006話『隠された歯車』
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
[ グラニアム地方 ~ 南端の旅籠屋『祈月亭』 ]
「二人分の保存食を……そうだな、取り敢えず三日分だけいただこうか。
あまり荷物が嵩張り過ぎて速度が出なくなっては本末転倒だからな」
「まいどあり! 鞍と併せて直ぐに用意させますんで馬舎で待っていてください」
陽光が真上より降り注ぐ時刻まで休息を採っていたサダューインとラキリエルは旅籠屋の一階で営業している食堂兼酒場で数日分の食糧と補助用の鞍を購入することにした。
地方と地方を跨ぐ商人や冒険者の往来が活発だからこそ、旅の必需品ともいえる品々を自然と取り揃えるようになったという。
旅籠屋にとって、今では宿泊費以外の重要な収入源となっていた。
「ありがとう。これは代金と……ほんの気持ちだよ」
「……ッ! こ、こんなに!」
「くれぐれも、俺達が此処を訪れたことは他の者に漏らさないように願いたい」
必要な物資を買い揃え、その代価と手当……にしては少々、大袈裟な金額を手渡してやった。言うまでもなく口封じも兼ねている。
「(もしかして、物凄い家のお坊ちゃんだったのか?!)」
こくこくと何度も首を縦に振りながら手当を受け取る従業員。
詮索好きな彼であったが、余計なことに首を突っ込む気概はないらしい。
「待たせたね。購入した荷をリジルに……俺の黒馬に積み次第、此処を発つ」
入口の扉を開けて建物の外に出ると、既に支度を整えて待っていたラキリエルが何処か遠くを静かに見据えながら佇んでいた。
「察するに、亡くなった君の従者のことを考えていたのかな?」
「サダューイン様! ……はい、その通りです。
わたくし達が襲撃を受けた場所は、どちらの方角になるのでしょうか」
「エルディア地方のエペ街道だから……こっちかな」
現在の位置より南南東を示してみせると、ラキリエルは静かに頭を下げてお礼の言葉を述べてから、その方角へと向き直り合掌した。
「我が従者にして海底都市の勇ましき衛兵ツェルナー……。
これまで本当に……本当に、感謝いたします。
貴方の導きがなければ、わたくしは此処まで来れなかったことでしょう」
目を瞑り、能う限りの真心を籠めて亡き従者へ哀悼の意を表する。
昨晩行った略式の祈りではなく、正式な作法に則っての所作であった。
厳しい逃亡生活の中、離れた土地で暮らすエデルギウス家に亡命を願い出て、段取りを整えられたのも全て彼の類稀なる手腕と献身あってこそのものだった。
海底都市より共に脱した最後の同胞であり恩人に、長い長い祈りを捧げた。
「…………」
そんな彼女の様子をサダューインは、ただ黙って見守り続けた。
「(あの従者達と共に過ごした時間を思い返しながら)
(死した肉体より、魂が真っ当に巡ることを祈っているんだろうな)」
本心を言えば、一刻も早くヴィートボルグへ向けて出発したいところではある。
さりとて傷付いた心を懸命に整理しようとする彼女の行いを阻めるほど、サダューインは冷血漢ではなかった。
暫くしてラキリエルが合掌を解き、目を開いて力なく項垂れる。
「申し訳ございません、随分と時間を掛けてしまいました」
「いいや、どうか君が納得するまで労ってあげるといい。
従者への別れは決して疎かにするべきではないからね……」
そう口にするサダューインの表情も何処か憂いを帯びていた。
或いは彼も、過去に大切な従者や部下を喪った経験があるのだろう。
「ありがとうございます。
……これで、わたくしは本当にひとりぼっちになってしまったのですね」
整理を付けた筈なのに、ラキリエルの心は再び悲しみに支配され始めた。
久しぶりにまともな食事と睡眠を取り、心身ともに落ち着いたからこそ、自分が置かれている現状が重く圧し掛かってきたのだろう。
「……これからは彼に代わり、俺達が君を守り抜く。
その悲しみに伏した顔も、瞳に浮かべた涙も、この掌で必ず払ってみせよう」
そっと彼女の目元に左掌を伸ばし、零れかけた涙を拭ってみせる。
そのまま左腕で包み込むようにして、ラキリエルを抱き締めた。
「うぅ……サダューイン様……」
彼から伝わる真摯な想いと熱い体温によって、またしてもラキリエルの心は凍て付く寸前で留まることが出来た。
最早、何の躊躇や疑いもなく、その逞しき左腕に包まれる。
「今までありがとう、ツェルナー……そして さようなら。
わたくしは新たな路を、この脚で歩き続けてみせます」
「……」
「どうか貴方の魂も、正しく巡って新たな路を歩めますように……」
そうして祈りを済ませた彼女達は、城塞都市ヴィートボルグへ向けて静かにノールエペ街道を進み始めた。
[ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア テルペス宮殿 ]
エーデルダリアの行政の中枢を担う、テルペス宮殿。
