第三十四話 悪役令嬢の終わり
その知らせは、
王都を一日で駆け巡った。
――第一王子アルベルト殿下と、
侯爵令嬢レティシア・ヴァレンフォールの婚約解消。
社交界は騒然となった。
貴婦人たちは扇を口元へ当て。
貴族たちは酒場で噂し。
新聞は連日その話題を取り上げる。
「やはり改革騒動が原因か」
「王太子殿下に逆らったそうだ」
「冷酷すぎたのだろう」
「可愛げのない女だったからな」
好き勝手な言葉が飛び交う。
当然のように。
“悪役令嬢”
という呼称も再燃した。
王宮廊下を歩く
レティシア・ヴァレンフォール
へ向けられる視線は、
以前より露骨だった。
同情。
警戒。
非難。
様々だ。
だがレティシア自身は、
驚くほど静かだった。
婚約解消は痛みを伴った。
けれど後悔はない。
価値観が違う以上、
いつか必ず破綻していた。
ただ。
少しだけ疲れていた。
そんなある日。
執務室へ、
若手官僚たちが訪れる。
代表らしい青年が、
緊張した様子で頭を下げた。
「お時間、よろしいでしょうか」
レティシアは書類から顔を上げる。
「どうしました」
青年は少し迷い、
やがて言った。
「……お礼を言いたくて」
予想外の言葉だった。
レティシアが目を瞬く。
青年は続ける。
「以前の宮廷だったら、俺たち多分」
「誰か倒れるまで働いてました」
後ろにいた別の若手も、
小さく頷く。
「引き継ぎ制度ができて」
「休暇申請も出しやすくなって」
「辞めずに済みました」
その言葉に。
レティシアは一瞬、
返答できなかった。
彼らは、
心から感謝していた。
華やかな称賛ではない。
革命の英雄扱いでもない。
ただ。
“壊れずに済んだ”。
それだけを、
感謝している。
青年は少し照れ臭そうに笑う。
「だから最近、若手の間だと」
「悪役令嬢って、あんまり悪口じゃないんです」
レティシアは、
思わず目を見開いた。
青年は慌てる。
「あっ、いや、失礼でしたら――」
「……いいえ」
レティシアは、
小さく笑った。
本当に少しだけ。
「気にしていません」
その瞬間。
彼女は初めて理解した。
自分がやってきたことは。
確かに、
誰かへ届いていたのだと。
だが。
当然、
反発も終わってはいない。
数日後。
王都大聖堂で行われた演説で、
アーヴィング大司教
は静かに語った。
「人は苦難を越えることで強くなります」
「困難から逃げる国は弱くなる」
聴衆は真剣に聞き入る。
老人の言葉には、
力があった。
彼は最後まで譲らない。
自己犠牲。
忍耐。
献身。
それを、
国家の美徳だと信じている。
だからこそ。
レティシアもまた、
逃げなかった。
演説後。
公開討論の場。
貴族。
聖職者。
官僚。
大勢が見守る中で、
レティシアは静かに立ち上がる。
空気が張り詰めた。
悪役令嬢。
そう呼ばれる女の発言を、
皆が待っている。
レティシアは、
ゆっくり周囲を見渡した。
そして静かに言う。
「耐えることは尊い」
場が静まる。
彼女は続けた。
「誰かのために努力することも」
「責任を背負うことも」
「決して間違いではありません」
アーヴィングも、
黙って聞いている。
レティシアは一拍置いた。
そして。
はっきりと言った。
「ですが、“壊れるまで耐える”必要はありません」
空気が震える。
レティシアの声は、
決して大きくない。
だが。
よく通った。
「倒れるまで働くことを、美徳にしてはいけない」
「助けを求められない組織は、必ず誰かを潰します」
「私は」
彼女は静かに息を吸う。
「そんな国家を、正しいとは思えません」
沈黙。
長い沈黙だった。
反発する者もいる。
納得できない者もいる。
だが。
若い官僚たちの表情だけが、
少し違っていた。
救われたような顔をしていた。
その夜。
王都の酒場で、
若手官僚たちが笑いながら話していた。
「また悪役令嬢が貴族黙らせたらしいぞ」
「怖ぇな」
「でも正直、あの人のおかげで生き延びてる」
笑いが起きる。
そこに悪意はなかった。
いつの間にか。
“悪役令嬢”
という呼び名は。
少しだけ。
意味を変え始めていた。




