第八話 クラスに敵がいる
深夜、自室の机に向かい、フレデリカはこの一週間の記録を並べていた。 毒の混入未遂、三件。 侵入者の排除、五件。 盗聴器の発見、二件。 どれも、事前に護衛クラスが察知し、事なきを得ている。だが、問題はそこではなかった。
(多すぎる。そして、正確すぎる)
フレデリカは羽根ペンの先で、こつこつと机を叩いた。
敵が学園の見取り図を持っているのは分かる。 外部から情報を集めることもできるだろう。 だが、エミールが学食に行く時間、教室を移動する経路、放課後に街へ出た日時——どれも、直前まで決まっていなかったはずのものばかり。
(外からの情報だけで、これだけ正確に動けるはずがない)
これまでの記録を一つずつ指でなぞりながら、時系列を丁寧に組み直す。 毒の混入があった日、その前後にエミールの予定を知っていた人間の範囲。 侵入者が現れた時刻と、警備配置が決まった時刻の差。すべてを照らし合わせるほどに、外部からの偶然では説明のつかない精度が、浮かび上がってくる。
結論は一つ。
(この中の、誰かが漏らしている)
窓の外に目をやると、寮の反対棟、エミールの部屋の灯りがまだ点いているのが見えた。こんな時間まで、彼も何かをしているのだろうか。ふと、そんなことが気になってしまう自分に、フレデリカは苦笑を浮かべた。
(今は、それどころではないのに)
気を取り直し、目を閉じた。 十六人の顔を、一人ずつ思い浮かべる。誰もが、これまでの任務で確かな働きを見せてきた。 信じたい気持ちと、確かめなければならないという冷静さが、頭の中でせめぎ合う。
机の端には、街で贈られた髪飾りを置いてある。着替える時に外し、箱へ戻す前に報告書を開いてしまったのだ。危険な場所を思い返すたび、その隣を歩いたエミールの手まで思い出してしまうので、フレデリカは飾りを机の反対側へ移した。
それでも、灯りが小さな金具に反射すると、目がそちらへ向く。
(しまえばいいだけでしょう)
誰に言うでもなく自分を叱り、箱を開けた。蓋を閉める前に、明日も使うのだから、と考え直してしまったのは、誰にも知られたくない。
夜が更け、一羽の伝書鳥が学園の屋根を越えて飛び去った。誰にも気づかれず、情報を運んでいく小さな翼。その羽音を、フレデリカが聞くことはなかった。
その少し前、学園の外れでは、シリルが小さな紙片にペンを走らせていた。誰も使わない旧倉庫の裏で、ランタンの灯りも点けず、月明かりに紙を傾ける。
紙面に並ぶのは、一見すると意味のない数字と記号の羅列。 だが、それは彼が幼い頃から叩き込まれた暗号だった。
〈対象、放課後の外出を確認。護衛、事前に経路を確保。反応速度、通常の警備隊とは異なる〉
次の行を書こうとしたペンが止まる。
(本当に、これでいいのか)
迷いを振り払うように、シリルは書き続けた。
〈クラス内の一部、通常の生徒とは思えない練度。特に射撃と情報収集において顕著。今後の作戦、慎重を期すべし〉
書き終えた紙片を、丸めて小さな筒に押し込む。 窓枠に止まっていた伝書鳥の足に括りつけ、夜空へ放つ。翼が闇に溶けていくのを、シリルは無表情に見送った。
(任務だ。それだけのこと)
自分にそう言い聞かせながらも、胸の奥にわずかな引っかかりがあることを、シリル自身も認めないわけにはいかなかった。
昼間、放課後の外出に付き添うフレデリカの後ろ姿を見た。 彼女が張り巡らせる警備網の緻密さ、それでいて誰にも気づかれない自然な立ち振る舞い。あれを敵として報告することに、どこかしっくりこないものがある。
(考えすぎだ)
シリルは首を振り、寮への道を戻り始めた。
翌朝。 フレデリカは、いつものように教室で生徒たちと朝の挨拶を交わすと、何気ない顔で一人ひとりを見渡す。
「おはよう」
「おはようございます、フレデリカ様」
シリルもまた、他の生徒と同じように挨拶を返す。表情に、昨夜の行動を思わせるものは何一つない。 フレデリカはその顔を見ながら、内心で密かに考えていた。
(この中に、誰かいる)
誰を疑うべきか、まだ確信はない。 だが、これまでの経緯を思い返せば思い返すほど、その可能性は消えなかった。 信じてきた仲間の誰かが、敵と繋がっている——その想像だけで、胸の奥がひどく重くなる。それでも、目を逸らすわけにはいかなかった。
窓の外を見やると、朝の光の中を、一羽の鳥が学園の外へ向かって飛び去っていくのが見えた。 その鳥が、昨夜何を運んだのかを、フレデリカはまだ知らない。 だが、確実に何かが動き始めていることだけは、はっきりと感じ取っていた。
「今日から、少し予定を変えるわ」
朝礼の後、フレデリカはダリウスにだけ耳元で囁いた。
「予定を?」
「殿下の行動予定、これからは本当のものと、偽のものを、何種類か用意する。誰にどれを伝えるか、私が決めるわ」
ダリウスは顔を上げたが、フレデリカの表情を見て、すぐに頷いた。
「——裏切り者を探す気か」
「ええ」
「胃が痛くなる話だな……容疑者が十六人もいるってことだろ」
「十五人よ。あなたは除くわ」
「なんで俺だけ除かれるんだ」
「一番分かりやすく顔に出るから」
軽口とも本気ともつかないやり取りの後、フレデリカの声のトーンが変わった。
「クラスの誰かが、敵に通じている」
その事実に、フレデリカはようやく向き合う決意を固めていた。 教室の窓越しに見えるエミールの笑顔を、これからも守り続けるために。
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