【特別章】みらいのおはなし後編②
私と同じ、燃えるような赤い髪をしていた。
あまり愛嬌の無い、ほっそりとした顎に控えめな唇、切れ長気味の怜悧な目。瞳の色は明るい山吹色だ。飾り気のない旅装束で、お化粧もしていないらしく、白い肌にはたくさんのそばかすが浮き出て見えている。それでも、息を呑むほどに美しい人だった。
しなやかな手が、パパの大きな手に重ねられる。夫を信頼しきっている手つきで、彼女は馬車のタラップを降りてきた。
とても背の高い女性だった。だけど記憶にあるよりは――半年前に別れた時よりは、身長差を感じない。私の顔を見つめて、彼女は――マリー・シャデランは――ママは、囁くように言った。
「ただいま。大きくなったわね、エリーザベト」
「――ママ‼」
私は母に飛びついた。
私の体重を受けて、おっとっととよろめくママ。それをパパがさっと支えた。
「危ない。リサ、気をつけて。マリーはまだ体調が万全ではないんだから」
私を叱るように言うパパ。ママはそんなパパを叱るように、「めっ」と人差し指を突きつけた。
「仕方がないわ、キュロス様。リサとは半年も離れていたんだもの」
「しかし……」
「もう大丈夫、わたし、すっかり良くなったのですよ」
ママはニッコリ笑って言った。その笑顔は本当に美しくて、可愛らしくて……パパは顔を赤くし、引き下がるしか無かった。
どうやら家の力関係も妻のほうが強いらしかった。
「さあリサ、おいで! 寂しかったでしょう? もうママ、どこにもいかないからね」
「ママ……!」
私は今度こそママに抱き着いた。ママはすぐにぎゅうぎゅうと、私を抱きしめ返してくれる。
あったかい、柔らかい、いい匂い。ママ、ママ、ママの抱っこってこんなに気持ちよかったのね。たった半年前には毎日こうしてハグをくれていたのに、離れている間に忘れていた。
ママ、ママ……大好き! 大好き!
ああどうしてママが生きてるの? とっくに死んでしまったのだと思っていた。
あの夜、パパとウォルフガングが話していたのは何? 私が悪い夢を見ていただけ?
だったらどうしてママは半年も帰ってこなかったの? 私とパパを置いて出て行ってしまったの?
どこへ行ってたの? 何をしてたの? 私のこと覚えてた? 私のことまだ好きでいる?
愛してるママ、ママ、私のこと愛してる⁉
いっぱいの疑問といっぱいの感情が、お腹の中からどんどん溢れて、溢れて、止まらない。私は結局何も喋ることが出来なくて、ただわあわあと意味の無い声を上げ続けた。涙がぼろぼろ零れ落ちて、顎までびしょびしょになっていく。
ああ私、もう六歳なのにね。こんな赤ちゃんみたいに泣くような、ワガママな子じゃないはずなのに。
この悲しみを、寂しさを、愛おしさを、思い知れとばかりに私はママの胸に頭をグリグリし、猛烈に甘えながら泣きじゃくった。
ママは黙って私を抱きしめてくれた。時々、背中をポンポンと、ゆっくり叩いて慰めながら……。
「ごめんねリサ……。本当に寂しい思いをさせて。離れていた理由をちゃんと話すこともできなくて……」
正直もう、理由なんてどうでもよかった。
「この城を離れた時、パパや侍従達と相談したの。わたしがここへ戻ってこれるのは、何年も先になるかもしれない。もしかしたら二度と、帰ってこれないかもしれない。そうなった時のため、ただの旅に出ていることにしようって。いつかあなたが、母の死を理解できる年になるまでは――」
……死? 帰ってこれないかもしれないって?
それって……やっぱりあれは夢じゃなかったのね!
「ママ、病気だったの? それでどこかに入院して、治療をしてたのね?」
しゃくりあげながらも私が聞くと、ママはなぜか、フッと笑った。
何かとても、幸せそうに。
「三分の一くらい当たり、他はハズレ。この半年間、ママはね――」
――と。その時。
ママの後ろ、馬車の中からもう一人、ひょっこりと簡単に顔を出した。
……知らない顔だった。
小柄な女性だ。暗い栗色の髪を二つに編んでいる。無表情で、感情が全く分からない。でも青い瞳は意外とつぶらで、小動物じみた愛嬌があった。
彼女は私の顔を見ると、軽く頭を揺らす程度に会釈した。
「どうも、エリーザベト様。初めまして……ではないのですが、覚えてらっしゃらないでしょうか」
「え……わ、わかんない。誰……?」
「ミオと申します。以後、お見知りおきを」
ミオ――あの、噂の侍女?
