放課後の茜色。
原作、コミックスの予約に引き続き、原作グッズの情報がカドストさんで公開されました!
また詳細は改めてと思いつつ、書籍版、グッズ共にどうぞよろしくお願いいたします……!
休み時間、屋上のフェンスを背にしていたレン。
ラディウスはそれまで外を見ていたレンの傍にやってくると、自身も同じようにフェンスに背を預けた。
十数秒の沈黙を経て、第三皇子が立太子の話に触れた。
「ようやくここまで来た」
「うん。おめでと――――は前にも言ったっけ」
「何度言われても悪い気はしないさ。それがレンからであれば特に」
もう何週間もしないうちにラディウスは正式に皇太子になる。
大霊廟での儀式を経て、名実ともに。
「立太子の儀の日にはレンも帝都に来てくれ。傍にはいられなくとも、近くにいてくれると思うと私も心強い」
レンはいまの言葉に前向きな返事をすぐにはできなかった。立太子の儀が行われる日にあの惨劇があったからでもある。
それ故、彼はラディウスに「楽しみにしてる。また近くなったら教えて」と少しだけ返事を濁した。
「儀式のこと、前にも聞いたけど改めて聞いてもいい?」
いつもより歯切れの悪いレンの口ぶりは、何か言いづらそうな表情を伴った。
「大抵のことは答えるつもりだが」
「うん。ありがと」
友人の優しさに背を押されたレンが言った。
「前にも大霊廟の儀式のことは聞いたけど、それって、獅子王に挨拶する以外に何か特別なことってするの?」
「なるほど、確かに尋ねづらそうな話だ」
「だよね。でも、気になって」
聖骸現象。
立太子の儀。
同時期に発生した、帝都近郊での魔王教を相手にした戦い。
そして、それらの物語の裏で起きた惨劇。
思い浮かべられるいくつかのことの中でも、レンは立太子の儀と大霊廟での儀式についてあまり詳しくない。
一般常識程度なら聞けているし調べられるが、レンはその先を欲していた。
ラディウスも返答に迷っているのがその硬い表情から見て取れるようだった。
だが、彼の迷いはレンに答えないというものではなかった。
「すまない。どう説明すべきか迷っていた」
「じゃあ、教えてくれるの?」
「教えないわけがないだろうに。それを言えば禁書庫の件で私はレンに約束している。もういまさらすぎる」
友人の水臭さへと、仕方なさそうに息を吐いた第三皇子。
「特筆すべき情報は恐らくないぞ。他にするのは、皇太子となる私が王墓に眠る王骸に向けて祝詞を読み上げるくらいだ」
王骸。
レオメルにおいてその言葉が指すのは、獅子王の遺骸だ。
「獅子王亡き後も、王骸には強大な魔力が宿るという。故に語りかけることに意味合いがあるのだと、陛下は仰っていた」
本当かどうかはわからないが、とラディウスが言葉を添えた。
「念のために言っておくが、これも機密というほどではないぞ。軽々しく話すべき内容ではないことも事実だが」
「ありがと。参考になった」
参考になったというのも妙な返事だが、レンが言えばラディウスは満足げに頷いた。
すると、ラディウスが話を変えた。
「この前のこと、聞いても構わないか?」
「聖骸現象があったときのこと?」
「ああ。四人でカフェに行ったとき、何を言いかけた?」
「……ラディウスになら話せるけど、あのときのことは俺もよくわかってなくて」
聖骸現象に陥った魔物が動いたこと自体は各所への共有が済んでいる。
だが、レンが気にかけていたのはあの魔物が何よりレンを狙ってきたことだ。
あのとき、レンがリシアから贈られた短剣が相手の魔力を拒絶していたように見えたことも、レンはラディウスに話した。
「誰よりレンを脅威に感じたからだろうか」
「けど、ガーディ卿もいたのに?」
「どちらが強いかという話は別として、何をどう脅威と感じるかだ。魔物は人間と違い根底にある強さを感じ取れるという。聖骸現象に陥った魔物にその嗅覚が残されているかは不明だが」
聖骸現象に陥った魔物が動くということ自体が異例だった。
七英雄の伝説でも存在していなかった例だから、あの出来事はレンに対しても大きな疑問を呼び起こさせた。
「しかし、レンの短剣というのは?」
「ほら、俺がずっと前にリシアからもらった短剣のこと」
「あの短剣か。私も聞いたあれの性質の通りなら、持ち主のレンを守ったのだろうとは思うが」
たとえ聖骸現象によって生まれた魔力と神聖魔法の性質が近くとも、それらは別物。
短剣に届いた敵の魔力に呼応したという推測も一蹴はできない。アスヴァルを相手にした際、あの短剣はレンに寄り添い彼を守った過去もあるのだ。
レン自身、調べつづけている。聖骸現象のことやリシアの最近の様子を含めてクロノアにも尋ねたいところなのだが、彼女はまだ学院を空けている。来週には戻るとのことだ。
「聖骸現象について、アスタリテとも話したと聞いた」
「うん、獅子聖庁でね」
