一通の手紙。
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レザード・クラウゼル。
リシアの父にして、いまでは子爵として二つの領地を任される中立派の貴族だ。
執務室でレンを待っていたレザードの顔には、いつもと違い落ち着きに欠けた様子が垣間見えた。
「話したいことはいくつもあるのだが……」
そう口火を切りながら、いつになく切れが悪い。
不思議に思ったレンが「俺がいない間に、何かあったんですね」と言えばレザードは首肯した。
「……私の言葉で伝えるより、レンの目で見てもらったほうがよさそうだ」
レザードがレンに手渡したのは一通の手紙なのだが、レンはそれを見た瞬間からそれまで以上に疑問を抱いた。
施された封蝋の刻印は、間違いなくレオメル皇家のもの。
だが、ラディウスが時折送ってくるものとはどこか雰囲気が違っていた。
「この封蝋、皇族のものですよね」
レンは気にするように言いながら、レザードからナイフを借りて封を開けた。
取り出したのはいままで手にしたことがないような手触りの羊皮紙が一枚。それを広げてみれば、思いがけない言葉が綴られていた。
「……レザード様は、手紙の内容をご存じなんですか」
「ああ、私には別で連絡が届いている。レンが城に呼ばれたことについても先に聞かされている」
手紙を持ってきた近衛騎士から告げられたのだという。
レンが広げた手紙にはこう書かれていた。
『共に茶を嗜まんと思い便りせん。一席設け、余にもてなしの時を』
これが、そこに記された文言のすべて。
最後には皇帝の名と紋章が添えられていた。レンはそこまで目を通してから、手紙を封筒の中に戻す。
「どう思った」
「一瞬、エウペハイムとかウィンデアのことで褒美をくださるのかと思ったのですが――――」
「私もそれは思ったのだが、その文だ。文意をどう汲み取ればよいのか気にかかる」
「でも、皇帝陛下って確か――――いえ」
レンは七英雄の伝説における皇帝を思い浮かべたのだが、あまり参考にならないし、余計な困惑を招きかねないと思い言葉を改める。
「レザード様は陞爵の際に皇帝陛下とお会いになりましたよね。そのときの印象ではどう思いますか?」
「……すまない、正直、私の考えが及ばぬ領域だ」
さすがに数えるくらいしか顔を合わせていない相手の考えを、これだけの文言から汲み取れというのは無理があるだろう。
「クルシェラでの働きぶりを評価してってことなら、リシアとフィオナ様、七大英爵家の皆さんも呼ばれると思うんですが、俺だけなんですよね」
「そのことなら私も近衛騎士に尋ねている」
手紙を持ってきた近衛騎士はこう言ったという。
「いずれ陛下は、その全員にも謁見を賜るお考えだ、と近衛騎士は話していた」
ではやはり、今回はレンだけ。
意図は掴めないままだが、答えははじめから決まっている。
「いつ城に行けばいいんでしょう、これって」
「早いに越したことはないのだが――――しかし、いいのか?」
「いいのかって、別に城に行くだけですよ」
もしこれが七英雄の伝説であれば話は別だった。
七英雄の伝説Ⅱのレン・アシュトンは、リシア・クラウゼルとクロノア・ハイランドの命を奪ったことで討伐令が皇帝から発せられた。だが、いまはそんなことを考える必要は一切ないし、心配する必要もない。
かといって驚きがないわけではない。皇帝の意図がわからないせいで困惑してしまってもいた。
「あとレザード様、そもそも断れる相手じゃないですよ」
「それはそうなのだが……」
「大丈夫です。文字通りに受け止めるなら、本当にお茶を一席……ってことみたいですし」
だが、そう言いきっていいのも相手が貴族までだろう。
今回は相手が相手だから意味合いは大いに違ってくるのだが、気にしてばかりいても答えは見出せないのだし。
「けど、お茶か」
本当にそれだけのためなのだろうか。
吐息したレンは再び手紙へと視線を下ろし、今度はそれを懐にしまう。
リシアとフィオナも、何があったのだろうかとレンの様子を気にしていた。
執務室を出たレンは二人は客間にいると給仕から聞くと、自室に寄ることもなく客間へと歩を進めた。
リシアは席を外しているのか、客間にはフィオナの姿しかなかった。
入室したばかりのレンの表情を見て、フィオナは言う。
「やっぱり、何かあったんですね」
「……普段通りに振る舞えてる自信はあったんですが」
「ううん。普段より考え事をしていそうにも見えますよ」
平然と、当たり前のように。
微笑みを浮かべたフィオナへ苦笑を向けたレンは、彼女の対面のソファへ向かい腰を下ろした。
前置きらしい前置きは簡単に。
「俺に手紙が届いてたんです」
レンは話しはじめると同時にあの手紙を取り出し、テーブル越しのフィオナに差し出す。
彼女が見間違えるなどあり得ない。封蝋の紋章を見て、それが皇族どころか皇帝によるものであるとすぐにわかった。
「中も見て大丈夫ですよ」
「え、えっと……本当にいいんですか?」
「はい。ここだけの話ってことにしていただけたら……多分」
当たり前のことだが、みだりに見せていい手紙ではないからだ。
すぐにフィオナは手紙を取り出して目を通したのだが、十数分前にレンがレザードに見せたのとほとんど同じ表情を浮かべていた。