グレミィル半島が旧イングレス王国に属していたころから現存する建物であり、元々は王族の別荘として建てられたという。
同じくラナリア皇国の属領となったトネリスナ帝国……現トネリスナ領との国交が盛んであった時代に、その優雅で開放的な様式を取り入れた経緯を持つ。
建物内では都市に流入する船舶、ヒト、荷物、情報などを管轄しており、市民の声や、周辺地域から流れてきた溢れ者の処理に至るまで、幅広く対応している。
また冒険者統括機構傘下の各冒険者ギルドや職人組合、各宗教組織との交渉や協議の場としても、この建物が重要な役割を果たしていた。
文字通り、港湾都市の頭脳であり心臓。
都市の規模からしてエルディア地方の顔であり、地方全域に多大な影響力を及ぼしているのである。
そんなテルペス宮殿の敷地内の最奥には、専用の中庭を備えた豪奢な部屋が存在し、歴代の市長を務めた人物達の執務室となっていた。
[ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア テルペス宮殿の執務室 ]
「あの小娘がァ! 言いたい放題に言いおって!!!」
市長を務めるセオドラ卿こと、バルゲルク・セオドラ子爵は激昂していた。
原因はつい先刻、来訪した若き大領主……ノイシュリーベとの面談である。
「自分達が討伐した連中の死体の処理を押し付けてきただけでなく、
市中を行き交う住人層に不自然な偏りが見られるだの、いちいち煩いわい」
面談により溜まった鬱憤を晴らそうと、何度も執務机を叩いて怒鳴り散らす。
齢にして五十を過ぎた男としては褒められた振る舞いではないし、贅沢な暮らしを経て肥え太った肉体は醜悪さを際立たせていた……。
「しかも儂と、場末の冒険者共が繋がっていることを探るかのような口振り……。
勘の鋭さはベルナルドのクソ野郎譲りだな! まったくもって忌々しい!」
「貴殿が裏で糸を引いているのは紛れもない事実でしょう。
……先代の大領主ベルナルド殿とは、何かと確執があったそうですね」
執務室に設けられた窓扉の外、バルコニーより男性と思しき者の声が響く。
セオドラ卿とは対照的に至極 落ち着いた様子で、口調は冷淡であった。
彼はノイシュリーベとセオドラ卿が面談している間も近くに控えていた。
尤も、目撃されることを避けるために意図的に身を隠していたようだ。
「貴殿も、彼も、元々はこの半島で領地を持つ貴族家の出身だったとか。
そして貴殿の御父上は、先々代の大領主を務めておられたのでしたっけ?」
「……よくご存じですなぁ。
流石は"水爵"として名を馳せるボルトディクス公爵閣下のお墨付き。
我々、グレミィルの『人の民』の事情も全て筒抜けというわけだ」
苛立ちを露わとしつつも、客人を遇する最低限の節度を保ちながら返答する。
バルゲルク・セオドラは腐っても為政者である。
醜悪とはいえ長年に渡りエーデルダリアの市長でいられたのは、ただ家柄に恵まれているだけではない。
「然様、我がセオドラ家は代々に渡り大領主の座にあった誉れ高き家系!
対してあの小娘の父親……ベルナルドの生家であるエデルギウス家は
グラニアム地方に矮小な領地を持つだけの、男爵家に過ぎなかったのだ」
グレミィル半島が旧イングレス王国の一部であった時代から、半島の中央に位置する城塞都市ヴィートボルグは統治を行うための場であり、嘗て大領主であったセオドラ"伯爵"家が代々に渡り君臨していたのである。
「だというのに! ベルナルドめは戦に乗じた狡い立ち振る舞いを続けて
王族達に取り入り、南域防衛軍の総司令の座を簒奪しおったのです」
「ははぁ……」
「そして終戦後は特例の昇爵を果たした挙句、我がセオドラ家を蹴落として
グレミィル半島の統治者に抜擢されおった卑しい男ですわい!」
「(逆恨みもいい所だな……まあ、この男にとっては さぞ屈辱だったのだろう)」
バルコニーに佇む男性は、率直な所感を抱くも口には出さない。
これ以上セオドラ卿を激昂させて血管が破裂しないよう言葉を選ぶことにした。
「それはそれは、貴殿の憤りは察して余りある。
地位と領地の大部分は奪われ、爵位でも並ばれてしまったというわけですな」
「ぐぬぬぅぅ……」
実際には、ラナリア皇国陸軍の侵攻当時に南域防衛軍の指揮を執ることを恐れた高位貴族達が次々と王命を辞退する中、ベルナルドだけが最前線に立った。
当時のバルゲルク・セオドラと、その父親も早々にヴィートボルグを見限り、旧イングレス王国の首都ゲヘンナムにある別邸へと避難してしまっていた。
その結果、終戦後に指揮放棄の責を問われたセオドラ家は伯爵から子爵へ降格。
領地の一部と大領主の座を失ったというわけだ。
「そして英雄ベルナルドが病に倒れた後も、貴方達が日の目を見ることはなく
臣下や民の支持を得たノイシュリーベ殿が新たな大領主となった……と」
「よりにもよってベルナルドの子供、しかも薄汚い亜人の血を引く小娘なんぞに
上から指図されることになるなど末代までの恥!!
