↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
物語の黒幕に転生して~進化する魔剣とゲーム知識ですべてをねじ伏せる~(Web版)  作者: 俺2号/結城 涼
八章・白磁の神型

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

298/316

アヴレオ法域[後]

原作、コミックスの最新刊が予約受付中です!

■原作8巻 11月17日発売

■コミックス9巻 10月23日発売

書籍版もどうぞよろしくお願いいたします……!

 外に出たときにはギルドに入る前と違い、空はもうほとんど暮れかかっていた。

 二人は一層赤くなった空を一瞥し、屋敷へ帰るため大通りの雑踏にまぎれた。彼らの距離が近かったのは人混みの多さによるものではなく、リシアがそうしていたからだ。

 肩が触れ合いそうなほど近くを歩いていたら、レンが腰に下げた短剣をリシアが見て。



「その短剣、いまも使ってくれてるのね」


「逆に使ってないと思ったんですか?」


「だって、もう何年も前に贈ったものじゃない」



 クラウゼルの屋敷で行われたリシアの誕生日パーティで、自分の誕生日にもかかわらず、リシアがレンに贈り物がしたいといい用意した短剣だ。

 いまでも時折、リシアがレンのために魔力を込める魔道具でもある。

 もちろん身に着けられないときもあるが、レンはよくこの短剣を腰に添えていた。



「同じ言葉、リシアの髪飾りにも同じことを言っていいですか?」


「ダメ。それはそれよ」



 どちらも同じ話だろうに。 

 照れくさそうに言ったリシアが咳払い。



「前にも言ったかもしれないけど、短剣じゃないほうがよかったかもって思ったこともあるの。短剣ってその……私がレンに迷惑をかけたものだし」



 短剣で迷惑をかけたというと、レンに覚えのあるイベントが一つある。

 二人がアシュトン家の村ではじめて出会った際、リシアが強引にはじめた立ち合いのきっかけが短剣の受け渡しだった。



「あー……はじめて会ったときは驚きました」


「何度も言ったけど、ごめんって思ってるんだからね! いきなり立ち合ってほしいって言っちゃったし……ついでにぼろ負けしちゃったけど……!」



 可愛らしく口をもごもごさせた白の聖女と、苦笑したレン。



「でも、俺はこの短剣をいただけてすごく嬉しかったですよ。いまでも大切なお守りだって思ってます」



 レンはこう言って譲らず朗笑した。

 リシアは自然体のレンが紡いだ言葉を受け、



「意識しないで言ってくるから、ズルいのよ」



 吐息よりずっと軽い声で呟いた。



「あと、そろそろリシアに魔力を込めてもらわないとって思ってました」


「帰ったらしてあげる。せっかくお守りって言ってもらえたんだもの。頑張らなくちゃ」



 夜空の下、リシアは声を弾ませた。

 二人が屋敷に近づくにつれて行き交う人の数は徐々に減り、もうすっかりまばらになっていた。



 道の片隅を隣り合って歩きながら、リシアがレンに聞く。



「……聖骸現象って、どう思う?」


「どう……ですか?」


「ご、ごめんなさい! 急にこんな質問されても困っちゃうわよね! やっぱり、いまのなし!」



 聖骸現象は発生原因をはじめとした多くのことが解明されていない。わかっているのは、放置してはならないということや、発生した際の対処法がいくつかだけだ。

 それは七英雄の伝説でも同じだったから、知識の流用なんてこともできない。

 しかし、リシアはそういったことを聞きたいわけではないだろう。レンは彼女の慌てた様子の奥に潜む微かな変化を見つけた。



「リシア」



 隣を歩くレンから届いたのは返事ではなく、呼び声。

 どうしたのだろうとリシアはレンを見上げた。



「もう二度と、あのときみたいにはなりませんから」


「っ――――」



 決して口にしていなかったし、顔にも出していなかった。

 それなのにリシアは、レンがまるですべてを見透かしたかのように――――いいや、確かに見透かしてその言葉を発したことに驚き、まばたきを繰り返した。



 あのときというのは、ローゼス・カイタスで剣魔と戦った際にリシアに生じた異変、彼らが天使化と表現している現象が生じたときのことだ。

 リシアは天使化が意識を奪われ、自分が自分でなくなるような感覚だったと言っていた。彼女は心の中で何者かにすべてを奪われそうになったことも覚えているし、思い出すといまでも恐れを抱かされる。



