第二十話 止まる行政
洪水は、
一夜で災害へ変わった。
北東部大河川決壊。
そこから連鎖的に、
周辺地域が水没していく。
村落浸水。
橋梁崩落。
街道寸断。
被害報告が、
次々と王都へ流れ込んだ。
「第三避難所、収容限界!」
「食料輸送隊、橋崩落により停止!」
「西側街道、完全水没!」
「通信塔倒壊、連絡不能区域発生!」
災害対策室は混乱していた。
怒号。
足音。
書類の山。
誰もが走っている。
なのに。
何も進まない。
「避難区域拡大申請です!」
「備蓄開放許可待ちです!」
「現地騎士団が独自行動許可を――」
全部。
許可待ち。
レティシア・ヴァレンフォール
は、
高速で報告書を捌きながら顔をしかめた。
異常だった。
現場が全く動けていない。
理由は単純。
“勝手に判断すると責任問題になる”
から。
「北東第五区、避難開始してません!」
若手官僚が叫ぶ。
「なぜ!?」
「正式許可待ちです!」
レティシアの手が止まる。
「……は?」
「現地責任者が独断を避けて――」
「水は待ってくれないのよ!」
鋭い声が飛んだ。
室内が静まり返る。
レティシアは珍しく、
露骨に怒っていた。
「河川決壊から何時間経ってると思ってるの!?」
若手官僚が青ざめる。
だが問題は、
彼ではない。
もっと深い。
組織全体の病だ。
責任回避。
上の指示待ち。
中央依存。
誰も決めない。
だから止まる。
カイルが隣で静かに言った。
「現場責任者が萎縮していますね」
「ええ」
レティシアは低く答える。
「“判断した人間が叩かれる組織”の末路よ」
地方からの通信記録を確認すると、
状況はさらに酷かった。
『独自判断可能範囲確認申請』
『物資転用許可願い』
『避難所追加設営承認待機』
全部、
中央への問い合わせ。
つまり。
中央が詰まれば、
現場は停止する。
今まさに、
その状態だった。
午後。
通信局。
魔導通信士たちが悲鳴を上げていた。
「回線が足りません!」
「同時申請が集中しています!」
「確認待ち案件、六百超えました!」
地獄。
確認渋滞。
レティシアは高速で資料を読みながら、
唇を噛む。
これはもう、
災害対応じゃない。
“中央集権システムの崩壊”
だ。
その時。
地方役人との通信が繋がった。
水音混じりの不安定な声。
『こちら北東第七区役所!』
『避難所が不足しています!』
『食料備蓄を開放したいのですが許可が――』
レティシアは即答した。
「開放しなさい!」
通信相手が止まる。
『……ですが正式決裁が』
「人命優先です!」
『後で責任問題に――』
その瞬間。
レティシアの感情が、
ついに爆発しかけた。
「今この瞬間に人が死んでるのよ!!」
室内が凍る。
彼女の怒声。
珍しい。
「責任問題!?」
「処分!?」
「そんなもの、水に流される人間より重要なの!?」
通信相手は言葉を失った。
レティシアは荒く息を吐く。
怒っている。
でも同時に、
理解もしていた。
地方役人が悪いわけじゃない。
そういう文化なのだ。
勝手な判断をした人間が叩かれる。
責任を取らされる。
だから皆、
動かなくなる。
結果。
組織全体が止まる。
夜。
王宮は完全な戦場だった。
官僚たちが走り回る。
書類が積み上がる。
通信が鳴り止まない。
そして。
気づけば。
大量の案件が、
一点へ集まり始めていた。
レティシア・ヴァレンフォール
の机。
「こちらもお願いします!」
「判断を!」
「至急確認を!」
山積み。
誰もが無意識に思っている。
“レティシアなら何とかする”
と。
彼女は静かに、
その書類の山を見つめた。
胃の奥が冷える。
知っている。
この光景を。
全部が一人へ集中していく感覚。
有能な人間へ、
組織全体が依存していく地獄。
第一章で壊しかけた構図。
それが今。
国家規模で、
再現されようとしていた。




