第二話 夜気|荒涼とした地で温もりを求める
得体の知れない足音にパニックを起こした乎鞠は、周囲を確認する余裕もなく、闇雲に駆け出した。
しかし、足元は不慣れな知らない土地の荒野。
ほんの数歩進んだところで視界が開け――そこが切り立った崖の縁だったことに、気づくのが遅れた。
「っ……あ……!」
踏み外した体は、なすすべもなく暗闇の中へ投げ出された。
鋭い岩肌や硬い木の根が、ただでさえ傷だらけの乎鞠の体を容赦なく打ち据える。頭を強く打ち、何度も体をバウンドさせながら、泥と石の斜面を転げ落ちていく。
ガシャアッ、と鈍い音がして、ようやくその転落が止まった。
冷たい泥の地面に横たわり、乎鞠はゆっくりと瞼を開けた。
頭が割れるように痛い。全身の皮膚が裂け、血の滲まない場所などどこにもなかった。
ふと、かすむ視界の先、先ほどまで転げ落ちていた崖の上で何かが動いた。
恐る恐る目を凝らすと、そこにいたのは巨大な四つ足の獣――だが、こちらを襲う様子は微塵もなかった。深紅の瞳でじっと乎鞠を見つめたかと思うと、音もなく闇の向こうへと走り去っていった。
ただの野生の獣だったらしい。
敵ではないと分かった瞬間、気の緩みか、あるいは遅れてやってきたかのように、耐えがたい激痛が乎鞠を襲った。
「はっ……! はぁっ……、あ、うっ……!」
声にならない悲鳴を飲み込み、自分の体を見下ろす。
――左足が、あり得ない角度へと不気味に曲がっていた。骨が皮膚を突き破りそうに飛び出している。これまでの虐待の日々でも経験したことのない、骨が砕けるような激痛だった。
さらに追い打ちをかけるように、夜気が肌を刺す。
元いた世界の冬よりも凍てつくような冷気が、剥き出しの傷口から体温を奪っていく。
(このままじゃ、凍え死ぬ……!)
どれだけ朝になれば傷が治る体だとしても、この寒さと出血多量では、夜が明ける前に命が尽きてしまうかもしれない。
恐怖に瞳を濡らしながら、乎鞠は歯を食いしばった。
折れた左足をかばい、這いつくばるように周囲を見回す。
すると、転がり落ちた崖の壁面に、小さな子供の体ならどうにか潜り込めそうな、ひっそりとした洞穴の口を見つけた。
「……っ……はぁ、はぁ……っ!」
這うたびに、砕けた左足が地面の石に擦れて火を吹くような痛みが走る。
泥にまみれ、あふれる涙と血を地面に滴らせながら、乎鞠は這いずった。出血が冷たい土にしみこむ。
――だが、乎鞠は気づいていなかった。
その幼い神と鬼の混血が流した鮮血が触れた黒い土から、ほんの一瞬で青々とした新芽が奇妙な生命力を宿して次々と芽吹いていったことを。
命の温もりを求めて、乎鞠は這いずるようにその洞穴の中へと消えていった。




