夢の中のつわもの
ミオが案内してくれたのは、イルダーナフ島の北の果てだった。
鉄鉱石の発掘所――かつては賑やかで、たくさんの炭鉱夫やその家族が暮らしていたのだろう、家屋や商業施設の跡らしきものがある。だけど今は誰もいない。ただただ静かで暗い……廃村だった。
なぜ、どうやってここを突き止めたのかと尋ねたら、ミオは黙って地面を指さした。
柔らかい土に、たくさんの足跡がついている。やたらと大きくて、えぐれて見えるほど深く沈んだ足跡だった。……十人くらいの全身鎧集団。なるほど、と納得し、着いていく。
着いていくのはわたしとキュロス様、そして縛り上げられたままのヤンだけだった。ハドウェルさんとアンジェロさんは、ダッチマン邸に向かった。誘拐された二人が救出されたなら、他のことは構ってられないという、さもありなんということだった。
しばらく廃村を進むと、やがて異様な光景が目に飛び込んできた。廃屋が並ぶ街、その一角に、全身鎧の集団がいたのだ。それもなぜか全員、その場に座り込んでいる。
近づいていくと鎧のハザマから見える衣装に、オラクルの伝統である派手な柄の布地が見える。間違いない、かつてグラナド城に押し入って、トマスを吊り上げたあの集団だ。
とっさにキュロス様が剣を抜きかけたけど、ミオがそれを制した。
「大丈夫です、彼らの『上官』が、すでに制圧しておりますから」
「……上官?」
と、話しながら近づくと、見知った人間を発見する。
「トマス! あなたまでここに来ていたの?」
わたしが声を上げると、我が城の門番、トマスはにこやかに手を振ってくれた。かつて自分の首を締めあげた連中を縛り上げ、その縄を手綱のように持っている。
彼の横に、もうひとり、またまた知った顔があった。
全身鎧の集団よりは一回り小柄で細身、だが光り輝く白銀の髪と純白の騎士服で、異様に目立つ男――。
「ルイフォン様!」
「うん、ごぶさた」
微笑むルイフォン様。
ごぶさたって、彼と埠頭で別れたのはつい昨日のことなんだけど。いつもの彼らしいジョークではあるけれど、その表情はどこか、いつもとは違った。
青ざめているのか、白い肌はいつもよりもなお白く、アイスブルーの瞳にも翳りがある。
「ルイフォン様、どうしてこちらに……今朝お出しした手紙には、ダッチマン家のことしか書いていなかったのに」
「ん? その手紙は行き違いになったね。昨夜、宿場町で偶然ミオちゃん達に会ったんだ。それで夜明けと同時にこの島に来て、『武装兵』の行き先を聞き込みしてたんだよ」
そう言って、彼は視線を横へ……兵隊を見た。
「こいつらは間違いなく、元ディルツの騎士。除隊後は兄――王太子ライオネルの私兵だった者だよ」
睨まれて、ひっと声を漏らす武装集団。
……そうか。やっぱり……。
今回の黒幕――ヤンを操り、キュロス様への悪意と兵を与えていたのは、王太子、ライオネル……!
