第三十九話 支える
改革は進んでいた。
制度は整い始め。
若手は育ち。
組織は変わり始めている。
誰か一人が倒れることでしか回らない国家は、
少しずつ終わろうとしていた。
それでも。
レティシア・ヴァレンフォール
自身は、
まだ変わり切れていなかった。
夜。
王宮執務室。
灯りは一つだけ。
大量の書類が、
机の上に積まれている。
業務改革報告。
地方監査。
教育制度運用計画。
終わりがない。
レティシアは無意識に、
全部へ手を伸ばしていた。
「それ、明日でもいいでしょう」
不意に声がした。
振り返ると、
カイル・エヴァンス
が立っている。
レティシアは反射的に答える。
「急ぎなの」
「全て?」
「……優先度は高いわ」
カイルは机を見た。
そして静かに言う。
「また抱え込み始めていますね」
レティシアの手が止まる。
図星だった。
制度は整えた。
分担も進めた。
人へ任せることも覚えた。
でも。
油断すると、
昔の癖が戻る。
“自分がやった方が早い”。
“自分が耐えれば済む”。
その思考が、
まだ身体に残っている。
レティシアは疲れたように息を吐いた。
「……簡単には治らないのよ」
その声は、
少しだけ弱かった。
カイルは静かに机へ近づく。
書類を一枚手に取り。
目を通し。
淡々と分類し始めた。
レティシアが眉を寄せる。
「何を」
「分担です」
「これは監査局」
「これは地方管理局」
「これは明日で問題ない」
あまりにも自然に、
仕事を切り分けていく。
レティシアは思わず言った。
「……私がやるわ」
カイルの手が止まる。
彼はゆっくり顔を上げた。
静かな目だった。
「あなたは」
「どうして、“自分がやる”前提なんです?」
レティシアは言葉に詰まる。
答えられない。
気づけば、
ずっとそうしてきた。
頼る前に抱える。
相談する前に耐える。
壊れる寸前まで、
止まらない。
カイルはしばらく彼女を見ていた。
やがて静かに言う。
「あなたを支えたい、とは言いません」
レティシアが目を瞬く。
予想外の言葉だった。
恋愛なら。
もっと甘い言葉を言う場面なのかもしれない。
“守りたい”。
“支えたい”。
そういう。
物語らしい台詞。
でも。
カイルは違った。
彼は静かに続ける。
「あなたが一人で背負わなくて済む仕組みを、一緒に作りたい」
その瞬間。
レティシアの呼吸が止まった。
仕組み。
彼は、
彼女を“特別な誰か”として救おうとしていない。
代わりに。
“誰か一人が壊れない形”
を一緒に作ろうとしている。
それは。
ずっとレティシアが、
国家へ求めてきたことだった。
だからこそ。
胸に刺さる。
あまりにも深く。
レティシアは、
視線を落とした。
何か言おうとして。
でも言葉が出ない。
代わりに。
ぽたり、
と。
雫が落ちた。
レティシア自身、
一瞬理解できなかった。
泣いている。
自分が。
人前で。
カイルは何も言わない。
慰めない。
慌てない。
ただ、
そこにいる。
レティシアは静かに涙を零した。
声を上げるわけでもなく。
崩れるわけでもなく。
ただ。
長い間、
ずっと張り詰めていたものが、
少しだけ緩むように。
静かに。
本当に静かに泣いた。