 だがレンの声に救われ、天使化はあれ以来一度も発現していなかった。



「……最近、神聖魔法の調子がよくなかったの。天使化に似てる聖骸現象のことを聞いちゃったから、少し心配になってたのかも」


「っ……それ、大丈夫なんですか?」



 レンが間髪容れずに案じ、リシアを見つめた。



「短い間だけだったからもう平気。それにさっきだって、いつもみたいに神聖魔法を使えてたでしょ?」


「それはそうですが……。けど、いまからでも診てもらいに行きましょう」


「大丈夫、もう診てもらったわ」


「え? いつですか?」


「今朝よ。レンがアヴレオ法域に行ってから。私はそのあと帝都に行ってきたの」



 腕のいい医者で、白魔法の使い手に診てもらっていたのだ。

 名を聞いてみれば、七英雄の伝説ではレンも世話になったことのある信用のおける医者だった。



「でも、何ともなかったから安心して」


「それならよかったんですが……」



 レンの返事を聞き、リシアが彼を見上げたままはにかんだ。



「ねねっ、レン」



 先ほど抱きかけた恐れはとうになく、リシアがレンに笑って問いかける。



「二度目があっても絶対に止めてくれるって、前に言ってたわよね」


「それって、ガーディナイト号に乗る前に話してた……。リシアも覚えててくれたんですね」


「忘れるはずないでしょ。でもいまの言い方、私が忘れたと思われてたってこと?」


「い、いえ、そこまでは言わないんですが」


「もう! なんかその言い方、すっっっっっっごく不満なんだけど!」



 いままでになく溜めたリシアの態度に気圧されたレンが苦々しく笑ったのを見て、僅かに留飲を下げたリシア。

 彼女は肩をレンの腕に軽くぶつけて不満を告げた(じゃれついた)。



「……でもあのときのレン、ずっと私の前に立ちつづけるって言ってたわよね。私もあれから剣聖になったんだけど」


「だとしても、変わらないですよ」



 昔と変わらない、彼のはっきりとした声。



「俺はリシアの前に立ちつづけます。何があっても、絶対に」


「……うん、そう言うと思ってた」



 リシアは何一つ恐れていない。



「だから私、もう心配してるように見えないでしょ?」



 彼らの出会いを象徴する立ち合いは、リシアがレンに短剣を渡したことではじまった。

 銀の短剣の存在が二人に当時を回想させる。

 彼らの間では、いまも銀の短剣が微かに擦れ合っていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇  




 翌日も初日のように調査を終えた。

 三日目を迎えたレンが午前中の調査を経て、アヴレオ法域と外側とを繋ぐ大橋で騎士たちと話していたところへと、



「まさか、本当にいるとは」



 近衛騎士を引き連れて現れたのは、近衛騎士団長のガルレオン・ガーディだ。



「ガーディ卿」


「うむ。皆々は某らを気にせず、責務を全うせよ」



 ガルレオンは簡潔にそう告げると近衛騎士たちに指示を出し、自らはレンの眼前に立ち彼を見た。

 清々しいほど凛々しい立ち姿と、磨き上げられた長躯はこの日も健在だった。



「こうも早く、再びそなたと会うことになろうとは」


「ですが、ガーディ卿はどうしてこちらに?」


「某は陛下の命により視察に参った。ここはローゼス・カイタスにも近く、陛下も大変気にかけておいでである。クラウゼル家の者としてそなたが派遣されたと聞いたが、誠であったか」


