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『「俺の前では、ただの女の子でいい」――孤独な天才産婦人科医は、絶望する彼女のすべてを守りたい』  作者: 優涼


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第12話 セカンドオピニオンと、情熱のカルテ


1. 冷たい朝と、密かな訪問


すれ違ったまま迎えた朝。

マンションの食卓には、重苦しい沈黙が流れていた。


「……莉菜、今日は大学病院での当直があるから、帰りは明日の朝になる」


「はい。分かりました……お仕事、頑張ってください」


英治はどこかぎこちなく莉菜の髪に触れ、そのまま逃げるように部屋を出て行った。


バタンと閉まったドアの音を見送りながら、莉菜はぽろぽろと涙をこぼした。


(私……英治さんを困らせたいわけじゃないのに。英治さんの子供がほしいって願うのは、ワガママなのかな……)


落ち込む莉菜だったが、ただ泣いているだけでは何も変わらないと思い直した。


英治が「リスクがある」と言うのなら、そのリスクを正しく理解し、どうすれば克服できるのかを自分自身で勉強しよう――。


莉菜は帽子を深くかぶり、マスクをして、英治が勤める聖マリアンナ記念病院の産婦人科外来へと向かった。


ただし、夫である英治の診察室ではなく――事前に行動を調べておいた、副部長・高峰一樹の診察室の予約を取って。


2. もう一人の「名医」の言葉


「――小石川さん……いや、今は宮本莉菜さん、ですね。どうぞ」


診察室に入ると、30代後半の爽やかな好青年医師・高峰一樹が、温かい笑顔で莉菜を出迎えた。


「初めまして、高峰先生。……勝手に受診してしまって、すみません。英治さんには……夫には内緒で来ました」


恐縮する莉菜に、高峰はフッと優しく微笑んだ。


「いいんですよ。宮本から話は聞いています。『妻が妊活を希望しているが、自分はリスクが怖くて踏み切れない』ってね。あいつ、当直室で頭を抱えてましたよ」


「英治さんが……?」


「ええ。宮本は日本有数の産婦人科医ですが、こと『自分の愛する妻』となると、世界一臆病な患者の家族になっちゃうんですよね」


高峰は電子カルテに表示された、莉菜の手術記録と最新の超音波エコー画像を開いた。


「莉菜さん、はっきり言いますね。宮本の手術手技は芸術的です。子宮腺筋症の病変だけを綺麗にくり抜き、筋層の縫合も完璧。現在のあなたの自律神経やホルモンバランス、子宮内膜の厚さは、妊娠するのに十分すぎるほど健康な状態です」


「……っ! 本当ですか!?」


莉菜の瞳に、パッと光が宿る。


「ええ。もちろん、手術既往子宮ですから『予定帝王切開』になりますし、妊娠後期の管理は慎重に行う必要があります。ですが、妊娠を諦めなければならない医学的理由は、今のあなたには一切ありません。……リスクをゼロにすることはできませんが、それを極限までコントロールするのが、僕たち産婦人科医の仕事ですから」


