another epilogue
まだ数話つづきますので、最後までお付き合いいただけましたら幸いです……!
七英雄の末裔が揃ったその世代と、さらに前後にわたる数世代。
後世のレオメル史において、数多の才に満ちた少年少女で溢れた一時代として語られる黄金期である。
それほどの世代が連続する中にあって、特に秀でた才を持った努力家の少女がいた。
ネム・アルティア。魔道具の神と呼ばれる存在を祖先に持つ彼女は、まさしくその神に挑む資格を持つ少女だった。
帝都に立つアルティア英爵家が屋敷、巨大な工房の最奥で。
まだ、先の騒動から間もない日のことだった。
「――――」
横幅十メイル以上もある大きな机の上は資料と魔道具、それにペンやぐしゃぐしゃに丸められた紙が乱雑に置かれていた。
机に向かうネムが、羊皮紙に滑らせた自身の文字を目で追った。
「もしかして……」
繰り返し見て、食い入るほどに見て……。
積み上げられた本の中から、強引に一冊を引っ張り出して確認した。
同じことを二度、三度と繰り返した彼女は、偉大な祖先が残した羊皮紙、彼女が生成法と定めていたそれを見つめた。
「これ――――だったんだ」
少女はいま、魔道具の神がたどり着いた領域へと足先を踏み入れた。
何かに気づいた瞬間、少女は工房を飛び出した。
調べ事と研究つづきで髪なんかぼさぼさで、英爵令嬢というにはほど遠い身だしなみ。
が、そんなのは関係なかった。
屋敷へとつづく庭園を駆ける彼女を見て、給仕は声を上げた。
「お嬢様! どうされたのですか!?」
「ごめんね! いまからちょっと人と会ってこないといけないから!」
あの方は確か、今日は学院に行っているはず。
大講堂の状況を確かめなければならないのだ、とアルティア家の現当主たちが話していたのをネムは耳にしている。
学院までは貴族街からそう遠くない。魔導列車より馬に乗ったほうが早く着くくらいだ。だから馬に乗って城下町を駆けたのだが、世界最大の都の貴族街を馬で駆けていくというのは目立ちすぎる。
きっと帰宅したら父や母にこっぴどく叱られるだろうけれど、ネムはまったく気にならなかった。
――――しばらくして学院の校門前に着くと、ネムは普段のようには敷地内へ入らず、守衛がいる建物へと寄って馬を頼んだ。
彼女は次に呼吸を整えながら、あの騒動の中心の一つ……大講堂に向かう。
いまなお惨状の痕が鮮明に残される様子が見えてくるにつれ、心が痛みをもよおした。
でも、足は止めない。いままでになく胸が大きく拍動を繰り返すのを感じながら、近づきつつある大講堂を視界に収める。
大講堂の中にいると思っていた者の姿は、大講堂の外にあった。
彼は壁を背に、どこか遠くを眺めていたのだ。彼はネムに気が付くと、ネムに顔を向けることなく言った。
「何をしに来た」
冷たい声音ではなかったが、歓迎しているような声音でもない。
彼――――ラディウス・ヴィン・レオメル皇太子は、なおもネムに顔を向けようとしなかった。
「皇太子殿下と話をしに来たんです」
「またにしてくれ。いまはそういう気分になれない」
「いいえ。いま、ネムと話してください」
彼女の声が終わると同時に、彼女は顔を向けてさえくれないラディウスから計り知れない圧を向けられた。
しかしネムは引かず、さらに歩を進めてラディウスとの距離を詰めた。
「アシュトン君がいまどこにいるのか、ご存じでしたら教えてください」
「もう一度言う。いまは話をする気分じゃない」
皇太子の涼しげな表情はそのままだった。だが、彼はそこに覇気を忍ばせ、出直してくれという意志をネムに届ける。
しかし、ネムはまた一歩前へ。
「ネムはいま、ミリム・アルティアの末裔としての誇りを懸けてここにいるんです。だからどうか、話を聞いてください」
七大英爵家の人間がその言葉を口にすることの意味は大きい。
ネムの決意は勝ち、ついにラディウスは顔を向けた。
そうしてようやく、ネムの強い気持ちの存在に気付く。それはラディウスがにべもなく対話を拒絶しようとした自分を恥じ入るほど、純粋で気高い。
「レンがどこにいるのか、だったか」
「……いえ、それだけじゃありません。リシアちゃんのために、蝕み姫のことも教えてほしいんです」
その言葉は重い。
あることを知ったラディウスにとって、それがレンにも深く関わっていることは言うまでもないからだ。
ラディウスはネムの真意を探ろうと、目と目を合わせて問いかけた。
「何を知った、ネム・アルティア」
「リシアちゃんために必要なことです、皇太子殿下」
