第7話 さよならも言わずに消えるために
三学期が始まり、学園の校舎に生徒たちの賑やかな声が戻ってきた。
だが、将来の行く末が決まったマリアンヌの心は冬休み前とは大きく変わっていた。
教室や、校内ですれ違う際、フレデリックと何度か目が合った。そのたびに彼の瞳には昏い熱が宿り、何かを問いたげにマリアンヌを見つめてきたが、彼女は徹底して彼を避けた。
放課後、かつて二人が密会していた図書室への密かな呼び出しのメモも、司書を介したもっともらしい呼び出しもマリアンヌはすべて無視した。
自分の『恋』は終わったのだ。
これ以上彼と関わることは、自分の心を痛めるだけでなく、レーベン子爵家への支援を温かく受け入れてくれたミッテラン公爵家への裏切りになる。
――しかし、フレデリックがこのまま諦めるはずもなかった。
ある日の放課後。クラスメイトから、職員室への呼び出しの伝言を受け、一人で廊下を歩いていたマリアンヌは、角を曲がった瞬間、強い力で腕を掴まれた。
「っ……!? なに――」
声を上げる間もなく、素早く空き教室へと引き込まれると、バタンと大きな音を立てて扉が閉ざされた。
突然、背中を壁に押し付けられたマリアンヌを見下ろしていたのは、荒い息を吐くフレデリックだった。
「……逃げるなと言ったはずだ、マリアンヌ嬢」
マリアンヌは逃げ場を塞ぐように、ドンッと頭上の壁に両手を突かれた。
至近距離から見下ろすフレデリックの瞳には、いつもの余裕ある軽薄な笑みなど影を潜め、暗い執着と怒りが混ざり合っていた。
ドクンと跳ね上がる心臓を必死に抑え込み、マリアンヌはすっと瞳を冷たく陰らせた。
胸元に手を当て、指南書で学んだ最後の『遊び慣れた女』を演じる。
「……不躾ですわ、フレデリック様。わざわざこんな強引な真似をなさるなんて」
「黙って俺の前から消えた理由を聞きたい。あの朝、なぜ――」
「理由も何も、ございませんわ」
マリアンヌは彼の言葉を途中で遮り、凛とした声で言い放った。
「私……あなたには、もう飽きてしまいましたの。だからもう、お会いするのはやめましょう」
それが、自分に言い聞かせる嘘であり、彼を突き放すための最後の刃だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、フレデリックの口元が歪み、冷ややかな笑みが浮かんだ。
「……俺に、飽きたって?」
彼の手が伸び、マリアンヌのあごをキュッと強く持ち上げる。親指で彼女の唇をなぞりながら、低い声が耳元に落ちた。
「ふん。残念だが……俺はまだ、君に飽きてないんでね」
「っ……放してくださいまし……!」
「逃がすと思うか? 君が俺に何を隠しているのか、全部暴いてやるよ」
強引に唇を奪われそうになり、マリアンヌは死に物狂いで彼の手を振り払うと、教室を飛び出した。
胸を突く激しい鼓動と恐怖。
もし二人きりのところを周囲に見られ、良からぬ噂が立てば、せっかく決まったミッテラン公爵家との縁談が立ち消えてしまうかもしれない。
――それに何より、これ以上彼と接していたら、本当の気持ちを抑えきれなくなってしまう。
フレデリック様の執着が本気なのか、ただの気まぐれなのかは分からない。けれど、このまま学園に留まっていれば、いつか決定的な破綻を迎えてしまうかもしれない。
(一刻も早く……ここを去らなければ!)
自邸へ戻ったマリアンヌは、両親へ『繰り上げ卒業』の意思を伝えた。
ミッテラン先代公爵へ嫁ぐことの決まった自分に、これ以上の学園生活は不要であり、一刻も早く子爵家への資金援助と引き換えに先方へ嫁ぐためだ。
両親は娘からの思いがけない提案に驚き、一度きりの貴重な学園生活を奪ってしまうことに深く心を痛めた。しかし、マリアンヌの決意に押され、苦渋の思いで同意書に署名した。
さらに、身元保証人となってくれたミッテラン公爵家からも添え状を取り付け、学校側へ提出する整えを終えたのだった。
◇
翌日、マリアンヌは意を決して職員室を訪れ、担任教師へ両親の同意書を添えて『繰り上げ卒業』の相談を持ちかけた。
「繰り上げ卒業……卒業を早めるのかね?」
担任教師は受け取った書類に目を通すと、驚いたように目を見開いた。
マリアンヌが提出した両親の同意書、そしてそれに添えられた名門ミッテラン公爵家からの身元保証書と添え状を、慎重に指先で整える。
「ミッテラン公爵家からの身元保証書に、御両親の同意書か。……確かに君の成績なら学業面の問題はないが、これは私一人の裁量で決められることではない」
教師は眼鏡の奥の瞳をマリアンヌに向け、心底心配そうに言った。
「だが、これほどの書類が揃っており、君の成績も優秀だ。すぐに学園長と教員会議へ取り次ごう。承認が得られ次第、『特別卒業試験』の実施が決まるはずだ。……だがマリアンヌ君、自由に過ごせる学園生活は貴重な時間だ。本当に後悔はないのだね?」
「はい、先生。決意に迷いはございません」
「……分かった。ただし――」
担任教師は少し申し訳なさそうに言葉を続けた。
「特別措置となるため、学期末に行われる卒業式には出席できない。試験に合格した時点で君は正式に学園を修了し、籍を失うことになる。それでいいのだね?」
「……はい。望むところでございます」
卒業式に出席できなくても仕方がない……。
フレデリックに別れを告げる間もなく、完全に彼の前から姿を消せるのなら――それこそが二人にとって、最高の選択なのだから。
マリアンヌは深く頭を下げ、静かに職員室を後にした。
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