ある程度落ち着きは保てていても、いくつか疑問を覚えているのが見て取れた。
「レン君と一席ご一緒されたいってこと……なんでしょうか」
「書いてる内容通りならそうなんですが、考えてもわからないのでどうしようもない気がしてます」
「それか、エウペハイムとかウィンデアのこと……クルシェラでの事件もありますから、皇帝陛下がレン君に興味を抱かれたのかもしれませんね」
フィオナが推測をぽつりと呟いた。
「俺も思い当たることはそのくらいしかないんです。ユリシス様からもご意見をいただけたらよかったんですが」
「お父様でしたら、すぐ帝都にいらっしゃるみたいです。クルシェラのことで私とも話をしたいということみたいで」
フィオナの父、ユリシス・イグナートは大都市エウペハイムを預かる侯爵。
七英雄の伝説ではフィオナを失ったことで魔王教に与し、そのⅠにおけるラスボスとして主人公たちの前に立ちはだかった存在だ。
類まれな智謀で国内外に名を轟かせる彼の考えを聞ければ、何より心強い。
(……それかラディウスなんだけど、いまは帝都にいないみたいだし)
エステルにも相談できそうなものだが、彼女もクルシェラの件で仕事つづきらしく連絡が取れないという。
やがて夜になり、レンは屋敷の廊下で足を止めた。
星明かりに照らされた庭園を窓の外に見て、帰ってきたことを改めて実感させられる。
彼はうんと背を伸ばして空気を吸うと、おもむろに自分の手を見た。
「――――本当によかった」
いまある実感から、その言葉が口から零れ出た。
クルシェラに残されていた名無しの神殿――――いいや、遊戯の神ミセルの神殿。
神殿の最下層に残されていた、神の朧。
神の朧は、神の残滓。
世界に現存する神性の中でも特に色濃くその性質を宿したもので、一度触れてしまえば、それがただの人であるならば存在ごと浄化されてしまうほどの代物だった。
魔王教がそれを狙ったのは、ある本の完成を求めてのことだ。
それが『記憶の禁書』。
メディルの公爵により開かれ、かの国を奈落に落とすほどの力を暴走させたもの。
その本を手に現れたのが――――マシェリア。
メディル公の一人娘にして、歴史に名を刻めるほどの魔法の才能を持った女性。彼女は神の朧を媒体に、記憶の禁書に新たなページを作り出そうとした。
「……あの本、結局どんなことが書いてあったんだろ」
マシェリアは世界の秘密が書かれている、と口にしていた。
魔王教に属する彼女の言葉だったが、疑念はレンの心の中にはない。
これはどこか信頼のようなものだ。マシェリアは本という概念に対して嘘をつかない。記憶の禁書に対しては特にそうだから、そこに疑いはなかった。
それに、レンにとっては――――
『君たちの考えは嫌いだが、この世界はもっと嫌いだ。だから世界が君たちに愚かなことを望もうとしたら、そんなのは退けてしまえばいい』
『マシェリア!? それは……!?』
『また会えるときに君たちがいないのは、きっと物足りない』
マシェリアはあのとき、何かを示唆していた。
「……最後まで話してほしかったんだけど」
この言葉が漏れるのも、無理はなかった。
だが、魔王教が親切なわけもない。そんなのはどうしようもないという事実から、レンはただ愚痴を吐き出したようなものだ。
それはそれとして、マシェリアが口にしていた言葉の数々について、寝る前にも落ち着いて考えを深めたいという気持ちがあった。
喉が渇いたから冷たいお茶でも飲もうとキッチンに寄り、一杯飲み干した。
給仕がキッチンへ姿を見せたのはそのときだ。
「レン様、お茶でしたら私たちにお任せいただけたら……」
「いえいえ。ちょうど寄ったところだったので」
レンらしいと言えばそうなのだが、給仕は苦笑を浮かべた。
「先ほどは落ち着いてお話しできませんでしたが、あの騒動までのクルシェラはいかがでしたか?」
「想像してたよりずっと楽しかったです。はじめてみる綺麗な景色ばっかりでしたし」
「ふふっ、あちらはレオメル一のリゾート地ですものね。お嬢様たちもお楽しみでしたか?」
「そうですね。リシアとフィオナ様も一日目からずっと――――」
クルシェラでの過ごし方を思い返しはじめたのだが、あるときを境にレンは言葉を失った。
はっとしたような、しかし何とも言えない衝撃を覚えたようなそんな表情だった。
そのとき頭に思い浮かんだのはリシアの姿だ。
「どうかされましたか?」
「だ、大丈夫です!」
レンの急な表情の変化にきょとんとした給仕がいつもの調子で尋ねると、レンは力強く否定してしまう。明らかに何かあったようにしか見えないが、レンはそう言って譲らなかった。
「だ、大丈夫……というのは……?」
「いろんなことがあったな、って思ってただけですから! それじゃ、俺はもう行きますね!」
「あっ、レン様!?」
半ば逃げ出すようにキッチンを離れたレンは、自室に戻り窓を開けた。
涼しい夜風が頬を撫でる。
こうしていると思い出せる。クルシェラからの帰路の途中、魔導船の中でリシアがレンにしたとある振る舞いを。
「絶対……現実のはずなんだけど」
夜空には、数えきれない星々が瞬いていた。
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