リシア・クラウゼル[Ⅱ]
聖遺物が解き放った魔力が呑まれ、それまで聖遺物に閉じ込められていたはずの魔力が戦技に入り混じる。
レンが用いる権能ノ剣とも違う異能が、鮮明に見せつけられた。
魔力と魔力がぶつかり合い、轟音と圧を放ちながら破裂する。
この周囲の空ごと揺らしてしまうと、圧に踏ん張る男を石畳ごと砕きながら遠ざけていった。
レンは懸命にリシアの手を取り、二人の視線が交錯。
「リシア! こっちに!」
「……え、ええ!」
追撃をするのだと思っていたリシアにとっては拍子抜けだったが、彼女はレンに従った。
第六感に頼るなんて考えたくもなかったが、いまのレンはどうしてかそうすべきという衝動に駆り立てられた。
現に不可思議な状況の中で天使化の兆候も消えておらず、戦っている場合などではない。
石畳の上を駆けていく。
光の霧の奥に微かに見える、帝国士官学院の影へ向かう足を止めなかった。
聖遺物と魔王教。
二つの関係性はウィンデアでオルフィデと戦った頃からより顕著に感じさせられていた。何度かクロノアたちと意見交換をしたことはあったけれど、魔王教が聖遺物を蒐集する理由にたどり着くことはできていない。
だが、
「ねぇ――――レン」
リシアが胸を押さえ、懸命に走りながら。
「……あいつ、私がこの日を導いたって言ってた」
あれは聞き間違いなどではない。
「……あの言葉を聞いてから、胸騒ぎが止まらないの。いま……私が少しずつ――――っ」
「リシア」
その先は、想像したくもない。
思い当たることや推測なんてもういくつもあって、それらを結びつけることができるだけの説得力も手元にあった。
だから、その先を敢えて言葉にすることはしたくなかった。
「もう一度言います。俺だけを見ていてください」
手を強く握りしめ、一度振り向きながら告げる。
その瞳に宿る彼のすべてが、リシアを勇気づけてくれた。
「――――うん。ずっと、これからもそうするから」
こくりと頷き、握り返す手に力を入れた白の聖女。
……だけど、どうして帝都で聖遺物を使うんだ。
魔王教があれだけ熱心に蒐集していたものを、突如現れたと思ったら、急に攻撃のために使う理由がわからない。
それも、ただリシアを狙うためだけとは考えにくい。
何度も考えるが、七英雄の伝説Ⅱではこのようなことはなかった。
近い時期にあったのは帝都近郊で魔王教の司祭を相手にした戦いと、同日にあった白の聖女の惨劇くらいだ。
仮にこんな騒ぎがあれば、イベントとして触れられていてもおかしくない。
男が口にしていた暗示的な言葉も脳裏をよぎったが、むしろ、これこそが何らかのイレギュラーなのかもしれない。
……けどもし、七英雄の伝説でも魔王教が帝都に入ってきてたとしたら。
……仮に根底にある出来事が同じだったとして、目的は――――。
魔王教が帝都に踏み入るとすれば、それこそ重大な目的がなければしないだろう。
帝都にある魔道具のほとんどを無効化できたところで、侵入者は多くの力が制限される。ミリム・アルティアが遺した魔道具はそれほどまでに凄まじい。
これでは皇族たちの暗殺だって難しい。
では別の目的だ。
それだけのことをして、皇族を狙わないとしたら……何のために。
ふと、リシアがレンに。
「少しずつ……白い魔力が消えていってるみたい」
「それって、聖遺物と関係ある魔力ですよね?」
「……ええ」
白の聖女だからこそ、誰より強く周囲の魔力の気配と属性を感じ取れた。
白い魔力が消えていくということは、その魔力に影響を受けて力を失っていた魔道具が元の効力を取り戻すということでもある。
魔王教が帝都にいられるのは短時間であることが、リシアの言葉から示唆された。
「……けどほんとなら、魔王教が帝都に入ることなんてできないのに。ミリム・アルティアの魔道具をどうやって超えてきたの……っ」
リシアの声を聞きながら、レンが夏休み中の出来事を想起する。
「アルティアさんが言ってたことを、もし成し遂げられたとしたら」
