第二十一話 有能な人間
災害対策本部は、
もはや眠っていなかった。
昼夜の境界が消えている。
机。
書類。
怒号。
魔導通信。
誰もが疲弊しながら動き続けている。
その中心にいる男を、
レティシア・ヴァレンフォール
は静かに見ていた。
グラハム宰相
王国宰相。
国家中枢。
六十を越えた老齢。
だが姿勢は鋭く、
眼光は未だ衰えない。
彼は異常な速度で、
書類を処理していた。
「北部物資輸送、第三経路へ切り替え」
「西部騎士団を南側へ再配置」
「貴族派への補償説明は私が行く」
判断が速い。
迷わない。
しかも正確だ。
通信士たちが次々報告を持ち込む。
「第六避難区域、食料不足!」
「備蓄庫を開放しろ。責任は私が持つ」
「中央貴族会議が抗議を――」
「後回しだ」
「輸送許可証不足!」
「仮承認で通せ」
一切止まらない。
災害対策本部そのものが、
彼を中心に回っていた。
周囲の官僚たちは、
半ば呆然としている。
「あの方、寝てるのか……?」
「昨日からずっといるぞ」
「化け物だろ……」
実際。
化け物だった。
超人的な処理能力。
圧倒的責任感。
誰より働き、
誰より決断している。
だから皆、
安心してしまう。
“グラハム宰相がいるから大丈夫”
と。
レティシアはその光景を見ながら、
胃の奥が冷えていくのを感じていた。
嫌な既視感。
完全に。
昔の自分だ。
夜明け前。
ようやく一段落した隙に、
レティシアはグラハムへ近づいた。
「宰相閣下」
「何だ、レティシア嬢」
グラハムは視線を資料から外さない。
机の上には、
未処理案件が山積みだ。
「少し休息を」
「不要だ」
即答。
レティシアは眉を寄せる。
「既に三十時間以上連続勤務です」
「まだ動ける」
聞き覚えのある台詞だった。
危険信号。
「判断精度が落ちます」
「落ちていない」
「自覚できない段階が最も危険です」
グラハムはそこで、
初めて小さく笑った。
「監査官殿に似てきたな」
後方で書類整理していた
カイル・エヴァンス
が、
無言で視線だけ向けてくる。
たぶん同意している。
レティシアはため息を飲み込んだ。
「今の王国は、閣下一人へ依存しすぎています」
それが問題だった。
判断。
調整。
決裁。
派閥制御。
全部。
全部が、
この男へ集中している。
もし倒れれば。
国家そのものが止まる。
だがグラハムは静かに首を振った。
「それでも回さねばならん」
低い声。
「今この瞬間にも民が苦しんでいる」
彼は疲弊しているはずなのに、
目だけは鋭かった。
「誰かが責任を負わねば、組織は動かん」
レティシアは言葉を失う。
間違っていない。
実際。
彼がいるから、
現場は動いている。
彼が決めるから、
混乱が繋ぎ止められている。
だからこそ危険だ。
有能な人間ほど、
組織の穴を埋めてしまう。
そして周囲は、
そこへ依存する。
結果。
その人間が壊れるまで、
負荷は増え続ける。
前世で何度も見た。
そして。
自分自身も、
そうだった。
レティシアは静かに言った。
「閣下が倒れたら、この国は機能停止します」
グラハムは数秒黙り、
それから淡々と答えた。
「だから倒れるわけにはいかん」
死亡フラグだった。
あまりにも。
あまりにも典型的な。
レティシアの背筋を、
冷たいものが走る。
だが周囲の官僚たちは、
その言葉に安心したような顔をしていた。
“宰相なら大丈夫”。
そう思っている。
かつて。
“レティシアなら大丈夫”
と言われ続けたように。