「私が適任だったのです。クラウゼル家で一番、動きやすいこともあって」


「ほう。先日、一介の騎士の子などと申していた男が何を言うかと思えば」



 ガルレオンは愉快そうに笑い、レンに話した。



「早速、某らもこの先へと参るとしよう」


「では、私も同行します。ガーディ卿」



 レンが間を置くことなく言えば、ガルレオンが「頼もう」と言い歩き出す。

 先日までの面々にガルレオンと近衛騎士を数名交え、橋を渡った。



 アヴレオ法域はとても広い。いくつかの山をはじめとした地形をそのまま領域内に収めており、踏破しようものなら数日では到底時間が足りないほどだ。

 この日、レンが地へ足を運ぼうとしていたのはアヴレオ法域の奥手で、特に険しい道のりを経た先に秘境が隠されていた。

 アヴレオ法域の中央を流れる清流が泉を成し、水中には人工的な石の柱が沈む。それが円状に配置された様子が、レンの目には魔法陣のようにも見えた。

 一行が馬に乗り、数時間の道のりを経て訪れたそこは清らかすぎた。



「やっぱり、このあたりにもありましたね」



 レンが誰より先に見つけ出したのは、聖骸現象に陥った飛竜だ。

 以前、彼がヴェインとセーラとはじめて会った森の中で討伐されていた魔物と違い、この地に生息している個体らしく見事な体躯。

 いままさに飛び立とうと両翼を大きく広げたまま、彫像のように変貌している。

 レンはその姿を痛ましく感じ、表情にかげりが浮かんだ。



「誠に奇怪な現象よ。これほどの飛竜種であろうと、ひとたびその現象に陥ってしまえば何もできずに命を落としてしまう」


「いつか、この現象が解明されるといいんですが」



 レンは話しながら泉のほとりへと歩を進め、飛び立つ前に聖骸現象に陥った飛竜の前へ。

 ふと――――カタ、と。



(いま、何か音が)



