやり取りを今日まで続けてこれたほど、セオドラ卿達はこの都市で好き放題やってきたということなのだろう。



「ねぇ、立って走れる?」


 (うずくま)ったまま怯える少年に問い掛ける。少年は震えながら首を横に振り、己の足……結晶化した部位を指差した。



「わかった。じゃあ少し荒事になるから、なるべく離れた場所に逃れていなさい」


 三人組……おそらく身形からして冒険者崩れの武芸者達に自ら近寄り、少しでも少年に被害が及ばないような心配りをする。

 それを見た悪漢の一人、先頭を歩いていた黒髪の男が腰に帯びていた蛮刀を抜き放ち、下卑た笑みのまま言葉を投げてくる。



「コイツが本当にノイシュなんとかって奴なのなら、大当たりだ!

 うちのお頭達を退けたって話だからな……さぞや、お強いんだろうぜ」


「いやいやいや、お頭と闘り合った奴相手に俺達が勝てるのか?」


「……街道での戦いでは、全身甲冑を着込んだ上で騎乗していたと聞く。

 だが今は主武装も持っていない状態だ。幾らでもやりようはあるだろう」



「(……どうやら『ベルガンクス』の別動隊といったところかしらね)」


 彼等がいう「お頭」とは十中八九、ノイシュリーベがエペ街道で一騎打ち勝負を演じた『ベルガンクス』のバランガロンのことだろうと察した。

 同時に、彼等にこれといって負傷箇所が見当たらないことから、あの乱戦には参加しておらず都市の近くで待機していた仲間か何かではないと推測を立てる。



 果たしてその考えは正鵠を射ていた。


 ノイシュリーベは知る由も無いことだが、彼等はラキリエル達がもしエーデルダリアに逃げ込んだ際に、都市内で捕えるべく待ち伏せをしていた伏兵達。

 故に、五体満足のまま朝を迎えたがために市町からの追加依頼を受け、こうしてノイシュリーベの捜索と捕縛に赴いたというわけであった。



「ここでとっ捕まえりゃ市長とお頭の二人から、たんまり褒美が貰えるだろうぜ」


「へっ、まずは面を拝ませてもらいたいもんだな。

 噂によれば、ドえらい別嬪だっていう話だ」


「……無駄な抵抗はするな、こちらも悪戯に体力を消耗するのは本意ではない」



「黙りなさい、下郎!」


 被衣(フード)を捲ろうと伸ばしてきた腕を、ばしん! と平手で叩いて祓うと、そのまま細剣の柄へと掌を添えた。



「はんっ! そんな細い剣だけで俺達三人と()ろうってのかよ?」


「お前さんは騎士としちゃ まあまあやるって話だが、所詮は馬と鎧と槍が

 全部揃っていればの話なんだってな……市長がそう言っていたぜ」


「満足な装備がなければエルフの膂力など多寡が知れている。

 魔法を詠唱させる隙さえ与えなければ、どうとでもなるだろう」


 後ろの悪漢二人もそれぞれの得物を抜き放つ。それぞれ片手斧と短剣、蛮刀を構える黒髪もそうだが、全員がそれなりに取り回しの良い武器を好んでいる。

 無駄な装飾は見当たらず、実用性を第一に考えた選択なのだろう。態度と頭は残念だが実力と場数の豊富さだけは確かなようであった。



「御託はいいわ。

 そろそろ耳障りだし、正統な反撃行為としてその舌を切り裂いてあげる」


 細剣を抜き放つ。然れど、其れは鋼鉄の刃に非ず。薄く透き通った宝石の如き結晶を研いだかのような代物であった。

 数合と打ち合えば容易く砕けてしまいそうな、儚くも美しい結晶刃……実戦用ではなく儀礼や儀式の場で用いる刀剣といった風情である。



「ぎゃははは! そんな見た目だけの剣でやり合おうっていうのかよ」


「こいつはとんだ馬鹿貴族もいたもんだぜ!