ヤンの行動は商人としての利益追求ではなく、キュロス様への私怨、復讐ではないかという気はしていた。それでもヤンがキュロス様を恨む理由は無いはずで、ずっと動機は謎だった。だけど黒幕、彼の行動がライオネルの意思だったなら話はとても分かりやすい。
ライオネルはキュロス様を憎んでいた。三年前――いやそれよりも昔から、ずっと。
ルイフォン様は兵を睨み、侮蔑した。
「オラクルの商人に雇われていようとも、こいつらがディルツ人である以上、ディルツの法で裁かれる。第三王子である現役騎士団長に反逆すれば、一族郎党タダでは済まないよ。そう告げたら全員、剣を置いて投降した。ヤンと同じ、志など何もない、空っぽの『動く鎧』だよ」
「……彼らの『王』はどこだ?」
キュロス様が問う。ルイフォン様は顎をしゃくって、背後の建物を指した。
「この家の中で、君をお待ちかねだよ」
「……俺を?」
キュロス様が問い返したが、ルイフォン様は答えなかった。
その家屋は、廃屋が並ぶ村の中で特別に立派なお屋敷だった。もしかしたらかつてはダッチマン公爵が駐在していたのかもしれない。華美ではないが、空き家にしては屋根も壁も美しいままで、建築素材が高級品なのがわかる。一見地味だが高級な調度品に囲まれていた、ダッチマン公爵邸の趣向を感じさせられた。
拘束した兵士たちの見張りをトマスに任せ、屋敷へ入るようわたし達を促すルイフォン様。先を歩く彼とミオの後に続いて、家の中へ入っていく。
本当に立派な屋敷だわ。家具類はさすがに引っ越しで持って行ったようだけど、絨毯やカーテンはそのまま、丁寧に掃除もされているようでとても綺麗。
高級な屋根と壁と窓、清潔な絨毯とカーテン――そして椅子が一つ。
それだけしかない部屋の中に、『王』は鎮座していた。
――わたしもその姿を知っている。
ディルツ王国の元王太子、ライオネル――。
その姿が見えた瞬間、ヤンが歓喜の声を上げた。
「ライオネル様っ‼」
後ろ手を縛られたまま飛び出していく。
あっ、いけない――わたしは彼を捕まえるため駆け出したが、ルイフォン様に腕を掴まれ、制止された。
首を振るルイフォン様。その様子にキュロス様も不可思議そうな顔をして……。
「ああ、そういうことか」
苦々しい口調でつぶやき、大きな溜め息を吐いた。
「キュロス様、そういうことかってどういう」
「ライオネル様! ライオネル様‼」
ヤンの絶叫がわたしの思考を遮る。
ヤンは、ライオネルの足元に跪いていた。
わたしはそれを観て、まるで宗教画のようだと思ってしまった。豪奢な椅子に深々と腰掛け、胸を張ったライオネル・イルダーナフ・ディルツは、神々しいほどに凛々しく、逞しかった。
そう、ライオネルは美しい男だった。キュロス様と並ぶほどの長身に、ルイフォン様と同じ白銀色の髪、氷のような青い瞳。面差しは作り物のように端正で……人間味を感じない。
針金と石膏で出来た、冷たい神像だ。
彼の足元に縋るヤンは、まさに狂信者であった。
しかしわたしはライオネルに、畏れとはまた別の違和感を覚えた。
なんだろう? 何か、変だ。
表情が……変わらない。もともと鉄仮面なんてアダナされるくらい無表情なひとではあったけど、当時のそれとはまた違う気がする。
変だ。このライオネルは……王太子だったあの頃のライオネルとは違う……。
可愛がっていたはずの商人が、自分の足元にすがりついているのに無反応を貫いているのは、いったい何故――。
誰も何も言わない。ヤンだけがその場で喚いていた。
「ああライオネル様、申し訳ありません、このような下賎な者どもを御前に連れてきてしまって、どうかお許しください。そして――あいつらには、天罰を‼」
叫び、ヤンはこちらを振り返った。小動物じみたつぶらな瞳を血走らせ、顔が歪むほど大きく口の端を吊り上げて、ヤンは大きくのけぞった。
「ふふふ、ははははは! これでおまえらは一巻の終わりだ! 馬鹿な奴らめ。おのずからライオネル様の御前におれを連れて現れるとはな!」
