始端。
コミックス電子版の予約がはじまりました。
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原作と一緒にどうぞよろしくお願いいたします!
二人は夏の終わりが見えてきた帝都を楽しみたくて、またこの日が涼しかったから歩いていた。
「そういえば、どうして学院なんですか?」
リシアが一緒に行きたい、とレンに行った場所が学院だったからだ。
貴族街から学院が立ち並ぶ区画までの距離はそう長くない。魔導列車に乗ってもいいが、この時間帯ならむしろ馬で向かったほうが早いくらいだ。
「一応、今日は休みですよ」
「もう、そんなの知ってるってば」
不思議そうにしているレンの表情がリシアの視線を誘って、彼女に花のように可憐な笑みを浮かべさせた。
「ちゃんと話すから、待ってて」
「学院に着いてからじゃないと駄目なんですよね?」
「うん。私がそうしたいの」
帝都の静かな通りの片隅に、二人だけ。
貴族街を離れるたびに徐々に人通りが多くなってきたが、二人はどこかその中でも人目に触れず、空気に溶けているかのようにそこにいた。
軽い足取りの白の聖女が突然、
「ねぇ――――ずっと前のことなんだけど」
魔剣使いの少年へ問いかける。
「私が村に着く前に倒れちゃったときのこと、まだ覚えてる?」
忘れるはずもない。
あれはイェルククゥが村を襲撃する直前だった。
「冬が明けてから、はじめて村に来てくださったときでしたよね」
「ええ。まだレンが私のことをちょっと避けてたときのこと」
「そ、それはもういいじゃないですか」
「ごめんなさい。話してたら思い出しちゃって」
澄みきった愛らしさに、大人びてきた魅力を孕ませた笑みを浮かべて。
風に髪が靡き、スカートの裾が揺れる。
白の聖女はとん、とん――――と、穏やかな足取りでレンの隣を歩いた。
「いまはもう、違う?」
リシア・クラウゼルの胸が早鐘を打ち出した。
胸の高鳴り。
周囲の雑音が不意に静かになったような感覚が訪れる。
レン・アシュトンは、迷わず言った。
「あのときと同じ気持ちだったら、同じ学院に通ってないですよ」
「もう違う、って素直に言ってくれたほうがうれしいんだけど」
「――――違いますよ、もうあのときとは」
言わせたような感じがしたが、レン・アシュトンの柔らかな声音がうれしかった。
リシア・クラウゼルが想いを語りながら心をさらけ出す直前、蘇るのは懐かしいアシュトン家の屋敷で交わした言葉だ。
『だけど、安心して。ちゃんとヴァイスと話したわ。何度も私のせいであなたの家を慌ただしくしちゃって、本当に本当にごめんなさい。もう、今回で最後にするから』
リシア・クラウゼルは謝り、
『────今度いらっしゃるときは、火を熾す魔道具をお願いします。もちろん、余ってたらでいいですよ』
レン・アシュトンに受け入れられた。
それからは言葉一つで理不尽にかき乱され、言葉一つで思い悩まされた。
彼女はそうして、切々と胸に押し寄せる片思いを知った。
「じゃあ、私と会ったことに後悔してない?」
「そんなの、当り前じゃないですか」
彼にとっての女性の、そのすべてになりたいと心は言った。
だから、リシア・クラウゼルは宣戦布告をした。
「ありがと、ちゃんと教えてくれて」
故に世界は同じ道を歩むのかもしれない。リシア・クラウゼルが、その想いをここまで募らせたことにより。
学院が立ち並ぶ区画に近づき、帝国士官学院の屋根が遠くに見えはじめた。
この日はいつになく人の気配が少なかった。きっと祝日ということもあるのかもしれない。
白の聖女はまだ足を止めず、魔剣使いの少年の一歩前を進みつづけた。
二人はまだ知らない。
その先に待つのが、あるときと同じ道へと通ずることを。
「――――レン」
けれど、止まることはなかった。
白の聖女の想いが、運命が、断ち切ろうにも断ち切れない感情に突き動かされる。
故に、かの雫は世界の意を示そうとしていた。
「私ね、ずっと言いたかったことがあるの」
だが、リシア・クラウゼルにそれ以上は許されていない。
白の聖女だから、それだけのことで。
――――きっかけは、魔王教が手にした雫が光を漲らせはじめたこと。
突如、二人の周囲に光が立ち込めた。
まぶしい。目が眩むほどの強烈な輝きだ。
どれだけ世界に変化が生じていようと、時間軸が違っていようと、それは避けられない。
何故なら、世界がずっと昔からこの日を定めていたからだ。
間もなく、空を駆ける光の波が生じた。
彼らにしか聞こえない鈴の音が、再び世界に響き渡る。
二人が出会ったときから宿命づけられた一瞬が、はじまる。
時と想いの二つが満ちたことで、最初から設計されていた通りに。
「え――――?」
音と光が生じた際、リシア・クラウゼルの身体が力なく揺れた。瞳からは光が失われかけ、視界の中心にいたレン・アシュトンの姿がひどく霞んで見える。