それは蝕み姫とアシュトン家の関係というよりは、別のことのようだった。
いまのネムの口ぶりからそう感じながら、強烈な迷いに駆られたラディウスはなおもネムを見定めようとしていた。
「これを見てください」
余計な話は不要。
ネムは乱暴に折りたたまれた羊皮紙を懐から取り出すと、腕を突き出すようにしてラディウスに手渡した。
再びの覚悟を前にして、ラディウスは声を落とした。
「……先ほどはすまなかった」
「……いいえ。ネムだって、急すぎました」
ラディウスはそれから羊皮紙を開いた。
数秒経ち、彼は目を見開く。
数十秒経ち、彼はまっすぐにネムを見た。
「エレンディルで過ごしている白の聖女のために。だから、蝕み姫なのか」
「はい」
もう一度、ネムは願う。
「お願いです。アシュトン君がどこにいるのか教えてください」
◇ ◇ ◇ ◇
風。
大時計台の頂上にある庭園へつづく扉が、いまゆっくりと開かれた。
外へ出たのはラディウスとネムの二人だった。彼らは屋上庭園を見回すと、端の手すりに身体を預けた少年の姿を見る。
彼は二人の来訪を受けて顔を向けた。
「二人が一緒にいるなんて、珍しいかも」
レン・アシュトン。
彼の落ち着いた声と表情に迎えられたネムが一度大きく息を吸い、ここに足を運んだ理由を思い浮かべる。リシアの様子を尋ねようかとも思ったが、今日はそれよりも先に伝えなければならないことがあるのだ。
リシアのため、一秒が惜しくてたまらない。
ネムは一度俯くと、次の瞬間には力強い表情を浮かべて踏み出した。
「アシュトン君、よく聞いて」
「えっと……大切な話、とか?」
「うん。リシアちゃんのためのね」
天空に近い庭園にて、アルティアの末裔は蝕み姫の末裔に告げた。
「っ――――リシアの?」
それはまるで、七英雄の時代に隠された物語の一つのよう。しかしそれも、一つのはじまりだったのだろう。
レンが生を受けたときから、こうなるべきなのだと運命づけられていたのだから。
――――それは遠い昔の出来事。
ジェノ院で行われた、小さな婚儀があった。
セシル・アシュトンが蝕み姫を連れ出してからしばらく、ジェノ院長こと蝕み姫の兄が待つエウペハイムの旧市街へと足を運んだ日にあったことだ。
『ところで、式はもう挙げたのか?』
ジェノ院長が問いかけるも、二人の様子からまだであることがわかった。
いまの言葉に慌てて否定の意を示したセシル・アシュトンと蝕み姫へ、ジェノ院長は自分が祝福の場を設けようと告げた。
小さな婚儀は、そこからはじまった。
『セシル・アシュトンに問う。この婚儀に――――』
セシル・アシュトンは蝕み姫への誓いを立て、蝕み姫もまた、セシル・アシュトンの隣で誓いを立てた。
それを以て、蝕み姫は家名から解放される。
彼女を繋ぎとめていた、見えない鎖は断ち切られた。
『お兄様、私はあの場所にいるべきではなかった存在なのです。私がいたという事実が、お兄様の枷になることを私は望みません』
悲痛に駆られたジェノはそのとき、もっとできることはなかっただろうかと後悔した。
妹のためにできることは何でもしてきたが、それでも足りなかった。
だからいまのようなことを言わせてしまったという事実に、彼は以後の生涯でも感じることのない悔しさを覚えた。
しかし、
『彼女は、俺の命に懸けて』
妹の隣に立つ親友を見て、救われた。
しかし、もう婚儀の終わりを告げなければならない。
だからジェノは――――言葉を紡いだ。
『セシル・アシュトン、ルナリエ・ヴィン・レオメル、二人の婚姻はここに認められた』
――――先日、ラディウスとラグナが話した際に語り終えられたすべてのことだ。
それを知らずとも、レンはつづくネムの声に運命を感じることとなる。彼はその顔に、確かな強さを宿してみせた。
「つづきを聞かせてほしい、アルティアさん」
レンが返したとき。
ネムはすぅっと大きく息を吸って、口にした。
「龍王の角の欠片」
それを聞き、
「天空大陸を統べし不死鳥の血」
レンは一度呼吸を忘れた。
けれど、同時に胸に押し寄せる何かが勇気を呼び覚まし、熱に満ちた鼓動を打たせた。
「海底に眠る巨人の涙」
歴史は繰り返される。レンの双眸には果てなく純粋な強さが宿り、その先の言葉を待ち受けていた。
「アシュトン君、この三つの宝物を持ってきて」
アルティアの末裔と、蝕み姫の末裔。
二人の間で、その言葉が交わされたとき、
「蝕み姫が、一人の男に求めたように」
世界は、再び駆けだした。