レンはアスタリテの研究成果が記された手帳も読み漁っているが、そこにも関係していそうな情報はなかった。
先日、話をした際にアスタリテはこうも言っていた。
『完全に聖骸現象化しておらず、魔物としての生存本能に従って動いた――――としか、現段階で考えられることはありませんわね』
まだ魔物自体の意識が残されていたからという推測は、正直それしかないと思わされるだけ筋も通っていた。何より違和感がない。
「いろいろ聞けたし、アスタリテ様の研究成果が書いてある手帳を貸してくれてさ」
「あのアスタリテが珍しい。ラグナと懇意ということもあるのだろうが、意外と気に入られているようだな」
「どうだろ。とりあえずあの手帳はありがたく拝見してるけど」
アスタリテが聖骸現象を一番に研究していたのは、彼女が神秘庁に所属していた頃だった。
彼女は神秘庁の潤沢な研究資金を用いて世界中で発生した聖骸現象を調べ、魔法学の観点から様々な仮説を打ち立てた。その多くが彼女の口からレンに語られたことだ。
一方、あの手帳にはレンの目を引くような絵もあった。
「神剣の見た目も描いてあったんだけど、小さい頃に見たときと印象が違ったかも」
「それなら恐らく、アスタリテがミューディが描いた神剣を参考にしていたからだろう」
「何か違うの?」
「エルフェン教が扱う神剣の絵ばかり触れられるが、あれは光を添えるなどで神々しさがより強調されている。一方、ミューディは自身が見た現実のみを重視していたそうだ。ミューディの性格を思うと、そちらのほうが正しい見た目に近いのかもしれん」
長い年月の中で偉人の肖像画も見た目が変わることがある。そのようなものだとラディウスは言った。
かといって、それらの間で見た目に大きな乖離があるわけではなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
放課後、レンは教室に一人残った。
彼は窓際の席で、夕暮れの茜色と風を浴びながら。
……たとえば、立太子の儀の日じゃないといけない理由が存在するとして。
白の聖女の惨劇はあまりに情報が少なすぎた。
七英雄の伝説で目にしたことしかヒントはなくて、惨劇が起こった日ばかりがレンに強い印象を植え付けている。
けれど、立太子の儀が惨劇にどう関係しているのかというと、それはわからない。
レンはずっと前から惨劇を回避すべく、様々なことを調べてきた。その中でも唯一価値があるのは、イヴが口にしていた言葉だ。
ウィンデアの戦いにレンが赴く前、彼が唐突に見せつけられた世界の中での出来事だった。
『だけど、誰にとっての黒幕かしら。あんな騒動の中心にいたあなたは、もしかすると帝国にとって事件の黒幕かも。エルフェン教にとってもそう。あとは、魔王教にとってもあなたは七英雄の末裔を庇う敵。まるで誘導されたかのように斬り伏せられた教徒たちにとっては、きっとその企ての黒幕みたいなものよ』
彼女はあのとき、
『弱かったあなたは選べなかった。あなたは罪深い人ね、レン・アシュトン』
いくつかの言葉をレン・アシュトンに告げていた。
『でも────あなたは、その血筋に翻弄されちゃってる』
それらの言葉通りに受け取るのであれば、レン・アシュトンが弱かったせいで何かを選ぶことができず、二つの惨劇を迎えたとなるのだろうか。
レン・アシュトンが自身の血筋に翻弄されてしまっているということも忘れてはおけない。
血筋が何をどう翻弄したのか……それを知るためにも、レンは冒険家アシュトンのことをさらに力を入れて調査するようになったのだ。
蝕み姫と、冒険家アシュトン。
そのどちらがイヴの言葉に関係した血筋なのかはわからないが、
(あの惨劇は、白の聖女が一人で起こしたことじゃない)
それが根幹に大きく関わっているはずだ。
レン・アシュトンが関係していて、そしてさらに何らかの思惑が介在していたと推測する。しかし、いくら推測しようと、惨劇のきっかけがわからないというのが致命的だった。
……大霊廟の儀式が転換点だとするなら……。
……けど、何がきっかけで、どんな理由があってあんなことに。
どうすれば、あの悲しい出来事を回避できるのだろうかとも。
今日という日まで、もう何度考えたことかわからない。
過去、あの時期に帝都を離れるべきだろうかと考えたことがある。
離れること自体はいいのだが、あの時期と惨劇にどれくらい関係あるのか……。
と、迷いが生じてしまう理由があった。
レンには考えないようにしていても、考えなければならないことがある。いままでだって、それを考えてこなかったわけではない。
「……ローゼス・カイタスでの天使化を考えないなんてできない」
すべてが繋がっているとするのなら、何かのきっかけがあの結末をもたらした……とか。
いずれにせよ、惨劇の時期を避けるように帝都から距離を置くという選択肢はある。