 飛竜が動いたように思いじっと見つめてみても、動く様子はない。

 気のせいかと思ったレンを尻目に、騎士たちも飛竜の前へやってくる。彼らは聖骸現象に陥った飛竜を適切に処理しようと動きはじめていた。

 騎士たちが支度をしている横で、ガルレオンが何の気なしに言う。



「アシュトン殿は森での行軍も慣れているようだ。こうした経験も豊富に見える」


「そう……ですね。故郷の村でも毎日のように森に入ってましたから。といっても、その森は大きな目印もあったので探索も容易だったのですが」


「森の中の目印というと、大きな地形などが?」


「剣のように鋭く、とても高い岩があったんです。困ったときはそのツルギ岩を見るように、と母から言われておりました」



 そこをシーフウルフェンが巣にして……と過去の話をはじめたところで、ガルレオンは「ふむ」と何か気にした様子を見せた。



「どうかされましたか?」


「珍しいと思っただけだ。シーフウルフェンは財宝を集めそれを隠すが故に、人目に限らず他の魔物の目も嫌う。露地を棲み処にした例は聞いたことがない」



 たとえばそう。



「その岩を気に入ったか、何か別の理由があったのかもしれないな」


「強いて言うなら、村の周辺では絶滅したと言われていた薬草があったくらいでしょうか」


「それはまた、随分と高価な薬草だったようだ」


「いえ……ロンド草なので、珍しくないかもしれません」


「む、確かに特に高価というわけではないか」



 二人が話している間にも騎士たちの支度が終わり、白い彫像のようになった飛竜を砕くため皆が剣を抜く。

 違和感は、その際に生じた。



「――――!?」



 レンはすぐさまミスリルの剣を抜き、飛竜の前にいた騎士たちの前に立った。

 それと時をほぼ同じくして、



「少年を相手に、某が踏み込みの速さで劣るとは!」



 ガルレオンが巨剣を振り抜きながら隣に現れ、魔力の壁を前方へ生み出す。

 彼が魔力の壁を作り出すのとほぼ同時に下ろされるのは、飛竜の翼。聖骸現象に陥り、命を失ったはずのその両翼である。



 衝突の際に生じた衝撃波が泉の水面を撫で、周囲の騎士たちを驚かせた。

 彼らは一人残らず実力者。

 しかし、そんな彼らよりずっと冷静に、そしてつづく攻撃へと意識を向けていた少年がいる。



「っ……どうして動いたんだ」



 そう声に出しながら、レンは消えた魔力の壁を越えてミスリルの魔剣で飛竜の首へ迫る。

 風を、音を。

 飛竜はそれらを置き去りにした一瞬の剣圧に押され、ぎぎぎ、とオイルの切れた歯車のような音を立てながら身体をのけぞらせる。



 すぐさま構えなおしたレンが見たのは、飛竜の身体から溢れ出た白銀の魔力。

 飛竜の背から同じように幾筋も生じると、それらは腕のような輪郭(シルエット)を象り、意思を持ったように動き出す。

 飛竜という魔物の存在を侮辱するかのような変貌ぶりに、レンは強烈な違和感を覚えた。



「奇怪な! このような異変の報告はなかったはずだ!」


「私も、こんなのはじめて見ました!」



 飛竜の体内から生じた白銀の魔力は燦然と輝いた。

 飛竜がそれらを大きく伸ばして扇状に広げ、何本かを地面に突き刺す。そこから大地が白く染まりはじめ、その現象が徐々に広がる。



 様子を見ている場合などではない。

 再び前方へと動いたレン。

 対してガルレオンはこの場において、唯一レンの動きについていける強者だった。



「某の杭を使え!」



 杭? と疑問を抱いたレンだったが、ガルレオンの振る舞いを見て瞬時に理解した。

 ガルレオンは帝国剣術の使い手の中では限りなく剣王に近かった。すなわち、彼以上に帝国剣術に長けた騎士は存在していない。

 彼という最強の近衛騎士が鋭い動作で何度も剣を振ることで生じた風が、飛竜の両翼と足に届く。