茫然と立ち尽くしたリシア・クラウゼルを見て、心をざわつかせたレン・アシュトン。
「リシア!」
声を張り、すぐさまリシア・クラウゼルに手を伸ばす。
すると、彼は目を疑った。
光の中に佇む彼女の手に生じはじめた、いままでにない異変を見て。魂に押し寄せるような、惧れにも似た感情に苛まれながら――――。
「っ――――俺の、手を!」
それでも彼は、迷うことなく彼女の手に触れた。
物言わぬ彼女と手が重なり合った刹那、彼女は目をしばたたかせながら正気を取り戻し、彼を見る。
視界が上下左右に振れて定まらなかったけれど、周囲の光だけが鮮明だった。
怖いくらいの白銀がどこからともなく語りかけてくる。レン・アシュトンが何度名前を呼ぼうとも、さらなる強大さを以て彼女に白銀を意識させた。
彼女はレン・アシュトンと重ねた手に、ぎゅっと力を入れて返す。
「……」
どこからだろう。
この帝都のどこか……中心部のほうだろうか。とてつもなく膨大な神性を感じ取りながら、リシア・クラウゼルはか細い声で言葉を紡いだ。
「声が、するの」
白磁を帯びた肌に触れる彼の温かさだけに縋り、言った。
「……許さない、って」
白の聖女が、誰かの物語の黒幕が、魔王教が、古き存在が――――誰かが意図して生んだ物語ではない。
ただ、そうなると決められていた出来事があるだけ。
だから向かうのだ。
どうなろうと終着する、白の聖女が迎えるその結末へと。
◇ ◇ ◇ ◇
すべては異変が生じる少し前、ナルハトが雫の輝きを解放したことをきっかけとしていた。
生まれたのは、世界の果てまで伝わる光の波。
まさに世界中のどこにいても届いていたほどで、誰がどこにいようと観測できたであろう光だった。
レンにそれを避けようという意思、また準じた行動があったところで価値はない。
そのどれもが無意味であると無情に伝えてくるのは、まるで神の意志そのもの。
一方、アーヴェルにとって世界を駆ける光の存在は予定にないものだった。帝都のあの場所に隠された遺物を手に入れるだけでいい。
それが王の復活に繋がるはずだったから、人目に触れる騒ぎは歓迎できるものではないのだ。
帝都目前に迫った街道で、アーヴェルはため息をついた。
「急に力を蓄えたと思ったら、これほどの神性を解き放つ代物に変わるとは」
帝都まで数百メイルの距離だった。
彼はようやくそこで視線を下ろすと、周囲にいる街道を歩く者たちの声を聞いた。ほとんどが空を見上げて驚きの声を発している。
でも、特に思うことはない。
人々が作り出した光景に興味を持てず、彼は目の前に手を伸ばす。
「境界が、限りなく薄い」
あまりにも希薄だ。
これほどまでに、ミリム・アルティアの力が抑えられてしまうだなんて。
「残念だが多くを連れて行けば、今日までの準備がなかったことになってしまう」
理由は、彼が先ほど触れた壁の存在にある。
その壁はミリム・アルティアが作り上げた魔道具によるもので、勇者という名の絶対の障壁。
魔道具の神が作りだした魔道具そのものの凄まじさもさることながら、動力源にも強力な魔石が用いられていることがわかる。
アーヴェルはひとしきり思い返してから遠くにいる友へと告げた。
「ナルハト、行ってくるよ」
回り道や隠された道に行くわけでもなく、真正面から堂々と壁の向こうに足を踏み入れた。
周囲を歩く人々にとっては存在していないも同然の壁だ。帝都を守るためのものだから、人々を遮るわけもない。
普段なら触れるだけで手が灼け、魔力の多くが消滅してしまう。
アーヴェルよりもっと強い存在であればさらなる重傷を負うことは明らかで、長居すれば容易に命を落とす。大人数であれば反応することで障壁の力もさらに強く動くようだから、それも避けなければならない。
だが、いまは違う。
力という力が半分以上抑えられるだけで済むのも、あの雫から強大な魔力が解き放たれたからだろう。
「あの変化が何かに影響を受けたせいなのなら、どのような存在があの雫に影響を与えてあれほどの光を。勇者の末裔……いや」
アーヴェルは繰り返すように考えながら帝都の門へと近づいた。
巨大な門の影が足元に到達した際、彼は自分自身に告げた。
「あるいは――――白の聖女が」
彼女の存在だけが、一つの可能性を孕む。
しばらくして、彼は帝都のほぼ中心の地下にいた。
獅子王が愛した剣の庭にも近い区画に隠された、地下への通り道。その長い階段を下りた先に待つ石造りの回廊の果てがそこだった。
幾年月をかけてきた。すべては、この日のために。
「何故、今日なのですか」
アーヴェルに話しかけたのは、昨日合流したばかりの男性の司祭である。
金糸などで刺繡が施された漆黒のローブは、格式の高さを感じさせる。背の高い彼の大部分をそれで覆っているため、多くの個性が消されていた。