高峰の力強くまっすぐな言葉に、莉菜の胸のつかえがスッと下りていくようだった。


「高峰先生……私、どうしても英治さんとの赤ちゃんが産みたいんです。英治さんに、お父さんになってほしいんです……!」


「いい顔ですね、莉菜さん。……よし、なら僕があなたの『主治医』になって、宮本を説得するためのデータを揃えてあげましょう!」


「はい! よろしくお願いします!」


3. 当直室での衝突


その日の夜。

聖マリアンナ記念病院の当直室。


デスクで論文を読んでいた英治の元に、高峰が数枚のプリントアウトされたカルテを持って入ってきた。


「宮本、ちょっと時間あるか?」


「高峰か。当直の引き継ぎなら、もう済んでいるが」


高峰は無言で、持っていたカルテを英治のデスクの上に置いた。


そこに書かれていた患者名を見た瞬間、英治の顔色が一変した。


「……莉菜のカルテ!? なぜ君がこれを持っているんだ!?」


「今日、彼女が僕の外来に来たんだよ。セカンドオピニオンを求めてね」


「なっ……!?」


英治は激怒して立ち上がり、高峰の胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。


「高峰! なぜ俺に黙って莉菜を診察した! 彼女は俺の妻だぞ! 他の医者が勝手に口を出すな!」


だが、高峰は英治の激しい威圧感にも怯まず、静かに英治の手を払いのけた。


「目を覚ませ、宮本!」


高峰の鋭い声が、狭い当直室に響き渡った。


「お前は今、夫としての独占欲と恐怖心で、医師としての冷静な判断力を失っている! 莉菜さんの現在の子宮の状態を、客観的なデータで見ろ! 彼女の身体は、もう立派に『お母さんになる準備』ができているんだ!」


「……っ」


「彼女がどれだけお前を愛し、お前との子供を望んでいるか、お前は分かっているのか!? リスクを恐れて彼女の願いを踏みにじるのが、お前の言う『愛』なのか!?」


高峰の魂の叫びに、英治は言葉を失った。


カルテに映し出された莉菜の超音波画像。


そこには、自分が命がけで縫合し、今や見事に再生を果たした、温かく柔らかい子宮の姿があった。


『英治さん……私、英治さんとの赤ちゃんがほしいです』


夕べの莉菜の切ない声が、英治の脳裏をリフレインする。


(俺は……彼女を守っているつもりで、彼女の未来を奪おうとしていたのか……?)


英治は力なく椅子に座り込み、両手で顔を覆った。


4. 溶けるアイス、深まる覚悟(R15)


当直明けの翌日。

英治は病院から直行で、マンションへと帰宅した。


扉を開けると、エプロン姿の莉菜が、少し不安そうな表情で出迎えた。


「英治さん……おかえりなさい。あの……私、昨日、高峰先生のところへ――」 


言いかけた莉菜の言葉は、英治の強い抱擁によって遮られた。


「むぐっ……英治、さん……?」


英治は無言のまま、莉菜の細い身体を押し潰さんばかりの力で強く抱きしめていた。


その身体が、かすかに震えているのを莉菜は感じ取った。


「……バカだな、君は」


英治の低い声が、莉菜の耳元で震えていた。


「夫に内緒で、他の男の診察を受けるなんて……俺がどれだけ嫉妬したか、分かっているのかい?」


「英治さん……ごめんなさい……でも、私……」


英治は抱擁を解くと、莉菜の頬を両手で包み込み、そのまま熱いキスを落とした。


いつもより強引で、激しく、莉菜の息を奪うような濃厚なキス。


「んむ……っ、あ……ふぁ……っ」


「……高峰から、すべて聞いたよ。カルテも見た。……俺の負けだ、莉菜」


英治は眼鏡を外し、愛おしさと降参の混ざった、最高に優しい笑顔を浮かべた。


「君の『お母さんになりたい』という覚悟、そして君の身体の強さを……俺は信じる。俺が主治医として、夫として、君と新しい命のすべてを責任持って守り抜く。……俺たちの子どもを、作ろう」


「英治さんっ……!!」


莉菜の目から、溢れ出る歓喜の涙。


莉菜は英治の首に抱きつき、何度も彼の唇にキスを返した。


「ありがとう……ありがとう、英治さんっ!」


「今日から、本格的な妊活のスタートだ。……覚悟しなさい、莉菜。今夜は君を逃がさないからね」


英治は莉菜を横抱き(お姫様抱っこ)に持ち上げると、そのまま寝室の大きなベッドへと向かった。


明るい昼下がりの光が差し込む寝室。


英治は莉菜の服を一枚ずつ愛おしそうに脱がせていき、彼女の全身に誓いのキスを刻んでいく。


「んっ……あぁ……英治さん……熱い……っ」


「莉菜……愛している。君の子宮に、俺たちの愛の証を宿らせよう……」


解禁された情熱。

医師としての精密な知識と、男としての狂おしいほどの愛が交差し、二人はこれまでにないほど深く、濃厚にひとつに溶け合っていった。


こうして、すれ違いを乗り越えた二人は、新たな道へと正式に歩み出したのだった。



(第12話・了)


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