第三十八話 休む権利
その制度は、
宮廷内で“敗北宣言”のように扱われた。
――医療休職制度。
過労。
精神疲弊。
長時間労働。
一定基準を超えた者へ、
強制休養を命じる制度。
導入発表当日。
会議室は騒然となった。
「甘やかしだ!」
「官僚は国家へ奉仕する存在だぞ!」
「多少の無理もできなくて何がエリートか!」
怒号が飛ぶ。
年配官僚たちは、
露骨に顔をしかめていた。
彼らにとって、
“休ませる”という発想そのものが異常だった。
苦労は当然。
倒れる寸前まで働いて一人前。
それが常識だったからだ。
会議室中央。
レティシア・ヴァレンフォール
は、
静かに資料をめくる。
「導入試験結果を報告します」
感情のない声。
「長期離脱率、三割減少」
「退職率、改善」
「復帰率は七割超」
ざわめきが止まる。
数字だった。
感情論ではない。
結果。
レティシアは続ける。
「無理を続けて潰れる方が、組織損失は大きい」
「休養は慈悲ではありません」
「維持管理です」
空気が微妙に変わる。
“人間を消耗品として扱わない”。
その発想が、
少しずつ浸透し始めていた。
だが。
制度だけでは、
人は変わらない。
若手官僚棟。
夜。
一人の新人官僚が、
大量の書類へ埋もれていた。
顔色は悪い。
目の焦点も怪しい。
それでも手は止めない。
そこへ、
ノア
が通りかかった。
彼は机を見るなり、
露骨に眉をひそめる。
「……お前、まだ帰ってなかったのか」
新人は慌てて背筋を伸ばした。
「だ、大丈夫です!」
「まだいけます!」
その言葉に。
ノアは一瞬だけ、
遠い目をした。
脳裏を過る。
飢饉対応。
倒れた先輩。
徹夜続きの執務室。
“期待してるぞ”
という言葉。
そして。
倒れた瞬間、
代わりを探される現実。
ノアは静かに息を吐く。
「……なあ」
新人が顔を上げる。
ノアは、
少しだけ声を柔らかくした。
「無理する前に相談しろ」
新人が固まる。
「でも、迷惑になりますし……」
「なる」
即答だった。
新人が絶句する。
ノアは肩を竦めた。
「仕事なんだから、誰かに負担は行く」
「でも」
彼は静かに続ける。
「お前が壊れた方が、もっと迷惑なんだよ」
新人は言葉を失う。
ノアは机上の書類を数枚抜き取った。
「これは俺が持つ」
「残りは明日相談しろ」
「今の宮廷、そういう制度あるから」
その言葉は、
少し前なら存在しなかった。
新人は戸惑いながら、
小さく頷く。
「……はい」
ノアはその返事に、
少しだけ安堵した。
昔の自分なら。
絶対に、
そんなこと言えなかった。
その頃。
廊下の窓辺で、
レティシアは外を見ていた。
帰宅する官僚たち。
以前より、
ずっと早い時間。
誰もが余裕ある顔ではない。
でも。
“壊れるまで働く”
ことだけは、
少しずつ当たり前じゃなくなっていた。
その隣へ、
カイル・エヴァンス
が立つ。
「良い変化ですね」
レティシアは静かに頷いた。
「ええ」
短い返事。
でも。
その表情は、
どこか柔らかかった。
世代が変わる。
価値観が変わる。
それはきっと。
制度だけでは起きない。
“助けを求めてもいい”
と誰かが言うことで、
初めて始まるのだ。