ミリム・アルティアの末裔、ネム・アルティアが何の気なしに話していた。
『そういうのとか、無理やり許容魔力限界を起こさせて反応を見てみるとかでもいいし。その状況にできたら魔道具は動作がほとんど止まるからさ』
都市配置型の魔道具に限るとあり得ないとネムは口にしていた。
だが、とてつもなく強力な聖遺物で、やっと可能性が生じるだろうとも彼女は言っていた。
「もしかして、奪った聖遺物の力を使ってる……っていうことなの?」
「かもしれません。けどどう考えてみても、それだけじゃミリム・アルティアの技術に勝てると思えないんです」
「……ええ。私も言ってからそう思った」
何せ、魔道具の神が作り上げた都一つ守る大規模な魔道具だ。
多くの聖遺物を積み重ね、その力を何らかの力で解き放ったところで、魔道具の神の技術には敵わないだろう。
それでももし、敵う代物があるとするならば。
二人は、魔王教がかの聖遺物を奪取した理由へ遂にたどり着く。すべての条件を乗り越えられる品が、魔王教の手に一つだけ存在していた。
レンが、リシアが。
二人が、声を重ねる。
「――――エルフェンの、涙」
エルフェン教がある大神殿に納めていた秘宝であり、アーヴェルが雫と呼んでいた聖遺物だ。
他のどの聖遺物以上に神性に満ち、一滴でも大地を濡らせば、数百年は悪しき存在を寄せ付けないとすら言い伝えられるもの。
「でもレン! 外からの魔力は少しずつ消えてってる!」
リシアの言葉から考えるに、エルフェンの涙が発揮する効力が徐々に消えているということだ。
「だから、帝都を守る力はもうすぐ……!」
「戻ってくるはず! だからあいつらが何をしたいのかが俺も……!」
わからない。
が、レンの記憶に残るいくつかのことが彼を導く。
時期は少し違うが、もしかすると無関係ではないのかもしれないと考えてそれに縋る。七英雄の伝説においての、この時期にあった惨劇などの出来事だ。
七英雄の伝説では帝都での祭りの際、つまり立太子の儀の日に惨劇はあった。
だが、あのとき皇族の命を奪うような動きはなかった。
皇族の命を狙えば目立つ戦いになることはわかりきっていたから、むしろ戦いを避けたと考えるべきだろうか。
では、やはり目的があってのことだろう。
『呪いといえば……。魔王教が聖遺物の力を奪えることはわかりましたけど、そのためだけに盗んでるわけじゃなさそうですよね』
『前にも少し話したかもしれないけど、他に思い付くのは、何か壊したいものがあるとかかな』
以前、クロノアと話したことがレンの頭に浮かんだ。
唐突にではない。
聖遺物の蒐集を繰り返し、過去には魔王教が総力を挙げてエルフェンの涙を奪い取ったのは何故なのか。また、それらの間に不可分の繋がりがあるということを、レンが本能で理解できていたから掴みとれた答えだ。
魔王教が執拗にレオメルを狙い、探り、七英雄の伝説では立太子の儀を狙ったであろう理由。
七英雄の伝説では知れなかった数多くが、頭の中で蠢いた。
立太子の儀、それが行われる場所は。
「――――大霊廟を狙うために、エルフェンの涙を?」
大霊廟は機密の塊だ。
帝都中を探しても造りを知る者は数える程度しかおらず、侵入するなど不可能だ。
しかし、ある男の存在があれば違う。
レンが大霊廟と口にしてすぐ、リシアにはレンがそこにたどり着けた理由はわからずとも、関連した人物の存在に気付いた。
戦いはレンが帝都を訪れる前からはじまっていたのだ。
「あの人が……ってこと?」
「――――ああ。レニダスなら」
かつては帝都大神殿で司教を務めていたが、魔王教に与した男が。
七英雄の伝説で、そして、この世界でも。
……けど、どうして大霊廟なんだ。
魔王教が長い年月をかけ、多くの犠牲を伴い、遂に得られた短時間に意味がないわけがない。魔王復活を掲げる彼らにとって、何か重要なことがあるはずだ。
「魔王教にレオメルの機密が知られることは、レオメルだって予想して対策してるはず。だけど、エルフェンの涙くらいの聖遺物があれば」
