拙者が来たからにはもう安心(できない)
――と。ここまでアンジェロさんの話を聞いて……。
言葉を失くしたわたしの横で、キュロス様がズルズルと、樽から床へと崩れ落ちて行った。どうやら全身の力が抜けたらしい。
気持ちはわかる。……比喩でなく本当にもう……脱力するしかないだろう、こんなの……。
そんなわたし達を一瞥して、アンジェロさんは花束を――正確に言うと剣の刀身部分が造花になっている手品道具を突き付けて、
「なにかご質問ですかな、マリー殿」
「……ええと……。そうですね、あの……本当に、言いたいことがたくさんあるんですけど」
「はいどうぞ」
「とりあえずその――話に出てきた赤ちゃんって、誰の子でしょうか」
「カエデ様の子でござる。カエデ様が産まれたので生まれたでござる」
「だっ、誰の種だっ⁉」
キュロス様が床で叫ぶ。アンジェロさんはあっさり答えた。
「多分拙者の子でしょうな。こればっかりは男の自分は断言しかねるが」
「で、できたのか……⁉」
「何を申すかキュロス殿。貴殿もよもや知らぬわけではあるまいに」
「そ、そうではなく、別の意味で、できたのかということをだな……」
「そりゃあもちろん、男たるもの何事も、やればできるでござる。やればできるものでござる」
「ああもう、ござるござるしか頭に入ってこない……」
頭を抱えるキュロス様。
胡乱な目で見つめるわたし達に、アンジェロさんは微笑んだ。ほんの少しだけ、得意げに。
「拙者とカエデ様とでは、身分が違う。ミズホに限らぬことであろうが、国が認める正式な夫婦となることは決して叶わぬ。……本国であれば、おそらく拙者は打ち首獄門、赤子は取り上げられたうえ、水にでも沈められたでござろうな」
……あ……そうか、確かに。この二人って、そういう……。
「拙者はキュロス殿に感謝をしておる。異国の地に、我らが共に暮らせる住居を作ってくださった。これはその、ちょっとした恩返しでござるよ」
「……だったら……それならそうと……早く言えよ……」
「いやあ、すまんでござる。せっかくの機会、一度キュロス殿と力比べもしてみたかったでござる。はっはっは」
今度は後頭部に手を当てて大笑い。
わたしも腰に手を当て、嘆息した。
本当にもう、この人はっ……ハッキリ言って、ヤンやその黒幕よりもよほど厄介なんじゃなかろうか? カエデさんを含めて!
とりあえず、わたし以上にダメージを受けて完全に崩壊しているキュロス様に寄り添い、背中をさすって慰める。
「キュロス様、あの、元気を出して……」
「ああマリー、俺はもうダメなようだ」
近づいた途端、抱き寄せられた。そのままぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
「あー、もー、なんかもー嫌だー。俺の癒しはマリーだけだー。いやディルツに残してきた娘、そして城の侍従達もだ。俺は今すぐみんなの顔が見たい」
「え、ええ、そうですね……はい」
「グラナド城に帰りたい。マリーぃいい、はやく家に帰ろぉおおお」
「キ、キュロス様っ、お気を確かに」
「ああああ帰りたい……」
わたしの胸に顔を埋めて、ウリウリしているキュロス様。うーんこれは深刻だわ。
そんな光景がしばらく続いてから、不意にハドウェルさんが、やけに我慢強い声で言う。
「……俺の家族、どこ……?」
……あっ。そ、そうだった!
