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さよなら、私の最初で最後の恋 〜『遊び慣れた女』を演じる貧乏で親孝行な子爵令嬢と、学園一の遊び人侯爵令息の後悔 〜  作者: 恋せよ恋


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第2話 指南書通りの駆け引き

 『男を落とす秘密の指南書』――その全ページを、マリアンヌは一字一句違わずに丸暗記した。


 さすがは学園でも優秀な成績を誇る優等生である。

 持ち前の高い記憶力と集中力により、手練手管《テクニック》の理論、目線の角度、会話の引き出し方は完璧に頭に叩き込まれていた。頭の中だけなら、彼女はすでに百戦錬磨の『男が求める女』であった。


(……大丈夫。知識だけなら完璧よ。あとは実践するだけ)



 放課後、夕陽が優しく射し込む庭園の四阿。

 マリアンヌは、木漏れ日の中で一人本を読む金髪の青年に狙いを定めた。


 侯爵令息、フレデリック・ドーソン。


 ドーソン侯爵家の嫡男であり、次期国王たるエドワード王太子の側近を務める人物だ。

 王太子、そしてその婚約者であるイザベル公爵令嬢とは幼い頃からの友人であり、誰もが憧れる美貌で学園の令嬢たちの視線を独り占めしている。


 女性の誘いは拒まず、けれど誰一人として心に止めない『遊び人』として有名な人気者でもあった。


 そして何より――彼には婚約者がいない。

 誰かの婚約を壊すこともなく、卒業までの一年間だけの関係なら、互いの将来にも余計な影響を残さずに済む。


(うん。やっぱり、彼しかいないわ……)


 緊張で高鳴る胸を必死に抑えながら、マリアンヌは四阿へと近づいた。



 指南書・第一章『男を惑わす距離感』を実践するため、マリアンヌはわざとフレデリックのすぐ近くで足を止めた。


「……あら、ドーソン侯爵令息様。こんなところで奇遇ですわね?」


「……ん?」


 その声に、四阿で本を読んでいたフレデリックが顔を上げた。

 その青い瞳が、眼前に立つ栗色の髪の少女を捉える。


 同じ三年A組のクラスメイトであり、常に成績上位に名を連ねる真面目な子爵令嬢――マリアンヌ・レーベンだった。


 普段は大人しい優等生の彼女が、クラスメイトにしてはあまりにも近い距離に立っていた。


「レーベン子爵令嬢? ……珍しいね、どうかした?」



(よし、次は第六章『誘惑の上目遣いと吐息』よ)


 マリアンヌはフレデリックの隣に腰掛けて身を寄せると、すっと顎を引き、指南書の指示通り、フレデリックの唇から瞳へと視線を滑らせた。

 そして、小首を傾げ、唇をゆるく開けて微笑みながら、上目遣いでフレデリックを見つめる。


 しかし――緊張のあまり、全身がガチガチに強張っていた。



「ふふふ……ええ。ただ、あなたが、一人でいらしたから……」


 声が裏返りそうになるのを喉で押し潰した結果、吐息の混じった微かな艶が声に宿り、なんとも不自然で硬い微笑みは、かえって隙のある魅惑的な笑みに映った。


 緊張で潤んだ瞳は、フレデリックをまともに見ることすらできない。それなのに、本人の意図とは裏腹に、妙に色っぽく映っていた。



(ん、なんだ……? 誘っているのか? ……学園で?)


 フレデリックは思わず眉をひそめた。


 女性の扱いには慣れきっている彼だったが、いつもは真面目で大人しいクラスメイトの子爵令嬢から、学園内でこんなふうに誘われるとは――さすがに予想外だった。



 こうして四阿で隣に座り、距離が近くなったことで、彼は初めて気づいた。

 すらりと細身の体つきなのに、女性らしい柔らかな曲線もしっかりと備えている。普段の凛とした印象からは想像していなかったその姿に、思わず目を奪われた。

 

 彼女の醸し出す空気や視線の落とし方は驚くほど魅力的だった。


(意外だな。噂は聞かないが……実はかなり遊び慣れているのか?)



 クラスの隅でいつも大人しく本を読んでいる優等生が、まさかこれほど男を誘う仕草を知っているとは。普段の彼女からは想像もつかない一面に、フレデリックは強く興味を惹かれた。



 彼は面白がり、フッと口元に笑みを浮かべて四阿のベンチに背を預けた。


「へえ。俺に用があったんだ? 優等生の子爵令嬢が俺を誘うなんて、意外だね」


(誘う?……つまり、効果はあるということね)


「……ええ。私、少し退屈していましたの」


 マリアンヌは胸に手を当て、指南書に書かれていた『あえて気のない振る舞いをする悪女』のセリフを思い起こした。



「ですから……提案がありますの。学園で噂にならないように付き合いません? お互いに、鬱陶しいことは嫌いでしょう?」


 いかにも恋愛に慣れた女のような余裕を必死に演じ、マリアンヌは気怠げな笑みを浮かべた。


 しかし、優雅な表情とは裏腹に、ドレスの下では脚が小刻みに震えていた。



「鬱陶しいことは嫌い、ねぇ……」


 フレデリックは顎に手を当て、じっと彼女を見つめた。


 マリアンヌの言葉遣いと間の取り方だけを見れば、恋愛に手慣れた女性そのものだった。

けれど、その言葉とは裏腹に、彼女の指先は小刻みに震え、声にも隠しきれない緊張が滲んでいる。


(本当に遊び慣れているのか? ……それとも、何か目的が?)


 レーベン子爵家が財政的に苦しいことは、フレデリックも知っている。

 そして、そんな彼女に現在、婚約者がいないことも。


(まさか……侯爵夫人の座でも狙ってるのか?)


 普段は目立たない優等生。けれど、その裏で何かを企んでいるのだとしたら――。

 退屈だった放課後が、一気に興味深いものへと変わっていった。


『来る者拒まず、去る者追わず』を信条とする彼にとって、彼女は久しぶりに興味をそそられる相手だった。



「いいよ」


 フレデリックは少し身を乗り出し、マリアンヌの腰を抱くと耳元で低く囁いた。


「乗った。二人だけの『秘密の関係』……楽しもうか、《《マリアンヌ》》」


「……っ!?」


 名前を呼ばれ、至近距離で囁かれた途端、マリアンヌの頭の中の『指南書』は一瞬で吹き飛んだ。


 顔を真っ赤にして勢いよく身を引いた彼女を見て、フレデリックは今度こそ耐えきれずに、声を上げて笑ったのだった。


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