終章 笑って終わりましょう、なにもかも
夕暮れの平原を、連なる馬車が進んでいく。
南の山の向こう――ディルツとの国境に向かって、ゆっくりと。
前から二番目を行く馬車――ルイフォン様が操る騎士団の戦馬車には、頑丈な外鍵が掛けられている。車室には手足を拘束された、彼の実兄が収容されていた。
ヤンは四台目の馬車、ハドウェルさんが操る馬車の中に居る。
彼らはこれからオラクルの帝都に運ばれて、公の組織に引き渡される。
……そうすると、彼らはオラクルの法で裁かれる。ディルツの王子も、等しく。
途中、食事休憩のため一度、馬車を停めた。
車室には彼らを閉じ込めたままだから、安心して寛ぐまではできなかったけど、焚火を囲みながら、少しだけ雑談をした。
「……これで、ライオネルが王家を追放されたことが公になるな」
キュロス様が独り言みたいにつぶやく。視線は焚火を見つめたままだったけど、問いかけはルイフォン様に向かっていた。
「おまえは、それでいいのか」
一度だけ尋ねたキュロス様に、
「そのほうがいいのさ、きっと」
ルイフォン様は一度だけ、そう答えた。
ハドウェルさんは、何度もわたし達に謝罪と礼を言っていた。
つたないディルツ語とオラクル語の筆談とを混ぜこぜにし、長い時間をかけてでも、なんとしても伝えなくてはと気負っているようだった。
「今回は、何もかも世話になってしまった。貴殿のおかげで、家族を助けることができた」
ハドウェルさんの妻子は、ダッチマン公爵の手引きで速やかに解放された。そして家族で感動の再会もほどほどに、彼女らの健康状態が心配されたため、島の医療施設に保護された。
一緒に自宅に帰れるのは、数週間の入院を経てからになるという。
それでもハドウェルさんの表情は晴れやかだった。
「貴殿らは命の恩人だ。このご恩、いったいどう返していけばいいものか……」
「気にすることじゃない。むしろこちらの私闘に巻き込んでしまったと言えるしな。いいとこ共闘って所だろう」
キュロス様が言うと、ハドウェルさんはクスリと笑った。
「やはり、あなたは立派な人だ、キュロス・グラナド卿。後ろにいる人達が、それを示している」
そう言って、彼はキュロス様の背後を指さした。
そこにはわたしとミオ、トマス、ルイフォン様、アンジェロさんが居た。
ハドウェルさんはキュロス様以上に背が高いから、きっとその場にいる全員が目に映ることだろう。
「……俺は、あなたほどの商売人ではないが、それでも長年やってきて、思うことがある。経営とは、信じるものを選ぶことだ。価値のあるもの、未来の展望、そして付き合う人を見定めることが必要だと――あなたは、良い仲間に囲まれている」
「僕は別に、仲間ってわけじゃないぞ。どちらかというとキュロス君とは永遠のライバルって感じだな」
ルイフォン様が言ったけど、誰も特にツッコミはしなかった。だってどこの世界に、遠路はるばる助けに来てくれるライバルがいるというの?