今の地位を甘んじて受け入れたままでは、セオドラ家の面目が立たんのです」
彼より上の世代にとって『森の民』は忌むべき害獣に等しい存在であった。
故に『森の民』の一角であるエルフ種を母に持ち、その容姿を色濃く継いだノイシュリーベに対しても拭いきれぬ嫌悪感を抱いているのである。
二重三重に積み重なった怨嗟。
バルゲルク・セオドラの憤りは、計り知れない領域にまで達しているのだ。
先程のノイシュリーベとの面談を表向きは平穏に終わらせたことは、彼にとって最大限の忍耐を発揮したといえるかもしれない。
「……いずれにせよ、斯様な確執があるのでしたら
貴殿が悪漢達を雇って極秘裏に使役していることを彼女に看破されてしまうと
それなり以上に拙いことになりそうですね」
バルコニーに立つ男性が溜息交じりに零す。
若輩者とはいえノイシュリーベとて愚鈍ではない。セオドラ卿側の立場や感情の一端くらいは察しているだろうから、少なからず警戒や疑念を抱いた筈だ。
「貴殿の行いが明るみになれば、"水爵"様の計画にも支障が生じる危険性がある。
私共としては、それが最も手痛い懸念事項ですね」
「ぬぅぅ……儂の昇爵と、セオドラ家が大領主の座に返り咲くためにも
ボルトディクス公爵閣下の計画成就は必須。そのために彼と手を組んだのだ!」
再びセオドラ卿が拳を振り上げる。そして執務机に向けて叩き付けようとしたところで、はっとした表情を浮かべたまま硬直した。
「そうだ! こんなところで、じたばたせずに直ぐに手を打っておかねば!
奴がエーデルダリアを離れる前に仕掛ければ間に合いましょうな。
……少しばかり席を外させていただきますぞ」
椅子から立ち上がって執務室より飛び出すと、ドスドスと重い足音を鳴り響かせながら何処かへ出ていってしまった。
「やれやれ、醜悪な俗物というのは実に見るに堪えないな」
一人、取り残された男性が再び溜息を吐く。
「巫女様がハルモレシアから持ち出された秘宝……『灼熔の心臓』を
一刻も早く"水爵"様にお届けしなければならないというのに。
この分では、暫くあの俗物と顔を合わせ続けることになりそうだ」
主人の去った執務室へ向けて、厳しい目を向けながら嘯いた。
セオドラ卿の頭脳で何を思い付いたのかは定かではないが、彼が有効な手立てを即座に打てるような器量を持ち合わせているとは思えない。
逆に虎の尾を踏む結果を招く恐れもあり、そうなればセオドラ卿の尻拭いを受け持つ羽目になるだろう。
「あの街道での乱戦の最中、巫女様が取り込んだ『灼熔の心臓』を分離して
救援に駆け付けた騎士達を『灰煙』から救うために使用して下さっていれば
今頃は容易に奪取して、晴れて"水爵"様の元に帰還していたのだがな」
しかし、その目論見は見事に外れてしまった。
"灰煙卿"グプタの大魔術……その気になれば町一つを壊死させ得るほどの業を防ぐ手段と判断力をノイシュリーベが持ち合わせていたからである。
尤も、それ以前の問題として巫女であるラキリエルの身柄は大領主の弟であるサダューインが鮮やかに連れ去ってしまっていたのだが。
「エデルギウス家のノイシュリーベと、その弟のサダューイン。
私としたことが、聊か以上に過小評価をし過ぎていたということか」
背後を振り向き、港湾都市の潮騒と海風を苦々しく眺めながら呟いた。
角眼鏡の縁をくいっと押し上げ、今後の予定を再検討し始める。
「巫女様……ラキリエルが、もし城塞都市ヴィートボルグに入ったとしたら
『灼熔の心臓』を奪う機会は格段に減る……厄介なことだ」
彼の容姿は、薄い黄金色の髪を後梳に纏めた几帳面そうな青年。
即ち、悪漢達に真っ先に殺害された筈の従者ツェルナーであった。
ただしラキリエルの従者として振る舞っていた時のような、白と紺を基調とした衣装を身に纏ってはいない
今の彼は、海底都市を滅ぼしたラナリア皇国海洋軍の軍服を着用していた……。
「或いは、先に各都市の住民達を結晶化させることを優先するべきか」
【Result】
・第6話を読んで下さり、ありがとうございました。
従者ツェルナーの再登場ということで
彼と、彼の裏に控える人物の暗躍ぶりにご期待いただければ幸いです。