何年も前にここを辞めたはずのひとだ。それなのにどうしてここに……いやそれよりもその手に持っているものは……小さな人間、赤ん坊が二人いるのは、何なの?
それを見て、真っ先に声を上げたのはセドリック叔父様だった。
「――えーっ! マリーお姉ちゃんの子、双子だったのーっ⁉」
ママの子?
弟の叫びを受けて、パパが微笑む。
「そう。だから難産だったんだ」
「ええホント、お腹の膨らみ方が異様に早いし大きいし、重くて苦しくて、本当に死んでしまうかと思ったわ……」
ママも苦笑い。するとミオは、大真面目な表情で言った。
「実際、心配しすぎだったということは無いでしょう。多胎は母体への負担が大きく、事故の確率が高まります。オラクルの世界最高の医療施設でなければ、安心して出産に臨めなかったかと」
「そうなのよー。母体がもう一回り小柄な女性だったら、本気でお腹を切らなきゃいけないところだったわ」
「ああやめてくれ、想像したら全身から血の気が引く……」
パパが頭を抱えてうずくまった。
――ええ……ええとつまり、ママが半年も城を空けて外国に行っていたのは、入院して、双子の赤ちゃんを産むため?
ミオが辞めたのもそのサポートのためで……産み終わったら当然、みんな帰ってくる予定だったってことで……。パパもそれは全部知っていたはずで――。
「……って、だったらなんでパパはあんなに落ち込んでたのっ⁉」
私が叫ぶと、パパは真っ赤になって首を振った。
「な、何を言うんだ。そ、そんなことはないだろう」
「いやそんなことありまくったわよ! 毎日毎日ママの服や靴を眺めては溜め息ついたり涙ぐんだりっ!」
「えっキュロス様、わたしの服や靴の処分、しておいてくださらなかったの? 産後しばらくは着られないから、一度生地にバラシてしまおうって話していたのに」
「うっ、それはその、やっぱり、ハサミを入れるのが心苦しくて……」
「あらどうして? また仕立て直せばいいだけじゃない」
「いやその――思い出の記録というか。君を思い出す時、着ていたドレスや小物があれば解像度が上がるから……」
「…………はい?」
「ごめんなさい」
パパは素直に謝った。
どっと笑い声が上がる。
アナスタジア伯母様や、周囲の侍従達もみな、お腹をかかえて笑い出す。
そんなに大笑いするほどのことじゃないって、私もみんなも分かっていたけれど、笑いが止まらない。ママが帰ってきたことが嬉しすぎて、いっぱい笑っておかなきゃ気持ちが収まらないんだ。
ああ、良かった……。ママが帰ってきて良かった……。
「リサ。赤ちゃん、抱っこしてみる?」
ママが身を屈め、腕の中にあるものをわたしに見せてくる。私は思わず息を呑んだ。そこには、信じられないほど小さな二つの命がいた。
二人とも、フワフワの布にくるまれて、眠っているようだった。薄い産毛が頭にふわっと生えていて、頬はほんのり赤い。ちっちゃな口が時折もごもご動いている。指なんて木の芽みたいに細く小さくて、触れるだけで潰れてしまいそう。
「う……うわああ……」
「可愛いだろ?」
パパはそう言ったけど、私はナントモイエナイ顔をしてしまった。
だって可愛いっていうか、もうなんというか……小さい、ひたすら小さい。小さすぎて怖いくらい。
「二人とも男の子よ。あなたの弟たち」
「な、名前は……?」
「まだちゃんと命名はしてないの。良かったらリサ、一緒に考えてくれる?」
私はまだ呆然としながらも、頷いた。
その拍子に、まだ目に貯まったままだった涙粒がぽとんと落ちたけど、新しい涙は湧いてこなかった。
みんなで部屋に移動して、ソファに座り、両手に赤ん坊を抱かせてもらう。
弟たちは、普段私が遊んでいるぬいぐるみよりも一回り小さかったけど、ずっしりと、前のめりになってしまうほどに重かった。不思議だ。生きてるって不思議だ。生まれてくるって不思議だ。
すやすやと静かに眠っている赤ん坊、穏やかに笑っている両親――ただただ平和で退屈な時間、なのに、今朝までになかったものが私の胸に生まれている。
……そっか。これが幸せって言うやつなのね。
私の腕の中で眠る、ちっちゃな弟達。規則的に上下する胸の動きを見つめていると、私はなんだか、とても誇らしい気持ちになった。