 もしかして、あの市長よりもボンクラなのかもな!」



「だが妖精結晶は高く売れる。身柄はギルド長か市長に突き出すとして、

 あの剣は戦利品として俺達が確保してしまおう」


 口々に好き勝手なことを言い合いながら哄笑する悪漢達だが目元だけは笑っていない。罵倒しながらも眼前の細剣の真価を測り兼ねているのであろう。

 例えば刀剣型の魔具である可能性だ。彼等が「お頭」と呼ぶ者も、そういった得物を振るっているだけに彼等はその恐ろしさを知悉していた。



「(黙って武器だけ振るっていれば、それなりの武人ではあるのでしょうに……)」


 右掌で細剣を握り締め、右脚を前に出して半身に構える。重心は身体の中央で維持したまま、仮に三方に別れて襲撃されたとしても対応できるように備えた。

 同時に、隙あらばいつでも相手の喉首を貫けるよう細剣の穂先と視線による牽制も欠かさない。その構えは猫科の猛獣を彷彿とさせる。


 数の不利にも動じる素振りを見せないノイシュリーベに対して、悪漢達は哄笑を止めて頭を切り替え、それぞれが臨戦態勢へと入っていく。



「一丁前に構えやがって、生意気な女だぜ」


 最初に動いたのは黒髪の悪漢。手にした蛮刀を諸手で握り、一旦 肩で担ぐようにして構えながら無造作に距離を詰めつつ横薙ぎに大きく振り被る。

 膂力は十二分、当たれば並の肉体であれば骨ごと断ち切られることだろう。華奢な上に甲冑を着ていないノイシュリーベならば万に一つとて耐えられる筈もない。


 だが、鈍い。大振りである分を加味したとしても、武芸の鍛錬を積んだ者同士の戦いであれば容易く太刀筋を読まれて避けられる程度の粗雑さだ。


 わざわざ打ち合う必要もないとばかりにノイシュリーベは軽く後方に身を引くことで避けて対処しようとした。

 しかし蛮刀の刃が空を切る直前にて、なんと太刀筋が拡張したのだった。



「……ッ!」


 異変に気付くと同時に深く身を屈め、予想外に伸びてきた蛮刀を寸前のところで避ける。

 その代償として纏っていた外套がズタズタに引き裂かれてしまい、衆目を惹いて余りある彼女の美しき面貌と、エルフ種の中でも高貴な血筋の者のみが持つ真珠の如き銀輝の髪が露わとなった。



「……へっ、ボンボンにしてはやるじゃねえか」


「おいおいアッシュよぅ! なーに躱されてやがんだ。

 クロッカス姐さんが今のを見てたら後でみっちりとオシオキされるぞ」


「そう言うなって、ただの偶然かもしれないだろ!