わたしは慌ててキュロス様を押しのけ、立ち上がった。
「ご、ごめんなさい、お待たせしてしまって! えっと、ダッチマン家の離れの納戸に隠し部屋があって……牢屋に鍵が掛かってたんですけど」
「ならば場所だけ教えて下され。拙者のカタナならば、大概の錠は切り落とせるでござる」
「本当ですか? それなら今すぐ案内を。もし切れなくても、時間を掛ければ扉ごと壊せそうでしたし、なんとか――」
――と、全員で倉庫を出ようとしたその時、そこに、耳障りな金切り声が劈いた。
「そんなこと、許すわけがないだろうが!」
床に転がるヤンの絶叫だった。
剣呑な目で見下ろすわたし達。それで小男は、一瞬ビクリと震え上がったが、すぐにキッと目つきを険しくする。でも彼を怖れる者など誰もいなかった。女性のわたしよりも小柄で、小動物じみた可愛らしい見た目を持つ彼は、どんなにすごんだ所で子犬が吠えているようにしか見えない。縛り倒されているのでなおさらだが。
「……許さないって? 誰が、誰を?」
キュロス様はゆっくりと歩み寄りながら、追及した。
ふん、とヤンが鼻を鳴らす。
「もちろんおれと、我が王だ。おまえは我が王の怒りに触れたのだ、死よりも深い後悔をすることになる」
「……俺にとって、それは何の脅威でもないな。おまえもその王とやらも」
「ふふん――ああやはり我が王の言う通りだ。おまえは何にもわかっていない。王の偉大さも自分の矮小さもっ!」
ヤンは叫んだ。小さな体を震わせて、少年じみた甲高い声が鳴り響く。
「我が王は、おまえたち図体ばかりでかい連中とは違うんだ! 王は全知全能、この世の理すべてを理解している!」
「――それをおまえには何も話さずにな」
「そ、それは……オレがただ聞かなかっただけ――聞く必要が無かっただけだ! 王のお考えになっていることに間違いはない、疑う必要などない。王は――」
聞くに堪えなかった。
わたし達は全員、耳を塞ぎたい心持ちでヤンを見下ろしていた。この男を黙らせることは無理だろう、その鳴き声に何の意味も無いのだから。
……小さい男。薄くて軽くて、空っぽで。体を振れば甲高い音が鳴るけれど、その音は言語としての意味をなさない。ヤンは、例えるならば鈴のような男だった。
ただチリンチリンと泣き続けている。
「王のお考えは、きっと――」
「――それ、私も気になりますね。本人に聞いてみましょうか」
鈴の音を遮ったのは、耳慣れた声だった。
――えっ。この声は、まさか。私とキュロス様が同時に顔を上げ、全速力で、倉庫の入り口を振り返る。
日光を背負い、その姿は良く見えない。だけどゆったりとしたスカートと二本のおさげ髪のシルエットで、わたし達は確信することができる。よく知ったその名を同時に叫ぶ。
「――ミオ‼」
「どうも、ご無沙汰をしておりますマリー様、旦那様」
ミオは優雅にスカートを拡げて一礼した。
な、なんでこんなところにミオが⁉ ……という、驚きと同時に、なぜか妙な納得感があった。不思議ではあるが違和感はない、むしろずっとこの場に居なかった方が不自然だったのだ。
キュロス様も同じ気持ちだったらしい、苦笑いしながら彼女に駆け寄っていった。
「ミオ、良かった。あなたのことも心配していたのよ」
「……そうですか。ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした」
ペコリ、と頭を下げるミオ。
そしてすぐに姿勢を戻し、いつも通りの平坦な顔、淡泊な口調で告げた。
「ダッチマン公爵家を訪問し、事情は聴きました。納戸に閉じ込められていた、ハドウェル様の妻子も救出し、公爵に身元を預けております」
「えっ――ど、どうやって? 鍵はっ?」
「お忘れですかマリー様、私はまごうことなき侍女ですよ」
「全然意味が分からないわ。けどそっちじゃなくて、どうしてダッチマン家に辿り着いたのかと……それにどうやって公爵様とお話を? 気さくな方ではあったけど、そうそう面会を取り付けられる身分ではないはずだけど」
「それはもう、旦那様以上に権威をお持ちの方が、同行者にいましたので」
そう言うと、ミオはくるりと踵を返した。
さっさと先に歩きながら、放言する。
「では、ご興味のある方はどうぞ、着いてきてください。ご案内いたします。ヤン・ダッチマンが崇拝する王、今回の『黒幕』の所へ」
「え――」
「すぐ近くです。もし今お腹が空いているならば、通り道で何か買い食いしていきますか?」
そんなことを言いながら、ミオは港町を歩き始めた。