ミリム・アルティアが遺した魔道具であろうと、外から動作を不安定化させられる。
さらに手に入れた聖遺物の数々は、ミリム・アルティアの魔道具を突破してからの道を踏破するために用いられていた。
◇ ◇ ◇ ◇
フィオナは昨晩、女子寮の自室に帰ってきてからイグナート家の仕事に関係した手紙の確認や、学院での課題などをこなしてから、制服を着たまま机に倒れるように意識を手放した。
机に向かったまま眠ってしまっていたのは、そのせいだろう。
時計を見れば、時刻はとうに午後の二時を過ぎていた。
「……いつ、寝ちゃったんだろ」
仕事や課題をこなして疲れ果てた。
いいや、そんなのは嘘だ。
何かをしていないと心が痛くてどうしようもなくなってしまいそうだったから、気を紛らわせようとしていただけ。
そうしていないと、昨日の放課後のことが瞼に焼き付いて離れなくなってしまう。
重い身体をのそのそと動かしたフィオナは窓ガラスに映る自分を見た。
「私、こんな顔できたんだ」
フィオナの胸元からころんと転がったネックレス。
星瑪瑙という希少な鉱石のチャームがあしらわれた、世界に一つしかないフィオナだけのたからものだ。
これはバルドル山脈で赤龍アスヴァルと戦ってから、下山の途中でレンがくれた。
せめて、一つでもいい思い出になりますように……彼がそうフィオナに微笑みかけて。
ネックレスを愛おしそうに両手で抱き、目を伏せる。
瞼が完全に下ろされたとき、フィオナはネックレスから熱を感じ取った。
「いまの――――」
星瑪瑙にそんな力はない。美しい鉱石だが、魔道具のような性質はないから熱なんて帯びるわけがないのだ。
しかし、不思議に思って星瑪瑙を見たとき、フィオナの胸が一度だけ大きく拍動した。
妙な拍動だったことが気にかかる。
彼女はジャケットを大きく押し上げる胸にそっと手を当てた。
……勘違いじゃ、ない。
まるで、バルドル山脈でレンとはじめて会ったときみたいだった。
フィオナは理解が追い付かないまま、何かに誘われるように立ち上がる。
すると、彼女が見た窓の外――――空の様子が、大きく変わりはじめていた。
アーヴェルたちが帝都に入り込む前に生じたそれとも違う、いま新たに生じたまばゆい光の波を見るや、黒の巫女による漆黒の魔力が指先に浮かぶ。
「どうして、こんな」
新たに疑問を深めるより先に、異変に目を見開く。
次の瞬間には窓に背を向けて駆け出していた。部屋を飛び出し、驚きの声に溢れる女子寮のサロンを横切って外に出た。
緊張から息を切らしていたせいか、先ほどまでの心のざわつきは消えていた。
代わりに胸と背筋に押し寄せる黒い予感。胸騒ぎに案内されるがまま、彼女は視線を帝国士官学院の先とその周囲に往復させる。
二度、それを繰り返し終えたとき――――胸が一際大きな拍動を一つ奏でた。
遠くないところによく知る魔力の存在をはっきりと感じ取り、
「二人……とも?」
黒の巫女はどこかから、鈴の音を耳にした。
以前、レンとリシアにしか聞こえなかったはずの音色が、いま彼女にも。
女子寮の門から外に出て、学院の方角を向いた。一見するといつもと変わっていないようにも見えたが、通りの先の景色が妙に歪んで見える。
唐突に、フィオナの手のひらにうっすらと黒い魔力が浮かんだ。
「……黒の巫女が」
異変を感じ取った騎士や、女子寮から出てきた学院の教員などの姿も増えてきた頃、フィオナは彼らに制止される前に走り出した。
すぐに追ってこられたけれど、学院までの道は短い。
だが、蜃気楼のように歪んだ透明の壁が途中から道を遮る。壁の奥には誰しもがよく知る光景が広がっているように見えたのだが、妙だ。
偽物、フィオナはそう感じた。
ただ見慣れた景色をそれらしく見せられているようでしかない。
だが、感じる。
二人の魔力の気配を、この先に。