 風はそれらにまとわりつき、強固な鎖のように複雑に入り組んだ旋風に姿を変えた。旋風は大地を砕いてその先に届き、飛竜の足を止めた。

 それを受け、レンが刹那に。



「――――これなら!」



 ガルレオンが放った風の杭よりも疾く、レンの剣閃が飛竜を斬る。

 飛竜は地響きを伴いながら巨躯を横たわらせると、砕けた身体から魔力を解き放つ。



 そのとき、レンは唖然とした。

 どこまでも清らかな白銀の魔力が、再びレンへ。

 レンは気付けなかったが、レンの短剣へと迫っているようでもあった。

 飛竜自身の意思による行動ではないだろう。変貌した魔力に囚われ、突き動かされているような飛竜の様子には痛ましさすら漂う。



「……なんで、俺を狙って」



 当然、レンもただじっとしていたわけではない。唖然としながらもミスリルの剣を構え、白銀へと威を示す。

 戦技、星殺ぎ。

 剛剣技において魔法を断つ剣豪の証明であり、魔力そのものへも効力を発揮するもの。

 剣聖のレンが用いれば、熟練の魔法使いが放つそれすらも容易に雲散させられる。



「アシュトン殿!」



 ガルレオンが上げた声はレンにも聞こえたが、レンには応えることができなかった。白銀の魔力を断った際に強烈な頭痛に襲われ、眉をひそめていたせいで。



「こんなの、いままで一度も……!」



 星殺ぎを何度も使ったことで疲れたことくらいなら過去にもあったが、こうして痛みを感じたのははじめてだ。



 異変と、異常。

 考えすぎで頭がおかしくなりそうになりながら、レンは飛竜の様子を窺った。

 横たわった飛竜の身体からカタ、カタと音が鳴っている。それを見たレンは再び白銀が解き放たれるかもしれないと身構える。

 痛みを振り払うように前方に足を動かしたのだが、今度は違った。

 飛竜の体躯は霧のような粒子へ変わると、その白風が亡霊種(ゴースト)の如くレンへと迫る。



「な……っ!?」



 白風が再び迫る際、レンはほとんど無意識に炎の魔剣を召喚し、一瞬のうちに剣身に業火を帯びさせた。

 彼はすぐに驚きを潜ませると、引くどころか一歩前へ。

 近衛騎士たちから案ずる声が聞こえたが、見向きもしない。そのとき彼の短剣からは、温かな魔力が届いていた。



「理由を考えるのは、後でいい」



 迫る白風を見つめ、炎の魔剣を振り上げた。

 過去、リシアが名付けた戦技がその威を示す。



 その名を赤剣(せきけん)。

 赤龍に連なる炎が織りなすそれは、剛剣の性質すら内包している。

 レンが放つ一振りにより、深紅に輝く業火が波のように宙を駆ける。不可思議な白風が炎に触れれば、ことごとく炎にひれ伏した。



「どうして――――あんなことが」



 レンがそう口にする間にも、ガルレオンはすぐさまレンに近寄ってきた。



「無事で何よりだ。惚れ惚れするほどの力、この目でしかと見せてもらった」


「……いえ、大したことないですから」



 謙遜で言ったというよりは、心ここにあらずという感覚でレンが声を返す。



「某も聖骸現象に立ち会った経験は少ないが、先ほどのような事象は見たことも聞いたこともない」


「そう……ですよね」



 二人が話している間にも、飛竜の躯が横たわっていたはずの場所を騎士たちが確認すべく歩を進める。

 先ほどまでのことに意識を向けていたレンはそのままでいたが、彼はふと、自らの短剣へと視線を下ろす。



「守ってくれようとしてたのかな」



 リシアが神聖魔法を行使してくれたときのような心地よい温かさに頬が緩み、少しだけ緊張が和らいだ。

 そのおかげか頭痛も完全に治まり、落ち着いて空を見上げる余裕もできた。



 リシアの魔力が宿る短剣は、それからもずっとレンに温かさをもたらしつづけた。先ほどの聖骸現象に対し強い拒否感すら示すかのように。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 百年以上前に廃墟と化した地があった。

