第十九話 凝視|兄と執事の確執
「な、なに勝手に入ってきてるんだよ、兄者! ちゃんとノックくらいしなよ!」
ゼノは慌てて乎鞠を背中に隠すように庇い、真っ赤な顔でルシアに猛抗議した。しかしルシアは「はいはーい、めんごめんごー」と言わんばかりにひらひらと手を振るだけで、ゼノの怒りなどまったく気にとめていない様子だった。
ルシアの興味は完全に、ゼノの背後から覗く絶世の美少女――乎鞠へと釘付けになっていた。
「ほー、すっげえな……。さっきは毛皮で見えなかったけど、なんだこのお人形さんは。すげぇ美人じゃねぇか」
ジロジロと、文字通り舐めるような視線で観察しながら、ルシアは率直すぎる感慨の声を漏らす。
ルシアのそんな視線と無遠慮な言葉に、乎鞠は恐怖と気恥ずかしさで縮こまり、びくびくと目を合わせまいと小さな顔を右往左往させておろおろするばかりだった。
(……このデリカシーのない馬鹿兄者……!)
ゼノの額に青筋が浮かび、怒りがいよいよ頂点に達しそうになったその絶妙なタイミングで、ガチャリと部屋の扉が再び開いた。
戻ってきたのは、大きめのトレイに温かいスープと料理を乗せたレックスだった。
レックスは、ゼノの部屋に土足で上がり込んでいるルシアの姿を見るや否や、スッとその目を冷たく細めた。
レックスにとって、この粗野で調子の軽いルシアは到底「次代魔王継承順位第一位」として認めたくない存在だった。彼が心から忠誠を誓い、真に魔王に相応しいと信じているのは、誰よりも知性に優れ、弱き者に寄り添う愛すべきゼノ様だけだ。ゼノが魔王の座に就いた時こそ、血と力に支配されたこの魔界の理が変わり、真の平穏が訪れるとレックスは本気で信じていた。だからこそ、ゼノの大切な領域を踏みにじるルシアの存在が心底不愉快だった。
「――ルシア様。ノック無用の無作法も大概になさってください。ここはゼノ様の自室です」
レックスは一切の笑みを排した冷徹な声音で、ルシアの無礼を冷静に非難した。そして、一歩前に出てゼノと乎鞠を完全に視界から遮るように立ち塞がり、低い声で鋭く付け加える。
「それに……そこにいるお方のお姿、万が一にも城の者や父上に口外なさらぬよう。下手に漏れれば、それはあなた自身の首を絞める致命的な失態となりますよ」
政治的な牽制を含んだその忠告に、ルシアは「うわ、怖い顔すんなよレックス〜」と、大袈裟に両手を上げて肩をすくめた。
とはいえ、ルシアはただ頭が悪いだけの脳筋というわけではない。話の分からない男ではなく、実は内心では、冷酷な魔界の王に向いているのは自分のような気楽な遊び人ではなく、聡明で胆力のある弟・ゼノの方だとうっすらと気づいていた。
「わかったよ、秘密にしとくって。脅すなよなー」
ルシアは子供のように少しだけ頬を膨らませて拗ねてみせたが、すぐに悪びれない憎めない笑顔に戻った。そして、部屋の出口へと振り返りながら、乎鞠に向かって明るく声をかける。
「お人形さん、怖がらせてごめんな? ちゃんと飯食って、元気出すんだぞ!」
ひらひらと手を振りながら、ルシアは軽やかな足取りでパタンと扉を閉めて部屋を去っていった。
ドタバタと去っていく足音が遠ざかり、部屋に再び静けさが戻ると、ゼノは「はぁ……」と大きく、深い溜息をついてその場に力なく肩を落としたのだった。