フィオナが手を伸ばして透明な壁に触れれば、それは水面のように揺らいだ。先へ進むことはできず、それよりフィオナの指先は瞬時に白く灼けて強烈な痛みを催した。
「神聖魔法に触れてできる傷みたい」
白い火傷を見て、痛みなどはじめからなかったような冷静な声を発した。
これほど特徴的な傷を見間違うはずもない。
それに、壁から漂う魔力は……。
「君! 急いでここを離れなさい!」
「学院の皆々もだ! 我らの指示に従っていただく!」
帝都を守る騎士たちが異変を察知して駆け寄り、当然のように責務を全うしようとする。
だが、フィオナの耳には届いているようで届いていなかった。背景に紛れる音のようにしか感じず、白い火傷に視線を落とす。
その折、彼女は再び鈴の音を耳にしてハッとした。
「いまの鈴の音、皆さんには聞こえましたか?」
「音? いえ、何も……何か聞こえたか?」
「鈴のような音はなかったが……そんなことより早く皆と避難を!」
フィオナにしか聞こえない音。
以前、レンとリシアから聞いたローゼス・カイタスで響いた音としか思えない。
「私にしか聞こえなかった音、なんですね」
そしてさらに、白い火傷の存在だ。
周囲に漂う魔力は、フィオナが何度も手を触れたそれ。
……一緒に戦った、あの子の魔力。
ただ触れた過去があるだけではない。
クルシェラにおいては互いの存在をかける戦いに身を投じた。それなのに勘違いしてしまうほど、フィオナは愚かではなかった。
「……き、君? いまなんて?」
「ごめんなさい。私、ここにいます」
氷の魔法を、足元から。
「ううん。この先に行きます」
騎士たちにフィオナは言った。
「離れてください」
空に展開された氷の華。
蒼い水晶にも似た輝きが通りに落ち、大人たちを驚かせた。
クルシェラの神殿で繰り広げられたときより、より磨かれた氷の魔力に満ちていた。
蜃気楼のような壁を前に、フィオナはゆっくりと手をかざす。彼女と学院とを隔てる壁から、神性を帯びた魔力が光の粒となり解き放たれた。
フィオナの氷に対しての攻撃的意思の表れのようだったが、彼女は指先をゆらりと動かし……吐息。
属性の極みへと少しずつ近づく氷の魔力が、黒の巫女に従った。
◇ ◇ ◇ ◇
光の霧は晴れるどころかより濃くなっていたが、それでも学院の校門をくぐり抜けた。
だが、リシアの呼吸がどうしても落ち着かず、彼女は苦しげに笑みを浮かべる。その笑みすらか弱く、見るも痛々しい。
「リシア……!?」
「っ……ううん、心配しないで……っ」
肌の白はさらに広がっていて、もはや二の腕にまで届いてしまいそうだ。
「でも私たち、どうしてこの霧から出られな――――」
強がりながら話していたが、リシアはもうほとんど身体に力が入らなかった。ふらりと身体を揺らして、生け垣の段差に腰を下ろしてしまう。
「――――ご、ごめんなさい。すぐに……立つから……っ」
「……お願いです。せめて、もう少し俺に身体を預けてください」
「……これ以上任せるってこと? そんなの、抱きつくくらいしかなくなるわよ」
神聖魔法を使い無理やり立ち上がろうとする彼女を見て、レンは嫌でも思い浮かべさせられる。
『理解できた。白の聖女がこの日を導いていたということを』
突如現れた男が口にした言葉が、考えようとしないでいても何度も何度も繰り返される。
魔王教が大霊廟を狙っていそうだという推測を持てたものの、この言葉が頭の中で主張をつづけている。
それはきっと、無視できない状況だったからだろう。
この時期に、七英雄の伝説であった出来事が。
……エルフェンの涙と、魔王教。
……それにこの異変も全部リシアに関係があるなんて、そんなのいまは考えられない。
だって、あり得ない。リシアは何もしていないのだ。
けれど、あの男ははっきりと言い放った。
この日の出来事が、リシアに関係しているということを。
さらに男はどうしてかリシアの命を奪おうとした。リシアの命を奪うことが、彼らの目的に関わっていると物語っている。
……なら……天使化はどうして――――っ!
