第二十九話 崩倒|血塗れの兄
乎鞠の怯えた視線の先に立っていたのは、昨夜遊びに来たはずの第一王子ルシアだった。
――しかし、その姿は先ほどまでの遊び心に満ちた優男のそれとは似ても似つかない。華美な衣服はあちこちが引き裂かれ、生々しい返り血がべっとりとこびりついている。どこかの戦場をそのまま切り取ってきたかのような、異様な返り血の赤が薄暗い部屋の中で生々しく濡れていた。
「ひ……あ……っ……!」
乎鞠は完全にパニックに陥った。
頭の中では必死に「ゼノ、ゼノ……!」と名前を呼び続けているのに、極限の恐怖と喉の引き攣りで、声帯は全く震えてくれない。小刻みに震える小さな体を精一杯ベッドの端へと縮こまらせ、ただ怯えることしかできなかった。
だが、その次の瞬間。
ルシアの足元が突然ぐらりと揺らいだ。まるで内部の糸がプツンと音を立ててすべて切れてしまったかのように、彼の体から完全に力が抜け落ちる。
ドサッ――と、血まみれの体がそのまま乎鞠の眠るベッドの上へと倒れ込んだ。
「きゃっ……!」
衝撃でベッドが大きく揺れる。
一瞬、さらなる恐怖で乎鞠は身を固くしたが、すぐに目の前で微動だにしなくなったルシアの様子がおかしいことに気づいた。血の匂いが鼻をつき、呼吸は浅く、荒い。
(……え……? うそ……、血が……いっぱい……っ)
恐怖の感情は、目の前の人間が死んでしまうかもしれないという強烈な心配へと一瞬で塗り替わった。 ゼノを呼ぼうにも大きな声が出ない。乎鞠は痛む体と震える手を必死に動かし、ルシアの肩を両手で掴んでガタガタと揺さぶった。
「ル、ルシア……様……っ? ……ルシアさま、しっかり、して……っ! だ、だめ……おき、て……っ、く……」
痛む小さな体を振り絞り、辿々しく、涙声で必死に呼びかける。
助けを呼ぶこともできず、ただ目の前で倒れた血まみれの第一王子を必死に救おうと、乎鞠の小さな瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていくのだった。