 そこはエルフェン大陸において数か国の国境に面しており、いまではどの国にも管理されることなく風化していく一方の街だ。

 過去には鉱物資源で賑わっていたが、枯渇するやあっという間に人が消え、周辺には魔物が生息している。



 そんな物寂しい街の中心を通る階段に、腰を下ろした男がいた。

 銀と灰を混ぜたような色の髪。

 両目を覆う絹のように滑らかな黒い布。目を凝らすと、そこには文様を思わせる刺繍が薄く施されていた。

 彼は背後に甲冑が擦れ合う音を聞き、



「マシェリアは消えた」



 甲冑の主へとそう告げた。



「記憶の禁書に吞まれたか」



 現れたのは、黒が入り混じった銀の甲冑と、騎士服にも見える衣装を合わせた姿の男だ。

 首より上は兜で覆い隠されており、その顔立ちを見ることはできない。

 長い腰布は歩くたびに揺らぎ、そこに下がる数本の長剣もまた歩くにつれて擦れ合っていた。



「いいや違う。記憶の禁書の残滓すら残されていないのなら、彼女が自らの意思で……いや、これでは呑まれたとは言えないな」


「では」


「マシェリアは記憶の禁書と同化し、そして世界から消えた。そう考えよう」



 前提が少し違う。

 言葉遊びをしたいわけでも思わせぶりに告げたいわけでもなく、事実として男はその表現が何よりふさわしいと思って口にした。



「敗けたのか、あの女は」


「そう。誰かを相手にして」


「我らの悲願に影響が出よう。何故あの女を止めなかった、アーヴェル」



 甲冑の男が口にしたのは、それまで階段に腰を下ろしていた男の名だ。



「オレの意思は伝えた。けれど彼女は、記憶の禁書のために協力してくれていただけだ。オレが彼女を教団に誘ったとき、それならと受け入れてくれた過去を忘れたのか?」



 どうせ、無理に止めても行動を共にしなかっただろう。

 現に少し前、アーヴェルがとある港町で会った際にマシェリアは言っていた。



『この知識欲を妨げることは誰であろうと許さない。たとえ、君であろうとも』



 彼女は出会った頃から、常にその姿勢を崩していなかった。



「理由はどうあれ、影響は生じる」


「それはレオメルにだ。あれほどの異常のせいで、レオメルはクルシェラを無視できていない」



 確かにそうかもしれない。

 しばし考えごとに耽った甲冑の男が本題に触れた。



「あの雫は(、、、)?」


「それなら、ここに」



 アーヴェルはシャツの中から、ネックレスのように首から下げた小瓶を取り出した。



「先日、ここの地底に一滴(ひとしずく)を与えたばかりだ」


「隣国のルヴェリサにも影響があった。遠い地へ一滴で影響をもたらしたことには驚かされる。が、それだけだ」



 含みのある声にアーヴェルが同調するように「確かに、それだけだった」と言った。

 淡々とした声を聞き、甲冑の男は微かに苛立ちを含ませたような声を返す。



「雫が際立った反応を示したことは、これまでに一度もない。いくら大地に一滴を与えて反応を見ようと、結果は同じだ」


「一度だけあるだろう。ローゼス・カイタスで騒ぎがあった日に」


「だが、私たちが生み出した反応ではない。ローゼス・カイタスで何があったのかはわからないが、あの地の力が解き放たれ、ようやく反応を示しただけだった」



 甲冑の男は問い詰めるように口を動かす。



「マシェリアは他に、何か言っていなかったのか」


「来(きた)るべき時が来れば、必ず光を放つ。彼女はそう言ってやまなかった」


「ならば待とう。――――だが、もう一つ聞かせてくれ」


「どうしたんだ、急に改まって」


「マシェリアが消えようと、揺らぐものはないか?」



 アーヴェルはいつもと変わらない。あまりに普通すぎたのだ。



「いままでだってそうだったろう。変わらないさ、何も」



 アーヴェルは冷静で、心の中は波や風が一切立たない海よりも静かだった。マシェリアが消えたことへの切なさも悲しみもなく、他にも感情らしい感情も生じない。



「自分のことすらほとんど理解できていないオレが、他者への理解を抱けるはずもない。これまでも、もしかするとこれからも」



 冷酷ではなく、冷淡でもなく、あくまで無感情。



「マシェリアが消えても、それだけだ」



 悲しさという感情が欠如しているのではなく、そもそもその類いの感情を持っていなかった。

 もし変化が訪れるとしたら、それは彼にとって世界が変わる一瞬に等しい。



「彼女ほど超然としていても、最期はヒトらしさに満ちた意思に囚われてしまう。その輝きは美しいけれど、やはりオレには理解できなかった」


「――――そうか」



 返答の多くを予想できていたのか、甲冑の男は大した反応を示さず階段を下りていってしまう。 



「聖骸現象。あれが多発しているのは、時が近い証明だと信じたいものだ」



 最後にそう言って霧の中に消えていく。



 一人。

 アーヴェルは灰色の空を見上げ、思案に耽る。



「来るべき時、君は何度もそう言っていた」



 マシェリアに問えば口癖のように返ってくる台詞だったから、忘れるはずもない。



「いつかは教団を離れるつもりだったところで、君は決して嘘をつかない」



 先ほどマシェリアのことを話したからだろうか。マシェリアが世界から消える直前に足を運んだクルシェラのことが頭に浮かんできた。

 すると同時に、アーヴェルは疑問を深めた。



 ……やはり、わからない。



 消えてしまったマシェリアではなく、クルシェラでの事柄へ。

 七英雄の末裔たちが命懸けで神殿の騒動から都市を守り、戦いを終わらせ、その地のために尽くしたという。

 そのすべてに、彼の理解が及ばない。

 人々はクルシェラを捨て、どこかへ逃げ出してしまえばよかったのだ。

 結果的にクルシェラは救いを得られたものの、それを得られる可能性は限りなく低かった。そこに七英雄の末裔たちがいたとしてもそうだ。



「クルシェラはただの一都市でしかなかった」



 命を懸けるほどのものではない。

 感情などという実体のないものによって命を失いかける。そんなのはひたすらに愚かしい。そう考えてやまなかった。



「ヒトは何故あんなにも感情に支配され、感情に突き動かされる」



 死とは謳えなくなること。

 伝説の吟遊詩人ミューディが残したその言葉にも、彼女のヒトらしさが色濃く残されている。それこそが、その言葉がアーヴェルの心に強く印象付けられた理由だった。

 もっとも、それでもヒトを理解することはいまだにできていなかったのだけれど。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
>>>書籍版もどうぞよろしくお願いいたします!<<<
k9t0jgcm7u679lcddexxirle65p1_15qj_m8_vl_inir
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。