第19話 船が消えた理由
カーメル家との提携が始まってから、十日が過ぎた。
マリアンヌはミッテラン家に残されていた航海記録と、王都の港に保管されている出入港記録を照合していた。
沈没した二隻と、消息を絶った一隻。
発生した時期も航路も異なる三つの事故には、ひとつだけ共通点があった。
「……やはり、偶然ではありませんわね」
マリアンヌは三枚の書類を並べた。
いずれの船も、出航直前になって当初の航路を変更していたのだ。
しかも、その指示は船長の判断ではなかった。
「ノーマン様、こちらをご覧ください」
向かいの席で帳簿を調べていたノーマンが顔を上げた。
「航路変更の指示が出された時刻と、港で記録された指示書の受領時刻です。三隻とも、変更の指示が出たのは出航前日。ところが、港の記録では、指示書を受け取ったのは出航当日になっています」
「つまり、船長が航路を変更するよう命じられた時点では、正式な書類が届いていなかった……?」
「ええ。しかも、三隻とも変更後の航路には、普段は利用されない海域が含まれています」
ノーマンの表情が険しくなった。
「しかし、誰がそんな指示を……」
「そこを確かめる必要がありますわね」
マリアンヌは、港の記録に記された指示書の差出人を指で示した。
「まずは、この人物が現在もカーメル家の取引に関わっているか、調べていただけますか」
「分かりました。すぐに確認します」
ノーマンは書類を手に取り、立ち上がった。
その背中を見送りながら、マリアンヌはもう一度、三隻の航路図に目を落とした。
事故の原因が何であれ、確かめるべきことは明確だった。
誰かを疑う前に、事実を集める。それが、亡き夫リチャードから学んだ仕事の進め方だった。
◇
翌日の午後、ノーマンが執務室に戻ってきた。
「マリアンヌ夫人、確認が取れました」
彼は一通の書簡を机に置いた。
「この指示書を発行したのは、カーメル家と長年取引している海運仲介業者です。ですが、妙なことが分かりました」
「妙なこと、とは?」
「三隻の航路変更が指示された直後、その業者は、カーメル家との契約を一方的に見直そうとしていたのです。しかも、事故の損失を理由に、こちらに不利な条件を押しつけてきています」
マリアンヌは書簡に目を通した。
事故の発生によってカーメル家の信用が低下したところへ、契約条件の変更を迫る。
偶然にしては、あまりに都合がよすぎた。
「その業者は、航路変更によって利益を得る立場にあったのですか?」
「はい。変更後の航路を使う場合、指定された別の港で積み替えを行う必要がありました。その費用を受け取る契約を結んでいたようです」
「なるほど……」
マリアンヌは書簡を机に戻した。
しかし、これだけでは、相手が意図的に船を危険にさらしたと断定することはできない。
「契約書の原本と、航路変更の指示書を確保しましょう。指示を出した理由についても、正式な説明を求める必要がありますわ」
「相手が応じなかった場合は?」
「そのときは、法に則って対処します。今は、憶測で動くべきではありません」
ノーマンは一瞬、目を見開いた。
かつて婚約していた頃のマリアンヌは、家族のために自分を後回しにする少女だった。
だが、今、目の前にいる女性は違う。冷静に事実を見極め、必要な手続きを判断し、利益と責任の両方を考えている。
「……頼もしい限りです、マリアンヌ夫人」
「ありがとうございます。ですが、これは私一人の手柄ではありませんわ。カーメル家の記録があったからこそ、ここまで調べられたのですもの」
彼女は微笑んだ。
「引き続き、協力してまいりましょう」
「ええ。よろしくお願いいたします」
二人は、再び書類に向き合った。
◇
数日後。王都の商業ギルドに、ひとつの知らせが届いた。
カーメル家が、問題となっていた海運仲介業者との契約を見直し、航路変更に関する記録を関係各所へ提出したというのだ。
その結果、業者側の説明には複数の矛盾が見つかり、正式な調査が始まることになった。
船が消息を絶った原因は、まだ明らかになっていない。
それでも、カーメル家はようやく、失われた信用を取り戻すための一歩を踏み出した。
そして、その知らせは貴族たちの間にも広がっていった。
◇
「カーメル家の件、聞いたか?」
王宮での会合を終えた帰り道、フレデリックは友人から声をかけられた。
「船の事故のことか?」
「ああ。先代のミッテラン公爵夫人が調査に協力しているらしい。記録を照合して、不審な点を見つけたそうだ」
フレデリックは足を止めた。
「マリアンヌ夫人が……?」
「そうだ。商業ギルドでも、彼女の判断は的確だと評判になっている。亡きミッテラン公爵から学んだことを、見事に自分のものにしているらしい」
友人は感心したように続けた。
「いずれ、王都でも名の知れた事業家になるかもしれないな」
「……そうか」
フレデリックは短く答えた。
彼女が評価されることは、嬉しかった。だが、もう会いに行こうとは思わなかった。
彼女には、彼の知らない仕事があり、共に歩む仲間がいる。
フレデリックは友人に別れを告げ、馬車へと向かった。
胸の痛みは消えない。
それでも今は、彼女の選んだ人生を尊重したかった。
◇
その頃、マリアンヌは新たに届いた書類に目を通していた。
カーメル家との提携は、まだ始まったばかりだ。船の事故の真相も、完全には明らかになっていない。解決すべき問題は残っている。それでも、マリアンヌは焦ってはいなかった。
かつては、家族のために自分の未来を決めた。でも、今は違う。
家族を大切にすることも、亡き夫から受け継いだものを守ることも、自分自身の人生を豊かにすることも、すべて自分で選んでいける。
マリアンヌは書類を整え、次の仕事に取りかかった。
彼女の目は、もう過ぎ去った日々ではなく、これから取り組む仕事へと向けられていた。
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