第二十三話 宰相崩壊
崩壊は、
あまりにも突然だった。
災害対策本部。
徹夜続きの官僚たちが、
半ば死んだ目で書類を回している。
魔導通信は鳴り止まない。
「北東部、追加避難民二千!」
「南部医療物資不足!」
「中央備蓄、残量低下!」
怒号と報告が飛び交う中。
グラハム宰相
だけは、
異様なほど静かだった。
「第五輸送路を優先」
「地方裁量を一時拡大」
「貴族派への説明は後回しだ」
淡々と。
迷わず。
国家全体を動かしている。
もはや誰もが、
彼へ依存していた。
“宰相が決めてくれる”。
“宰相なら何とかする”。
その空気が、
王宮を支えていた。
だから。
最初、
誰も理解できなかった。
グラハムの手から、
書類が滑り落ちた時も。
ぱさり。
静かな音。
宰相の身体が、
ゆっくり傾く。
「……閣下?」
近くの官僚が声をかける。
返事はない。
次の瞬間。
グラハムが、
床へ崩れ落ちた。
「宰相閣下!?」
室内が凍る。
椅子が倒れる音。
誰かの悲鳴。
官僚たちが駆け寄る。
「医療班を呼べ!!」
「意識は!?」
「呼吸が浅い!」
レティシア・ヴァレンフォール
も駆け寄った。
顔色が悪い。
呼吸不安定。
脈が弱い。
完全な過労。
限界を超えた身体が、
ついに止まったのだ。
レティシアの脳裏に、
前世の光景がよぎる。
会議室。
倒れる同僚。
救急搬送。
同じだ。
全く同じ。
「担架を!」
怒声が飛ぶ。
グラハムは運ばれていく。
だが。
本当の地獄は、
その後だった。
数十分後。
災害対策本部は、
完全に停止していた。
「この案件、誰の承認が必要なんだ!?」
「宰相閣下です!」
「代行権限は!?」
「わかりません!」
混乱。
書類が止まる。
決裁が止まる。
命令が止まる。
国家中枢が、
急速に麻痺していく。
皆、
初めて理解した。
“グラハム宰相一人”
で、
国家が回っていたのだと。
さらに最悪だったのは。
「これ……宰相しか分からない案件です」
若手官僚の声。
室内が静まる。
机の上には、
大量の未処理書類。
だが内容が、
誰にも理解できない。
独自符号。
省略記法。
口頭前提の調整記録。
完全な属人化。
「輸送優先順位の基準が不明です!」
「地方派閥との裏調整記録がない!」
「この決裁条件、誰も知らないぞ!?」
地獄だった。
有能すぎる人間ほど、
全部を自分で抱えてしまう。
そして周囲も、
その方が楽だから任せる。
結果。
その人が倒れた瞬間、
組織そのものが死ぬ。
レティシアは、
青ざめた官僚たちを見渡した。
誰も動けない。
皆、
“判断できる人”を探している。
そして。
ゆっくりと。
視線が集まり始めた。
一人へ。
レティシア・ヴァレンフォール
へ。
“レティシアなら”。
“彼女なら何とかできる”。
その期待が、
言葉にならないまま空気を満たす。
レティシアは静かに、
その視線を受け止めた。
胃の奥が、
冷たく沈む。
まただ。
また。
組織全体が、
一人へ寄りかかろうとしている。




