物語のつづきへと。
原作、コミックスの最新刊が予約受付中です!
■原作8巻 11月17日発売
■コミックス9巻 10月23日発売
書籍版もどうぞよろしくお願いいたします……!
十数分前、リシアはセーラと歩いていた。
図書館からいくつかの授業のために参考書を借りてきた帰りで、校舎へ向かう途中の並木の影が石畳に落ちている。
それまで他愛もない話をしていた二人のうち、セーラがふと話題を変えた。
「やっぱり、夏休みの前と違うわよね」
「違うって、何が?」
「リシアとレンの様子のことよ。クルシェラから帰ってくるときに何かあった? よくわかんないけど、そのときくらいからいろいろ近くなってる気がするんだけど」
先日一緒に遊んだ際は意識していたけれど、学院で過ごしているときはそんなつもりはない。
無意識にそうなっていたということをセーラから教えられたリシアは気恥ずかしくなり、並木と夕暮れのどちらを見るわけでもなく、視線を外した。
「頑張ったってことなのかしら」
優しい笑みを浮かべて呟いたセーラの目が、リシアの横顔に向いた。
「頑張って。いまのリシア、すっごく綺麗だと思う」
「どうしたのよ急に。綺麗なんて、いままでそんなの言ったことあった?」
「さぁ? でも急にそう思ったってこと。――――それじゃまたね、リシア」
「あっ、ちょっと……セーラ! もう、また言うだけ言って……」
二人は途中で別れ、リシアは一人で校舎に戻った。
放課後になってしばらく経っていたからか、廊下には人の気配がなく、茜色の染まる空間に一人分の足音だけが反響した。
宣戦布告をしてから特にはっきりとしていたのだが、レンのことを考える時間が増えている。
「……この前一緒に遊んでから、ずっと」
意識して、一緒に町に出て。
感情は爆発しそうなほど育まれてしまい、身を焦がすなんて言葉が可愛く感じる。
早足はやがて、駆け足へ。
廊下を走るなんていままでほとんどしたことがなかったのに、このときはどうしても足が言うことを聞かなかった。
……いますぐ、声が聞きたい。
リシアは鮮やかな茜色に染まる校内に足音を響かせて、視線の先に目的の教室を収めた。
二年次特待クラス。
彼女が通う教室……その扉が閉じられている。
止まることのない足音を反響させること、さらに十数秒。リシアの足は教室の扉の前から数歩離れたところで止まった。
不思議と緊張していた彼女の胸が、いままでになく速く拍動を繰り返す。
この程度の運動であるはずもなかったのだが、呼吸すら乱れてしまっていた。
十秒、二十秒――――。
早鐘は止まらないが呼吸は落ち着いた。
一歩踏み出せば、胸が早鐘を打つときの心地よさを知れた。
また一歩前へ進んだときには、もう想いに従うだけでよかった。
放課後の教室、窓際の席に彼はいた。
彼の名前を最後まで口にできなかったのは、彼が纏った雰囲気に無意識に気を取られてしまっていたからだろう。
彼は先ほどまでの熟考を経て、風を浴びながらひとときの休息を過ごしていたのだ。
風に靡くカーテンが二人の周囲を彩り、揺らぐたびに訪れる夕焼けの茜色。
茜色は、リシアの足先を境に途絶えていた。
「レン、ずっと一人でいたの?」
「はい。なんとなく、今日の夕暮れが綺麗だなって」
「そうね。すごく綺麗な茜色だと思う」
白の聖女がその名に違わず、清廉で可憐。
クルシェラから帰る途中、レンに宣戦布告をしたときにも似た姿だった。
先ほどまで惨劇のことにばかり囚われていたレンの視線は、否応なしにリシアに吸い込まれていってしまう。
それはリシアも同じで、レンの双眸に心を囚われた。
……やっぱり、そうみたい。
……私、もっと好きになってたんだ。
胸の前でぎゅっと手を重ね、心を確かめるように目を伏せ俯いた。
自らの感情に心を委ねる際の沈黙。
レンがどうしたのかと尋ねようとしたときに、リシアはとうとう顔を上げた。
「――――レンっ!」
改まって彼を呼ぶ。
窓からの風が、扉の外へと吹き抜けていった。
「明日、一緒に行ってほしいところがあるの!」
リシアが瞳を微かに濡らして、夕焼けを反射する。宝石のような瞳に射貫かれたレンが何か返事をしようとした際、教室の外で足音がした。
誰かが、そこから遠ざかって行った。
◇ ◇ ◇ ◇
レオメル帝国内の森の中に、アーヴェルはいた。
先日のように甲冑が擦れ合う音が届く。しかし、今日は彼の他にも二人分の足音が交じっていた。
「そちらから来てくれたのか、ナルハト」
アーヴェルが口にしたのは、甲冑を着た男の名だった。
ナルハトの後ろには一組の男女がいたが、二人は距離を取って控える。
「例の雫の変化について聞くためだ」
「聞かれても、話せることは少ないが」
「教主にそうお答えしていいというのなら構わない、アーヴェル」
森に一人でいた男、アーヴェルは笑った。
「事実、少ないだけだ」
アーヴェルは胸に吊り下げていた小瓶を空にかざした。
小瓶の中では雫が光を蓄え、尋常ではない魔力をとめどなく膨張させつづける。
