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悪役令嬢は消耗しない  作者: 南蛇井


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第二話 善人型無能

王太子

アルベルト第一王子

は、理想的な人物だ。


少なくとも、

表面上は。


 


「おはようございます、殿下」


朝の執務室。


レティシアが一礼すると、

アルベルトはぱっと表情を明るくした。


「レティシア! ちょうど良かった」


窓際の机には、

また大量の書類が積まれている。


外交文書。

地方税収報告。

騎士団予算申請。

南部港湾整備計画。


未処理のまま。


 


アルベルトは人好きのする笑みを浮かべた。


柔らかな金髪。

穏やかな青い瞳。

威圧感を与えない物腰。


王宮内で彼を悪く言う者は少ない。


使用人には優しく、

貴族にも気さくで、

平民出身の官僚にも分け隔てなく接する。


だから人望がある。


 


「実は少し困っていてね」


アルベルトは困ったように笑った。


「港湾整備予算なんだけど、財務局と騎士団で意見が割れてるんだ」


「内容は確認済みですか?」


「一応目は通したよ」


“目は通した”。


レティシアは心の中だけで繰り返した。


つまり、

判断はしていない。


 


「財務局は規模縮小を希望しています。騎士団は海賊対策を理由に増額要求を」


レティシアは書類を手に取る。


「現状、南部交易路の利益率を考えれば増額は妥当です。ただし騎士団側の提出資料は精査不足ですので――」


「うんうん、なるほど」


アルベルトは感心したように頷いた。


「じゃあ、その方向で進めようか」


決定まで、

三十秒。


彼が数日悩んでいた案件は、

レティシアが整理した瞬間に終わった。


 


しかし問題は、

その後だった。


「ただ、財務局長も立場があるだろう?」


アルベルトは言う。


「騎士団長も国を思っての発言だし……うーん、双方が納得できる形にしたいな」


出た。


レティシアは静かに呼吸する。


 


誰も傷つけたくない。


誰も不満を抱かせたくない。


それ自体は美徳だ。


だが政治とは、

選ぶことだ。


優先順位を決め、

時には切り捨てることでもある。


 


「では、財務局には段階的予算執行案を提示します」


レティシアは即座に答える。


「初年度予算は圧縮。その代わり交易利益増加分を翌年度追加予算へ連動させれば、双方とも譲歩可能かと」


アルベルトの顔が明るくなる。


「さすがレティシア!」


彼は本当に嬉しそうだった。


「君がいると、全部うまくいくなぁ」


 


その言葉を聞くたびに、

レティシアの胸の奥が重くなる。


 


昼過ぎ。


今度は貴族間の揉め事だった。


東部伯爵家と西部侯爵家が、

夜会席次で対立している。


原因は些細だ。


だが放置すれば派閥問題へ発展する。


アルベルトは両者の話を聞きながら、

困ったように微笑んでいた。


「どちらのお気持ちもわかります」


それは事実なのだろう。


彼は本当に、

双方を尊重している。


だが。


「……殿下」


レティシアは口を開いた。


「東部伯爵家は昨年の軍資金提供額を理由に発言力を求めています。一方、西部侯爵家は王家との婚姻実績を重視している。論点が異なります」


「う、うん?」


「席次問題ではありません。影響力誇示の問題です」


アルベルトは目を丸くした。


貴族たちも一瞬黙る。


レティシアは続けた。


「今回は東部伯爵家を立てるべきです。西部侯爵家は既に中央人事で優遇されていますから」


「なるほど……!」


アルベルトは安堵したように頷いた。


「それなら皆納得してくれそうだね!」


 


――違います。


レティシアは思う。


納得しない。


ただ、

“損得計算として受け入れる”だけだ。


でも彼は、

それを口にしない。


理想を壊したくないから。


 


会議後、

アルベルトは廊下を歩きながら笑った。


「やっぱり、一人で抱え込むより皆で協力するべきだよね」


レティシアは一瞬だけ視線を伏せた。


 


――その『皆』に、いつも私が含まれている。


 


だが口には出さない。


代わりに、

完璧な笑みを浮かべる。


「ええ、その通りですわ」


 


夕暮れ。


執務室へ戻ると、

既に新しい書類の山が届いていた。


「レティシア様、こちら急ぎで」


「こちらも本日中に」


「確認だけお願いできますか」


次々積まれていく。


レティシアは黙って受け取る。


断らない。


断れない。


彼女が止まれば、

多くの仕事が滞ることを知っているから。


 


その時、

アルベルトが顔を出した。


「まだ仕事していたのかい?」


心配そうな声。


だが彼は、

書類の量には気づかない。


あるいは、

気づいていても深刻さを理解していない。


 


「君は本当に頼りになるな」


無邪気な笑顔だった。


悪意なんて、

一欠片もない。


だからこそ、

重い。


 


レティシアは微笑んだ。


「恐れ入ります、殿下」


 


完璧な笑み。


完璧な礼。


けれどその瞳だけが、

静かに疲れていた。

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