唯一の特徴といえば、腰に佩いた二本の長剣くらいだ。
「猊下は以前、立太子の儀が行われる日に動かれると申しておられた。何らかの意図がなければ、早くもこの日に動くことはなかったでしょう」
彼の声に重ねるように口を開くのは、昨日合流した女性だった。
「理由をお聞かせください。陛下のため、我らが何故この日に動くことになったのか」
彼女もまた漆黒のローブに身を包んでいた。
個性らしい個性は高めの背と、その背丈に迫る大きな杖を携えていること。豪奢な宝石に彩られた杖は、彼女が歩くたびにしゃん、しゃんと音を立てた。
二人に問いかけられたアーヴェルは、数秒の間を置いた。
夏のはじまりにとある港町でマシェリアと会ったときのことを思い浮かべて、彼は言う。
「禁書の持ち手が言っていた。この雫が動くときが、そのときなのだと」
二人はそれを聞くとさらなる疑問を口にすることもなく、アーヴェルについて歩いた。
いま三人が歩いていたのは帝都の地下、通常であれば足を踏み入れることはできないところ。万が一にも足を踏み入れるなどあり得ず、彼らにその扉を開けることはできないはずだった。
ただし、この日までだ。
三人を待ち受けていたのは、苔むした湿っぽい地下の広間だ。奥のほうにある扉にもほとんど人の手が入っておらず、古びた威容が残されていた。
アーヴェルが扉に触れたとき、漆黒の波動が迸った。
「君のおかげだよ、レニダス」
アーヴェルがもういない仲間に告げ、扉に施された封印を破った。
三人の耳を劈くきぃん、という耳鳴りが周囲を満たしたけれど、いずれも意に介することはなかった。
扉の先に待つのは黒を基調とした荘厳な領域だ。
それまでと違い古びた様子は一切なく、神秘庁の内部にも似た雰囲気が漂う。
「この扉は、有事の際に皇族が用いるために作られたそうだ」
二人を引き連れるアーヴェルが前へ、前へ。
過去――――教主が、大司教が、司教が、司祭が、教徒が、教団が。
皆が存亡と宿願を懸けた戦いに挑み、求めた時が訪れる。
「ここは大霊廟。礼節を重んじなければね」
三人が足音を響かせる。
目指すは最奥だが時間がない。
帝都の外に存在した境界はその効力がかなり弱まっているが、推測するに、長くても数十分程度しかもたないだろう。
「美しいね。レオメルという国の歴史のすべてがここにある」
彼らの足は、この先の王墓が並ぶ回廊へ向かっていた。
長い回廊の先が見えてきたのは、もうしばらく進んでからだ。
地下に設けられた広大な大霊廟の奥……歴代の皇帝の王墓が並ぶところまで、遂に三人が近づいていた。
「私たちが予想していた状況ではありませんね」
地下にはいくつもの仕掛けが施され、ミリム・アルティアのものとも違う魔道具も多く隠されていた。
魔王教にレニダスが下る以前に比べて、より強固な守りへと再構築されているようだ。
「レニダスが離反してすぐにレオメルも動いたんだ。彼の知識が我らに伝わったと確信してね」
「アルティア家をはじめとした七大英爵家もでしょう。限度はあるようですが、これほど多くの手を講じるとは」
「ここだけじゃなく、帝都のいたるところでもそうだ。あれだけの聖遺物を蒐集して正解だった」
皆が足を止めた前には巨大な扉が鎮座し、先に待つのが隔絶された空間だと三人に主張する。
アーヴェルはそれまでと変わらぬ声音を保った。
「奪おう。主に倣えばこそ罪はない」
実力で踏み入るために、男が扉へと手をかざす。
さぁ、王墓へ。
得るべきものを得て立ち去ろう。すべてを賭してたどり着いたいまを駆け抜けるために。
だが――――。
アーヴェルははじめて驚きに顔を染め上げたと思うと、手を下ろした。
「何かが、ミリム・アルティアの力に干渉をはじめた?」
大霊廟にもミリム・アルティアによる魔道具が配置されている。そんなのは知っていたし、突破できると確信していた。
現に突破したからこそ三人は大霊廟に足を運べたのだが、この扉……いいや、彼自身の身体にも違和感が生じつつある。
身体中の力がさらに弱まるという早すぎる変化に思考を深め、その原因を探ろうとした。
このままでは、大霊廟の最深部へ足を踏み入れることはできない。
「七英雄の末裔が――――いいや、彼らが神性を持とうとあの雫を上回れない」
アーヴェルが帝都の外で気にかけた存在が、再び脳裏を掠めた。
もし白の聖女、リシア・クラウゼルなら。
彼女という存在が、何らかの異数になっていたとして――――。
間もなくアーヴェルははっとした。雫の力が唐突に膨張したことを起点として起こったばらばらの事柄が、彼の頭の中で繋がった。
「白の聖女が、すべての始端であったとでもいうのか」
いまだ様子を窺うことしかできていなかった二人へと、アーヴェルはようやく顔を向けた。
この日、この物語を描いたのは彼だけではない。
「聖遺物の力が尽きるまでに、最奥の王墓に手を伸ばす」




