第六話 壊れる前提
「……酷いですね」
それが、
カイル・エヴァンス
の第一声だった。
王宮西棟、
北部飢饉対策本部。
机の上には、
山のような資料が積まれている。
輸送記録。
人員配置表。
残業報告。
配給申請。
緊急決裁書類。
レティシア・ヴァレンフォール
は無言で資料をめくっていた。
調査が始まって半日。
既に問題は山ほど見つかっている。
「北部支援班、実働十七名」
カイルが書類を読む。
「そのうち主要決裁処理を担当していたのは三名。実質運用は一名依存」
倒れた青年官僚だ。
レティシアは別資料を差し出す。
「こちらが業務移行記録です」
カイルは数秒見て、
眉を寄せた。
「……引き継ぎが存在していない?」
「担当者の頭の中です」
沈黙。
「信じられませんね」
「ですが現実です」
レティシアの声は淡々としていた。
慣れている。
慣れてしまっている。
さらに資料を精査する。
業務集中。
責任範囲不明。
承認経路の曖昧化。
人員不足。
そして。
「属人化」
カイルが呟く。
“その人間がいないと回らない”。
王宮全体が、
その状態だった。
「こちらの輸送管理」
カイルが別資料を指差す。
「担当官が倒れた瞬間、誰も処理手順を理解できなくなっています」
「ええ」
「しかも代替要員なし」
「教育体制もありません」
静かに事実を積み上げるたび、
部屋の空気が重くなる。
カイルは椅子にもたれた。
「この国は、有能な人材を“資源”として消費してます」
レティシアは目を伏せる。
そして静かに返した。
「ええ。壊れるまで使う」
その声には、
妙な実感があった。
窓の外では、
雨が降り始めていた。
灰色の空。
王都を覆う湿った空気。
レティシアは資料を整理しながら言う。
「優秀な人間ほど、仕事が集まります」
「当然です。成果が出る」
「だからさらに押し付けられる」
「断れない?」
「断れば回らなくなるから」
カイルは少しだけ考え込んだ。
「……依存ですね」
レティシアの指先が止まる。
依存。
その言葉は妙に鋭かった。
「皆、口では“期待している”と言います」
彼女はぽつりと呟く。
「頼りにしている、と」
前世の記憶が掠める。
“君しかいない”
“助かるよ”
“皆のためだから”
優しい言葉。
だから断れない。
「でも結局、壊れるまで使うんです」
レティシアの声が少し低くなる。
「倒れたら初めて『頑張りすぎだ』と言う」
羽根ペンを握る指先に、
少し力が入る。
「努力を美談にするから、誰も止まらない!」
その言葉は、
ほとんど叫びに近かった。
レティシア自身、
驚いたように口を閉ざす。
部屋が静まる。
彼女はすぐに表情を戻した。
「……失礼しました」
いつもの冷静な声。
完璧な制御。
しかしカイルは、
謝罪を受け流さなかった。
「怒っていいんですよ」
静かな声だった。
責めるでも、
慰めるでもない。
ただ事実を言うような口調。
レティシアはゆっくり顔を上げる。
「この状況を見て、何も感じない方がおかしい」
彼はそう言った。
その瞬間。
レティシアの胸の奥で、
張り詰めていた何かがわずかに軋む。
怒ってはいけない。
感情的になってはいけない。
常に冷静で、
正しく、
完璧でなければ。
ずっとそうやってきた。
だが目の前の男は、
初めてそれを許可した。
「……怒ったところで、何も変わりませんわ」
レティシアは小さく言う。
カイルは答える。
「変わります」
「?」
「少なくとも、“壊れていること”を見失わずに済む」
雨音だけが、
静かに部屋へ響いていた。
レティシアはその音を聞きながら、
ほんの少しだけ肩の力を抜いた。




