第三話 地方飢饉
異変が報告されたのは、
雨季明け直後だった。
「北部地方にて大規模な凶作が発生」
朝一番で届けられた報告書を見て、
宮廷実務室の空気が変わる。
「収穫量、例年比四割減……?」
「街道封鎖も起きています!」
「避難民が南下を始めたとか……」
官僚たちの声が飛び交う。
机が動き、
書類が積まれ、
伝令が走る。
一瞬で、
王宮全体が慌ただしくなった。
レティシア・ヴァレンフォール
は報告書を高速で読み進める。
凶作。
輸送遅延。
備蓄不足。
しかも最悪なことに、
北部第三街道の橋梁補修が終わっていない。
「食料輸送は第二街道へ迂回」
即断。
「ですが輸送費が――」
「後で調整します。今は止めないことを優先して」
「は、はい!」
指示が飛ぶ。
止まっていた空気が動き始める。
皆、
無意識に彼女を中心に動いていた。
その日の昼過ぎ。
レティシアは地方支援班の仮設執務室を訪れた。
部屋の中は地獄だった。
書類。
地図。
食事の空き皿。
床に転がる資料。
誰もまともに休めていない。
その中央で、
一人の青年が机に向かっていた。
「……北部第五村落、配給数修正……」
ぶつぶつ呟きながら、
震える手で羽根ペンを走らせている。
目の下には濃い隈。
髪は乱れ、
顔色は青白い。
「彼が?」
レティシアが尋ねると、
隣の官僚が苦笑した。
「ええ。今年入ったばかりなのですが優秀でして」
青年は顔を上げた。
「あ、レティシア様……!」
慌てて立ち上がろうとする。
しかし足元がふらついた。
「座ってなさい」
レティシアは静かに言った。
青年官僚は恐縮したように頭を下げる。
「申し訳ありません。まだ集計が終わっておらず……」
机を見る。
食料配給表。
避難民推移。
輸送管理。
医療物資。
一人で抱える量ではない。
「担当人数は?」
「実質、彼が中心ですね」
別の官僚が答える。
「飲み込みが早くて助かってますよ」
助かっている。
その言葉に、
レティシアの指先がわずかに止まる。
青年は無理に笑った。
「だ、大丈夫です。期待されていますので」
期待。
その響きに、
胸の奥が嫌に冷えた。
――昔の自分みたい。
前世の記憶が、
一瞬だけ脳裏を掠める。
深夜のオフィス。
積み上がる資料。
「君ならできる」
「頼りにしてる」
「代わりがいない」
逃げ場のない期待。
「睡眠は?」
レティシアは訊いた。
青年は目を逸らす。
「……少しは」
周囲の空気が気まずくなる。
代わりに年配官僚が笑った。
「若いうちは無茶が利きますからな!」
別の男も頷く。
「優秀ですし、根性がありますよ」
「期待してるぞ」
軽い調子だった。
励ましのつもりなのだろう。
誰も悪人ではない。
だから厄介だった。
レティシアは青年を見る。
指先が震えている。
集中が途切れかけている。
それでも止まらない。
止まれない。
「……一度休憩を」
口を開きかけた時だった。
「レティシア様!」
伝令が飛び込んでくる。
「北部輸送隊より追加被害報告です!」
さらに別方向から声。
「財務局が緊急予算案の再提出を要求しています!」
「王太子殿下がお呼びです!」
一気に案件が押し寄せる。
レティシアは一瞬だけ目を閉じた。
青年官僚を見る。
休ませるべきだ。
今すぐ。
本当は。
でも。
彼女自身も、
既に限界近い案件数を抱えていた。
ここで自分が止まれば、
全体が滞る。
現場が混乱する。
避難民への配給も遅れる。
――優先順位を決めなさい。
冷静な自分が囁く。
レティシアは静かに息を吐いた。
「……無理はしないように」
その言葉しか言えなかった。
青年官僚は、
嬉しそうに笑った。
「はい!」
その笑顔が、
痛かった。
執務室を出た後も、
レティシアの耳にはあの声が残っていた。
「期待してるぞ」
それは呪いだ。
けれどこの国では、
誰もそれを呪いだと思っていない。