ただ、七英雄の伝説との違いなんていままでだって何度も生じている。
惨劇に関わる出来事がこの世界線でも同じ時期に生じるかどうか、自信が持てない。時期をずらすだけで、もう二度と生じないという確信だって持てなかった。
「……あとわかってるのは、俺に惨劇を起こす意思がないってこと」
何かが足りない。
あと少しだけ情報があれば、その先にたどり着けそうなのに。
◇ ◇ ◇ ◇
溶けた氷の雫が一滴、黒の巫女の頬に落ちた。
意識を失っていた彼女は水の感触を受けて瞼を開ける。
そこは学院の訓練場。長時間の訓練で気を失っていたことに気が付くと、のそのそと動いて上半身を起こした。
先ほどまで床に倒れていたせいか、片側の頬が少しだけ痛い。
彼女は頬に落ちた水に触れながら。
「私、いつの間に……」
彼女が放つ魔法の氷は外気に晒された程度では溶けない。それはフィオナが相応の実力者であることの証明である。
だが、彼女が消耗しきってしまえば話は別だった。
いままで何度こうして倒れただろう。魔法の腕を磨くため、意識が消えるまで魔法にすべてを賭す時間は以前より遥かに多い。
それでも、だった。
「……これじゃ、足りない」
この夏、リシアは殻を破って剣聖となった。
だが、
……私は、何か変わったのかな。
フィオナは氷に映る自分を責める。
安直な悋気に駆られることなど一切なく、自分自身を不甲斐なく思う気持ちに尽きる。
立ち上がろうとすれば、一度ふらりと大きく揺れた身体が再び床に倒れかけた。
彼女は息を吐きながらふらつく身体を動かして、訓練場に備え付けられたシャワールームへと向かった。
熱い湯を浴びていたら、少しずつ疲れが取れていく。
帰り支度を終えたフィオナは用事のため、女子寮ではなく校舎に向かっていた。
その際、フィオナは庭園に置かれたベンチに座る少女と目が合った。
「あっ! イグナート様!」
弾み出るような快活な声で言ったのは、一年次特待クラスに所属するリズレッド・アーケイ。
七英雄の一人、偉大な魔法使いを祖先に持つ少女だ。
特徴はミルクティーに桜色が混じったような髪と、まだ夏だというのに小柄な身体を覆う魔女のローブだ。
「やっぱり! 訓練場にいたのはイグナート様だったのですね! ま、あんな純粋な氷の魔力なんて、イグナート様以外に考えられなかったですが」
「……いいえ。私なんてまだまだですよ」
「はぁ……何を言うかと思えば。イグナート様ほどの氷魔法の使い手が、妙なことを言わないでください。私のほうがくじけそうになるじゃないですか」
夕焼けを仰ぎ見ながら、炎属性の魔法使いが唐突に、
「ところで……」
何かを気にしたような表情を浮かべてフィオナに問いかけた。
「イグナート様って、どうしてそんなに魔法を極めようとしてるんです? いつもすごい鍛錬をつづけてますから、ずっと気になってたんです」
フィオナはリズレッドのように魔法使いの家系に生まれたわけでもない。
イグナート侯爵家という名門中の名門の生まれではあるが、リズレッドには、それだけが理由でフィオナがあれほどの訓練をしているとは到底思えなかった。
「自分の気持ちに嘘をつきたくないから、ですよ」
フィオナは自分の世界が一変した瞬間のすべてを、いまでも覚えている。
器割れという病に罹り、それが完治へと向かったあの日。
レンのおかげで得られた薬の効果が出て、目を覚ましたときにはじめて痛みを感じることなく起きたとき。ベッドから落ちた際に感じた頬の痛みは、フィオナをフィオナたらしめる一瞬だった。
レンとバルドル山脈で出会い、彼と山脈を下りるときに抱いた気持ち。
冬になり、学院の庭園で彼と再会したときに抱いた感情だってそう。
「命懸けで頑張らないと、いま私がここにいられる理由を否定することになっちゃいますから」
「……命懸け?」
「ええ」
リズレッドは黒の巫女の澄んだ心を知ることになる。
「世界で一番素敵な男の子に振り向いてもらおうとしてる私が、世界で一番素敵な女の子になろうとしないなんて――――そんなの嘘だと思いませんか?」
フィオナはどんな過去があって、こんな言葉を口にできるようになったのだろう。
さらけ出されたフィオナのすべてが、リズレッドの目にはまぶしく見えた。
「参考にしたかったのですが、どうやら私には早かったみたいです」
「す……すみません、抽象的なお返事になっちゃいましたもんね」
「いえ。抽象的どころか、これはこれでとんでもなく具体的でした」
ほどなくして。
彼女たちは別の話題に花を咲かせながら校舎へ向かい、職員室へと足を運んだ。
先に用事を終えたフィオナが夕焼けに染まる廊下を歩いて、今度こそ女子寮へ帰ろうと足音を響かせていた。
そのときに。
「いまの声――――」
外へ向かう途中、彼女はその先に見えた教室からよく知る二人の声を聞く。
まだ、あの二人も学院に残っていたのだろうか――――