数日前から急に変化が訪れ、瞬く間に変貌しはじめていたのだ。
雫……いいや、その聖遺物は今日まで、聖骸現象以上の現象をもたらさなかったというのに。
いまではまるで、何かに影響を受けているようだった。
「一滴で大陸各地の龍脈にまで届き、魔物たちにさえ影響をもたらした。だが、その程度で終わるはずがなかった」
エルフェン教があれほど厳重に保管していたことは、いまでも忘れられない。
伝承に残る力の一端すら見られない状況がつづき歯がゆい日々を過ごしてきたが、これなら先に進める。
「これなら、どのような障壁にだって届く」
さらなる一歩を経て、教団の宿願を叶えるべく。
この世にいくつか存在した、あまりに強大な障壁を思い浮かべて。
「極限の祈りと加護が聖地に作り出す大法陣、教皇ノ杖。天空大陸の膨大な魔力を変異させることで発動する、天域結界――――」
例外なく、人知を超越したと評価される魔法的な壁。
それら三つの壁をもひれ伏させる、レオメル帝都を守護する力があった。
「どのような障壁であろうと、例外はない」
それこそが、
「魔道具の神が生涯を賭して完成させた最高傑作、『勇者』にさえ届くはずだ」
絶対の不壊が約束された概念。
他の国々などが持つ魔法的な障壁と違い、主として魔大陸の魔力に対してその威を示すよう造り上げられている。
故に彼らは帝都はおろか、帝都近郊の街道に立つことすら許されない。
「勇者はより強い力にはより強く威を示す、オレたちにとっての絶対的な天敵。あれを超えなければ、陛下の再臨には近づけない」
だが、状況は変わった。
ナルハトはアーヴェルの言をそう捉え、耳を傾けつづけた。
「この輝きなら枷はあるが、数人なら僅かな時間でも足を踏み入れられる」
「これほどの年月と犠牲を経て行けるのが、たった数人とは」
「予想はできていた。だが、ナルハトは相性が悪い。武器も、君自身の力もだ。それにオレとナルハトが同時に足を踏み入れるのは不可能だろう。帝都へはオレが二人と行く」
元からそう決めていたことだ、とアーヴェルはつづけた。
話を聞いたナルハトはアーヴェルに近寄り、雫が入った小瓶を受け取る。するとナルハトはアーヴェルに背を向けた。
「ナルハト、他に話したいことはないのかい」
「ああ、もう何も」
人一人いない森の中へと、ナルハトは姿を消した。
しばらくしてアーヴェルたちも歩きはじめ、彼は天に声を向けた。先ほどナルハトに渡した小瓶の中にある雫に、いまも意識を奪われていた。
「何がきっかけで、あれほどの変化が」
答えは一向に出てこないが、マシェリアが口にしていた『来るべき時』が限りなく近くなっていることだけはわかっていた。
マシェリアが何度か彼に告げた言葉が、再び思い返される。
『君にもいつか理解できる。マシェリアにわかることはそれだけだよ、アーヴェル』
他の司祭とは違い、司教にも近い魔力を誇った彼女。
そのどこか超然とした人となりはアーヴェルにも理解できず、むしろ、ここにはいないレンのほうが彼女のことを理解できていただろう。
雫に変化が訪れた理由はまだわからなくとも、すべきことは一貫して変わらない。
そして――――時を同じくして。
先ほどの森からそう遠くない場所、レオメルの隣国へと向かう街道を、少女が軽い足取りで歩いていた。
後ろ手を組み、美しい夕焼けを見て微笑を浮かべる。
彼女は少女らしからぬ艶美を湛えていた。笑みを浮かべながら、先ほどまで感じていた聖遺物の気配を思う。
「やっぱり、あの雫だった」
イヴ。
魔王教教主の妹でありながら、教団を離れ一人で旅をつづける吸血鬼。
漆黒のメッシュ交じりの艶やかな銀髪に、世界に彼女ただ一人の深紅と銀のオッドアイ。
可憐さと気位の高さを兼ね備えた美貌は、この世の誰より傾城の言葉が似合う。
以前、七英雄の伝説の世界線のものと思しき光景を見たレンは、常に彼女の影を探している。
そんなことなど露知らず、
「あの雫じゃないと聖骸現象は何度も発生しないわよね。だってあれ、魔石を変質させるほどの魔力のせいだもの。普通は意図しない限りあり得ない現象だわ」
彼女は優雅に歩くだけ。
「でも――――雫の様子が変わってくれたから、教団の準備も整ったでしょ?」
傍に誰もいなくても、空に向けて愉しげに問いかけつづける。
「だけど、どうして急に光が強くなったの? レオメルといえば、白の聖女の存在が関係あるとか? もしもそうなら、彼女がすべてのはじまりになるということなのかしら」
誰に言うでもなく愉しげで、足取りも軽く。
「きっと、悲しむことになる。教団だって、消えない傷を負う」
きっとと言いつつも、はっきりと。
いまのイヴの歌は、真なる力を孕んだ言霊へと変わるだろう。
「でもお兄様、私はもう止めてあげないから」
それに、興味がないから観てもあげない。
夕暮れに向けて声に出さず、彼女はもう一度微笑んだ。
「さぁ、はじまりよ」
踊るように軽やかに歩きつづける。
歌うように声を紡いだ。
「遥か昔にはじまった、戦いのつづきのね」