答えがなく、焦燥は募る。
物語は繰り返すのだと、世界が彼に告げているかのようだった。
「ね、私だけで立てたでしょ? もう心配しなくても……」
間もなく。
おびただしい数の刃、槍、斧などの武器が一帯の上空を覆ったのを見て、リシアとレンは身構えた。
現れた数々の武器は様々な輝きの魔力に包まれ、切っ先を地面に向けて浮かび上がる。驚愕すべきは、そのどれもが強力すぎる魔力に満ち溢れていることだ。
そのときレンは予感して、驚愕の声を漏らした。
「っ……あれは」
あの男が帝都に現れる出来事なんてなかったはず。それができないのがレオメルという国の都なのだ。
レンはリシアの手を勢いよく掴むと、
「っ……なんで、あいつが!」
「……え!?」
次の瞬間には強く抱きしめて後方へ跳躍。
彼はそれとほとんど同時に盾の魔剣を召喚すると、二人の前に魔力の障壁を生む。
そのとき、召喚された数多の武器が意思を持ったかのように神速で飛び交い、迫った。一秒も経たずに、二人が立っていた石畳は深く抉られる。宙から一瞬で降り注いだ武器の一つが魔力を炸裂させたのだ。
「何故、躱せた」
いつからか、二人が進む先にすでにいたその男が呟いた。
男は宙に召喚した武器に手をかざし、幾度となくレンたちに放つ。そうしながら、躱しつづけるレンを注意深く観察した。
「終わりは視えたはずが、躱されるとは」
時折、爆ぜた魔力でレンが傷つけられるのを見た。
しかし、それ以上がない。数多の攻撃の先を予測しながら動く彼は、男に計り知れない驚きをもたらした。
「何故、躱せたんだ?」
「はじめからわかってた……それだけだ!」
レンは再び迫る武器を躱し終え、挑発的に告げた。
思い出せなかっただけで、知っていた。
いまでは男の声が、七英雄の伝説Ⅱでヴェインたちが対峙した一場面とも重なる。
あの魔法を見せつけられたときから、レンの心に焦りと驚きを……そして全身を襲う強烈な圧を思い返させた。
「――――もう、戦わないと駄目みたいです」
「――――ええ。わかってる」
レンはリシアと身体を寄せ、彼女がより激しく消耗しているのと広がる白磁を視認した。
瞬間、空を舞った大槍が一本、レンの真横を通り抜ける。
頬に刻まれた斬り口から剛剣の強さにも似た効力を持つ魔力を受けたが、レンはリシアを守りながら踏みとどまった。
……大丈夫。戦える。
死ぬ気はないが、死を意識させられた。それは男が、レンにそれほどの感情を容易に想像させる存在だったせいだ。
されど恐れはなく、次の一撃はレンの前進を起点に生まれる。
ミスリルの魔剣が男の正面数メイル先から振り下ろされた。
“権能ノ剣”
レンが用いる神性にすら影響をもたらす一閃が、男に向けて真正面から空を奔った。
轟音。迸った波動。
光の霧と煙が立ち込める先で、男は言った。
「オルフィデとマシェリアを斬れた理由が、理解できる」
龍種の鱗を思わせる、流線形に象られた半透明の魔法の壁。
ひび割れながらも権能ノ剣を受け止めると、それは魔力の粒へと消えた。
男が一瞥したリシアの肌は、やはり先ほどより白に浸食されている。彼女が頬を歪めると同時に隣に寄り添ったレンが口を開いた。
「お前と会うのは、もっと先だと思ってた」
ミスリルの魔剣に覆う波動の密度がそれまでの比じゃない。
夏を経ての成長という言葉だけでは済まされない。レン・アシュトンが抱く強い感情が、そのまま剣身を覆っていたのである。
「アーヴェル、お前は帝都に入れなかったはずだ」
「君とは会ったことはなかった気がするが」
「だからって、俺がお前を知らない理由はない」
「確かにそうだ。しかし、それだけでオレの魔法に対応できるわけがない」
本来なら、対応できないはずだった。
七英雄の伝説Ⅱにおいて、アーヴェルはそれだけの存在だった。どれほど強くなろうと、どれほど特別な力を持とうと、それだけでは相手にすべきではない異能がある。
リシアが苦しげに呼吸しながらレンに聞いた。
「……司祭、なの?」
「――――いえ」
リシアにも予感があったのだろう。
「司教――――です」
「……やっぱり、そういう感じだろうって思ってた」
リシアはレンの返事に苦笑いを浮かべて息を吐いた。
司教に関して、いくつかの話は前にレンから聞いたこともある。レンが影を追っていたが、見つからなかったということなどもそう。
「こんなところで会うなんて……考えもしなかったわ」
神聖魔法で自らを覆ったリシアがふらつきながら、気高くも立ち尽くした。
乱れた呼吸はもはやそのままに、凛とした姿は変わらずアーヴェルを見た。
「貴方、ミリム・アルティアの魔道具で力が抑えられてるのね。……それも、普段と比べ物にならないくらいに」
「何故、そう思う」
「貴方の魔力がさっきより弱くなってる。聖遺物を攻撃に使ったのだって、自分の状況に自信がなかったからでしょ?」
ミリム・アルティアが作り上げた魔道具が本来の効力を取り戻していくことで、アーヴェルの魔力は少しずつ弱まっている。
リシアはアーヴェルに課された時間的制約がどれほどのものかを隅々まで理解しており、アーヴェルに否定の言葉を口にさせなかった。
「エルフェンの涙でミリム・アルティアの魔道具を抑えても、その時間はいつまでもつづかないわ」
それが、時間的制約。
「魔道具が元の力を取り戻すにつれて、貴方の力は逆に抑えられていくんだもの」