「ライオネルがいたらなんだと言うのだ」
キュロス様が問う。ヤンは盛大に鼻で笑った。
「もちろん! おまえたちの運命は今日ここで尽きるのだ‼ ライオネル様には、おまえたち全員の身を滅ぼせる力がある‼」
「なんだ、魔術でも使えると?」
「ふざけるなバカ。王太子の権力を知らんのか、天命によって選ばれし、国で一番強い力を持つ者だ。公爵とは比べようにならない権力者だぞ!」
その叫びを聞いて、わたしはアッと声を漏らした。
ああそうか、そういうことだったのね。
ずっと不可解だったことに合点が行った。ヤンがなぜ、キュロス様にあれほど傲慢な態度をとっていたのか、その真意が理解できたのだ。
彼は知らなかったんだ。王侯貴族はもう、それほど偉くないってことを。
戦後五十年、泰平の世。それ以前と比べると、この世界はどこの国も様変わりをしていった。法律が変わり、税のかけ方が変わり、多くの貴族が困窮して、豪商に借金をしていった。
そうなると、王族も貴族も、商人にへりくだるしかない。もしも権威をカサに借金を踏み倒すという暴挙に出れば、国民全体に糾弾され、内戦になる。国王は絶対権力保持者などではない、国のため、民のために身を粉にして働く経営者だった。
ヤンの祖父、ダッチマン公爵は、賢かった。この島が豊かで平和なのは、間違いなく彼の采配、政治力によるものだ。戦いに勝つのも平和に暮らすのも、どちらも力がなくてはならない。ヤンはそれを理解していなかった。
祖父、公爵の地位を過小評価し、見下していたんだわ。彼の『主』が、かつてそう言っていたのをそのまま真に受けて……。
ヤンは、『力ある人』を選び損ねた。信じる相手を間違えた――ただそれだけの話だったのだ。
わたしは視線だけでキュロス様を見上げた。彼が気分を悪くされていないかと心配したのだけど、彼は親友ルイフォン様と顔を合わせ、苦笑いをしていた。まるで子どものいたずらを見つけた父親みたいな表情――彼らの心境を言葉に表すならば、こんな感じだろうか。――『あぁ可愛らしいものだ』。
ヤンは状況を理解していないなりに、彼らの表情から何か読み取れるものはあったらしい。激昂した。またライオネルに縋り、叫ぶ。
「ああライオネル様、今こそ教えてください! キュロス・グラナドを滅ぼす策を!」
ライオネルの眉がピクリと動く。
ヤンは叫び続けた。
「ずっとおっしゃっていたじゃないですか。グラナド家なんかいつでも滅ぼせる、あのキュロスを破滅させる筋道が出来上がっていると。
さぁ、なんなりとおっしゃってください。俺はあなたの号令に従います。この命に変えてでも何でもしますから」
ライオネルの唇が震える。
表情は変わらない。ただ言葉だけが……硬く、本当に鉄でできているかのように横一直線に結ばれていた唇が、ゆっくりと開いた。
「策、略……」
「ええ、何なりとお命じくださいませ!」
ヤンに乞われて、彼は低く、威厳のある声で、その勅語を発する。王太子であったあの頃と全く同じ声で。
「策略は……ああ、そうだな。まずは足だ」
「え?」
ヤンが彼を見上げたまま固まる。ライオネルはヤンに視線を返すことなく、ただ背筋を伸ばし、虚空を見つめていた。
「まずは、足を……切り落とす。どれだけ剣の腕が立とうとも、それで終わりだ。しかし右手を落とせば左手で立ち向かってくるのが剣士と言うもの。あの男の剛腕だけは確かなものだから、剣が届く範囲には立ってはいけない……だから、まずは足を狙うんだ」
ひとつ言葉を漏らすと、ライオネルの口上は滑らかになる。
水車小屋の歯車に油を塗った時みたく、ぬるぬると滑らかに、その男の舌は稼働した。
「ラ、ライオネル様……?」
強い違和感に、ヤンも呆然と主を見上げていた。
「足だ。足さえ捥いでしまえば、こちらのものだ。続けて腕を切り落とす。もちろん、両腕だ。放っておいてば死んでしまうだろうが、そうはさせない。適切な処置をして止血をし、治療を施す。簡単には殺さないんだ――」