「拙者はまごう事なきキュロス殿の仲間、もはや親友と言っていい間柄でござるな」
「いや待てそれは絶対違う、俺にとってはライオネルなんぞよりおまえらミズホ組のほうがよっぽど脅威だっ」
「あのアンジェロさん、さすがに親友というのは、もう先約がありますので……」
「ていうかキュロス君、ずっと思ってたけど誰これ? なんかこの、嘘くさい笑顔が妙に既視感あるというか、うさん臭くてすごく気持ち悪いんだけど」
「ふむ、同族嫌悪ってやつでござろうな」
「ぜんぜん違うっ!」
キュロス様はかつてないほど大きな声で、全力で否定した。
その向かい側に座っているのがミオと、トマス。
……ミオは一度、アンジェロさんに怪我を負わされたと聞いている。何か思うところがあるだろう、何を言うかな……と、二人の会話に耳を澄ましてみると。
「いつもの光景ですね」
「ですねえ」
ほっこりとした口調で、そんなことを話していた。
トマスはいつもののんびりした表情で、焚火にパンをかざし、あたためていた。やがて出来上がったそれをちぎって、口に入れる。
「なんというか、僕の知っている『グラナド城』って、建物は関係ないのかも。旦那様がいてマリー様がいて、ミオ様がいて……あとなんやかんや仲のいい人達が揃っていれば、そこは我が家っていう感じがします」
「そうですね」
もぐもぐしながら話すトマスの手から、残りのパンを強奪し、ミオは頷いていた。
「私にとってはそこにあなたもいますよ、トマス」
そう言って、大きなパンを丸ごと口に入れた。
アンジェロさんも目を細めている。
「家族とは良きものでござるな。拙者も早くイプスに戻って、我が主とその御子を抱きしめたいでござるよ」
「おまえ、普通そこは愛しい妻子っていうもんじゃないのか?」
「夫婦ではないし、たとえ夫婦になってもカエデ様は我が主でござるゆえ」
キュロス様は呆れたように半眼になってから、ふっと視線をハドウェルさんへと向けた。
ニッコリと、ちょっとだけ意地悪な笑みを浮かべて、
「ハドウェル、国王陛下への報告にだけ同席してくれたら、そのあとはすぐに帰っていいぞ。オラクルにはおまえの家族、可愛い子どもと恋女房が待ってるんだから」
キュロス様が言うと、ハドウェルさんはほんの少し頬を染めた。その脇腹をアンジェロさんがツンッと突いた。くすぐったくて飛び上がるハドウェルさんに、わたしも笑ってしまった。
明るい笑い声の中、キュロス様はハドウェルさんに微笑んだ。
「報告に大した時間はかからないよ。ハドウェル商会は共犯者ではなく脅迫の被害者だと、俺が陛下に進言する」
「……ありがとう。あなたには、とてもたくさん迷惑をかけた……」
「気にするな。恩返ししてくれるなら、おたくとの商売取引をする時にちょっと色を付けてくれるだけでいいぞ」
ニヤリと笑って言うキュロス様。
ハドウェルさんはびっくりしたように目を丸くした。
「い……いいのか? うちは小さな商会だぞ、あなたのところとは比べ物にならない。取引しても、あなたにとって大した利益は……」
「いいよ。ちょうどオラクル国との貿易にも興味があったしな」
「しかし……本当にいいのか? 今よりさらに事業の手を拡げたりして。今以上に忙しく、世界中を飛び回ることになるぞ」
「もちろん、承知の上だが」
「あなたにも妻と子が。それに今回の俺のように、何かあったら……」
ハドウェルさんの言葉を遮るように、キュロス様は手を翳した。
それから彼はわたしを振り向いた。
凛々しい眉の下、甘く垂れた緑の瞳で、まっすぐにわたしを見つめて。
「着いてきてくれ、マリー。世界中のどこまででも、俺と一緒に」
「……キュロス様」
「辛い旅路を行くこともあると思う。でも、置いて行かない。そばにいてくれ。そうしてくれたら、俺が必ず守るから」
わたしは即答した。
「ええ、もちろん。あなたがそばにいてくれるなら、不安などなにもありません。
それにわたし、世界中を旅してまわるのが、子どもの頃からの夢だったの!」
――うん、これでいい。これがいい。
わたしも顔をほころばせた。そうして初めて、自分がずっと顔をこわばらせていたと気が付いた。
ああわたし、ここしばらくはずっと眉をしかめて、難しい顔をしていたのね。
やっと心から笑顔になれて、全身の緊張もほぐれていく。
なんだかすごくスッキリした気持ちだわ。お腹の当たりにあったモヤモヤがすっきりさっぱり晴れたような。
嬉しくて、可笑しくて……笑ってしまう。
大きな大きな声をあげて、わたしは笑った。