 それに……見て見ろよ、こりゃ思ってたより上玉だぜ」


「ああ、お頭達にそのまま渡してちゃ勿体ない。

 死なない程度に痛めつけてから、お楽しみと洒落込もうぜ!」


「私は妖精結晶さえ手に入るなら、後はどうでも良い」


 必殺の一刀を初見で躱されて唸る黒髪。そんな彼を煽りつつノイシュリーベの容姿を目にして改めて下卑た笑みを浮かべる片手斧の悪漢。

 短剣を持つ悪漢だけは至極 冷静な分析と立ち回りを維持し続けている。


 三者三様に反応はバラバラであったが、今の攻防を経て彼等の放つ雰囲気からは相手を舐めて掛かる気配が完全に消え失せていた。



「二度目の偶然は起きねえぜ! いくぞ、お前ら!」


 再び黒髪が蛮刀を横薙ぎに振るい、短剣を持つ悪漢が素早くノイシュリーベの右側面へと移動しながら得物を投擲。

 片手斧の悪漢だけはその場を動かなかったが、彼の役割は後詰として一拍置く形で待機しているに過ぎない。




「『――纏え、尖風(フェル・ヴィンタル)』!」


 視線だけで悪漢達の動きを追いつつ、至極短い詠唱にて風魔法を唱えた。

 すると何処からともなく激しい勢いで風が流れ込み、細剣に纏わり付かせることで刀身が小さな竜巻と化す。



「ていっ!」


 眼前の黒髪に対して一歩踏み出し、細剣による鋭い刺突を繰り出す。

 横薙ぎに振るわれた蛮刀と十字を描くように交差して克ち合う形となる。


 双方の質量と膂力を鑑みれば、比べるまでもなくノイシュリーベの細剣の方が圧し折られるのが道理。

 然れど、刀身に纏った竜巻によって蛮刀の質量に圧されることはなく、そればかりか逆に風の齎す反発力が相手の得物を弾き飛ばしてしまったのだ。


 続けて、即座に細剣を引き戻しては右側面から飛来する短剣を打ち払う。こちらも結晶状の儚い刀身には一切触れさせることはなく、短剣のみを明後日の方角へと吹き飛ばした。



「チッ、なんだこの風!? 魔具というわけじゃなさそうだが……」


「動きながら魔法を唱えるだと……これだからエルフという生き物は度し難い」


 丸腰となって悪態を吐いた黒髪へ歩を詰めて刺突を繰り出す。狙いは心臓。

 一突きで仕留める算段であったが相手も場慣れしている為か、咄嗟に左腕を突き出して即死を免れようとした。



「うぎゃあああ!!」


 細剣が黒髪の左腕を貫き、続けて刀身に纏わせていた竜巻による螺旋の刃が、腕の血肉を無残にも磨り潰し、削ぎ落していく。

 これには流石の場慣れした悪漢とて堪らず悲鳴を挙げて蹲り、戦意を失った。



「手前ぇ!!」


 ここでようやく、片手斧を持って後詰として控えていた悪漢が迫り、仲間を救出するべく首筋狙いの袈裟懸けの一打を繰り出してきた。

 生かしたまま捕えるという当初の目的と余裕は既に失っている。


 全身のバネを駆使して刺突を繰り出した直後であったがために、ノイシュリーベは直ぐに迎え撃つことが出来ない。

 故に真向からは打ち合わず、総身を左斜め後方へ捻らせつつ、その場で旋回。迫り来る悪漢の軸足へ鋭い後ろ回し蹴りを放って体勢を崩すことで、片手斧の太刀筋を狂わせることでやり過ごした。



「(……私がもし一般的な男性の騎士と同じ体格と体重だったら)

 (今の蹴りで相手の脚の骨の一本や二本は砕けてるんでしょうけどね)」


 矮躯に加えて致命的に膂力と体重が足りないノイシュリーベの体術では、幾ら素晴らしき技の冴えを披露しても先刻のように体勢を崩すのが関の山なのである。

 これまでの人生で嫌というほどに味わってきた、己に足りないものを噛みしめながら若き大領主は細剣を振るう。




「……でぇぇい!」



「……ッ!!?」


 袈裟懸けに一閃。刀身ではなく纏った竜巻によって片手斧を振るった悪漢の胸部が容赦なく斬り裂かれ、叫び声を挙げる間も無くその場に頽れる。




「手前ぇ! よくも俺達の仲間を!」


「……落ち着け。あの風を纏った剣はあまりにも危険過ぎる。

 俺達だけで敵う相手じゃない、退却した方が良いだろう」


 それを見咎めた黒髪と、短剣を放った悪漢達は互いに目配せしながら、細く狭い路地の一角へと逃れようとしていた。



「畜生、あのブタ市長め! 女 一人とっ捕まえて報酬が一千エディンなんて

 話が美味すぎると思ったわけだぜ。とんだ化け物じゃねーか」


「……奴を捕えるのなら、クロッカス様を連れて来なければならない」


 意味深な捨て台詞を発しながら短剣を投擲してきた悪漢が姿を消し、次いで黒髪のほうも竜巻で抉り割かれた左腕に手持ちの布を巻き付けて応急処置を施しながら

路地を伝って何処かへと逃げ果す。

 追走するという選択肢もあったが、どう考えても地の利は向こう側にある。闇雲に追い駆けているうちに増援を呼ばれて取り囲まれる可能性を危惧した。



「……また賊徒を獲り逃すなんて、最近は冴えない戦果ばかりね」


 不慣れな場所で装備は不十分、おまけに昨晩から戦い続けて疲弊している。

 そんな状態でも怪我することなく撃退に成功した上に、想定外の情報も獲得したのだから決して悪い結果ではない。

 しかしながらノイシュリーベにとってはあくまで不出来な戦果だと感じていた。


 父ベルナルドであれば、このような状況でも悪漢を取り逃すような失態は有り得ないだろうという、ある種の崇拝に近い想いがどうしても付き纏ってしまうのだ。


・第7話の4節目を読んで下さり、ありがとうございました!

・メインウェポンが斧槍(ハルバード)のノイシュリーベが細剣で戦う貴重な回となります。

 本文中にもありますが今回使った細剣は儀礼用または儀式用の代物で、

 武器として見るなら剣というよりは短杖に近い性質となっています。

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