ライオネルの表情がかすかに歪んだ。くすっと声を漏らし、口の端を持ち上げて、楽しそうに笑ったのだ。
「力を失った男は脆いぞ。これでもう私に服従してしまうだろう。しかし、そうはさせない。まだ私に報復するチャンスがあるかのように錯覚させておくのだ。そう――例えば、あえて鍵のかかっていない部屋に入れて、いかにも愚かそうな看守を置こう。長年商売をやってきた男だからな、やはり口は上手いし人心掌握の技術は心得ているだろう。だからきっと看守の懐柔を狙う。手足を失くして床に這い、愚かな看守相手に媚びを売るんだ――だが、その夢さえも叶わない。なぜなら例え牢を出ることができたとて、キュロスにはもう帰るところが無いからだ。城も財産も既に無い。私が全てを焼いたからだ」
「あ、あの――だから、あの難攻不落のグラナド城塞をどうやって……」
「白亜の城壁など跡形もなく、もはや灰色の砂が山と積もっているのみ。もちろん従者は皆殺しだ。そして家族も殺す――奴の目の前で殺す。妻や子はもちろん親兄弟親族も世界の果てまで追って探し出し、全員連行して毎日一人ずつ殺す。あぁそれとあの金髪の小さい女――私を罵ったあの女は、特に念入りに殺す。あの女は絶対に殺す」
「小さい女? ええと、それはどういう――」
「弟もだ! ルイフォン、リヒャルト、あいつらこの私を裏切って――ああ父もだ。私に逆らった人間は皆死ぬ。そうしてこの世界は私のものになる。そうなるべきだしそのようになる。私は国王だ。私は国王だ」
「ライオネル様……」
ヤンが泣きそうな声で呟く。
ライオネルの弁説はまだまだ続いていた。
私は国王だ。私は国王だ――その言葉数に反比例するように、ヤンの膝から力が抜けていく。地面に跪き、がっくりと肩を落とした。王太子であった者の足元を……泥に汚れた靴を、無言でじっと見つめていた。
「兄のカリスマ性は本物だった」
不意に、ルイフォン様がつぶやいた。
「幼い頃、僕たち兄弟にとって兄は、憧れだった。強くてかっこよくて、自分のやりたいことをまっすぐに進んでいく。自分よりもずっと大きく賢く、強い兄は……僕達の憧れだったんだ。兄の言うことは絶対に間違っていない――そんなふうに信じていたことが、僕にも少しはあったんだよ」
……ルイフォン様……。
ルイフォン様は悲しそうな眼をしていた。ブツブツと、誰に聞かせるわけでもない独り言をつぶやき続けている兄を見つめて……やがて笑った。
「昔はね。だが、僕も一応家庭っていう一国一城の主になった。今ならわかる。兄はカリスマ性だけの男。中身にはなんにもない。見せかけだけの、空っぽの王子様だったのさ」
ルイフォン様の隣で、キュロス様は首をかしげていた。
うん、キュロス様はきっとずっとわからない。彼は強いから。
わたしには、ヤンやルイフォン様の気持ちが少しだけ理解できた。
心が弱い人間は脆い。強い人に従いたくてたまらない。わたしはずっと自分に自信が持てなくて、選択をするのが怖かった。だから父に従った。父の選択が誤りで、自分を不幸にするものだとしても、決定を任せてしまいたかった。責任を取るという重さに耐えられなかったのだ。
「ほとんどの人間は、心に弱さを持っています。それは特別なことではない、むしろいつでも自分の意思を持っていられるほうが、特別な人間です」
ミオが言う。
「心が弱った時、人はそういう、特別な人間を探し求め、従います。だから――相手は慎重に選ばなくてはいけないのです。本当に正しく、強く、大きく、優しい人間を見定めなくてはならない」
「……もしそれを見誤ったら、どうなるの……」
「こうなりますね」
ミオは視線だけでヤンを指した。
「――はは、はははははははは!」
シンと静まり帰った洞窟の中に、ヤンの乾いた笑い声が響く。
「ハハハ。ハハハはははははははははは。あは、わはは……」
人前で絶対に泣くことができない男は、一人で笑い続けていた。




