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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
最期まで永遠に

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358/363

最終決戦でござる?

 

「アンジェロさん……⁉」


 わたしは背筋に冷たい汗が流れる。

 どれだけ目を見開き、何度瞬きをしても間違いない。アンジェロさんだ。


 容姿こそわたし達と同じ西洋人の血筋を感じさせるが、ミズホという遠い異国で育った青年。常春の島ルハーブで出会い、それからしばらく一緒に旅をした。そしてグラナド商会と商売上の縁を結び、今はイプサンドロスで暮らしている――はず。


 なのに、なぜ彼がここに? そしてどうして、ヤンに呼ばれて出てくるの?


 いやそれよりなにより、カエデさんは⁉


 言いたいことと聞きたいことが多すぎて、わたしもキュロス様も口をパクパクさせるばかり。そんなわたし達を、アンジェロさんは目を細めて眺めていた。わたしがよく知る彼の過去と同じように、静かな微笑みを浮かべながら……腰を曲げて、深々と頭を下げた。


「お久しぶりでござるな、キュロス殿。マリー殿も、ご健勝のようでなにより」

「あ……ア、お、おまえっ! こんなところで何やってんだ!」


 キュロス様が叫び声を上げる。わたしもそれでやっと呪縛から逃れ、声がひっくり返りそうになるのを抑えながらも呼びかける。


「そうよアンジェロさん、どうしてここに。それに、殺し屋ってどういうこと⁉」


 わたし達の呼びかけに、アンジェロさんはにこやかな表情のまま、コテンと横に首を傾げた。


「おや、言ってなかったでござる? 拙者、もともとこちらが本業。ミズホの国では人斬り杏侍郎と呼ばれた時期もあったでござる」

「か、過去はどうあれ、今はただの商人だったろうがっ!」

「正確に言えば商人の付き人でござるな。商売のことは全部カエデ様が取り仕切っておられたので」

「そのカエデさんはどうしたのよ! 彼女をひとり、イプサンドロスに置いてきたの⁉」


 この問いに、アンジェロさんは目を細めた。


 すうっ、と息を吸い込む。


 ――その瞬間に、空気が変わった。


 倉庫内が突然、凍り付いたようだった。全身が強張り、足の裏が地面に張り付く。

 体が……動かない。


「キュロス、様……っ」


 声にならない声を細く漏らしながら、彼に目をやる。

 キュロス様の背中も……酷く緊張しているのが、わかる。

 わたしと同じ物を、彼もまた感じ取っていた。


「……アンジェロ。おまえにも何か、事情があるんだな?」


 低く、唸るような声で問う。アンジェロさんは答えない。キュロス様は視線を彼から離さないまま、今度はヤンへ呼びかけた。


「ヤンよ、もしやおまえ、この男相手にも同じことをしたのか。こいつを脅して……」


 ヤンは肩を竦めた。


「何の話だ? おれはただ、腕利きの用心棒を雇っただけだよ。おまえらが知り合いってのも、今初めて知ったぞ」

「ふざけるなっ――」

「おっと、ヤン殿とのおしゃべりは遠慮していただこう」


 アンジェロさんが割り込んでくる。

 やはり彼は、ヤンを庇っている。ヤンの言った通り、お金で雇われている……なんてことはないだろう。やはりハドウェルと同じく脅迫されてる?


 アンジェロさんも、大切な人を――だとすると、攫われたのはひとりしかいない。


 ……カエデさん……!


 ちゃきっ。骨が冷えるような金属音が聞こえた。

 アンジェロさんが、腰元の武器を少しだけ抜いた音だ。キュロス様が奥歯を鳴らす。


「アンジェロ……!」

「情報交換はあとでゆっくり。剣を交えてから、床に付した躯に向かって語るとしよう。お互い……これ以上お喋りをして、仲良くならないほうがよかろうて」

「アンジェロさん!」


 わたしの叫びに、彼の瞳は微動だにしなかった。

 剣を握る手も、深く腰を落とした足も震えていない。彼の言動には一片の迷いもなかった。

 イプサンドロスで行った、わたし達の結婚式で花を撒いてくれた手には武器が握られている。優しく細められた瞳は、キュロス様をまっすぐに睨みつけている。

 彼自身がまるで巨大な刃物になったみたい。向かい合っているだけで肌が痛い。氷の刃で切り刻まれているようだった。

 キュロス様は、溜め息みたいな声を出した。


「本当にやる気なのか」

「平常ならば急所を外して戦闘不能を狙うでござるが、貴殿が相手ではそうはいくまいて」

「俺は商人だぞ」

「並みの剣士では束になってもかなわぬほどに鍛え上げた男は、もはや侍と呼ぶべき者。恨むなら中途半端に磨いた己の腕を恨むべし」

「嫌なことを言うやつだ、相変わらず」


 アンジェロさんはそこで、少しだけ笑った。


「貴殿には最期の最期まで、嫌われっぱなしでござるなあ」

「……嫌いじゃないよ、最初から最期まで」


 キュロス様は呟くと、腰を落とし、剣に手を掛けた。


 ……嫌だ。怖い。嫌だ。


 ズラリと胸に悪い音を立て、キュロス様の剣が鞘から抜かれる。

 薄暗い倉庫の中で鈍く光る銀の刃。


 嫌だ。どうしてこんなことになるの。嫌だ。


「ヤン、一生の頼みだ。マリーを逃がしてくれ」


 アンジェロさんと対峙したままキュロス様が言う。ヤンは鼻で笑った。


「勝手にすればいいさ。『あのお方』がお望みなのは、おまえの悲鳴だけだ。女のほうはどうでもいいと聞いている」

「……マリー、ここから出ろ。そしてそのまま船に乗って、港町へ戻れ」


 嫌だ。

 わたしはブンブン首を振った。声は出ないけれど、それでも彼を置いていけなかった。


「大丈夫、俺を信じろ。すぐに追いかける」


 わたしはまた首を振った。

 本当だったらわたしだってそうしたい。いや相手がアンジェロさんでなければ、彼の言葉を信じ、従えた。だけど……。


「いやだ……」


 やっと出てきた言葉は、涙に呑まれて途中で消えた。


 足が動かない。視線だけを倉庫内に巡らせて、わたしはハドウェルさんに助けを求めた。

 言葉があまり通じていなくても、状況は分かっているはずだ。丸腰で、戦士でもない彼がアンジェロさんにかなうとは思えないけど、それでも何か……力を……。


 ハドウェルさんと視線が合う。彼は、ゆっくりと首を振った。


 ヤンはただ笑っている。


「マリー殿も覚悟を決めるでござるよ」


 わたしに答えてくれたのはアンジェロさんだけだった。


「大いなる力には大いなる責任が伴う。大きな男の伴侶になるならば、女も覚悟を決めねばならぬ。……そう言って拙者に沿うてくれた女のために、拙者は覚悟を決めたのだ……」


 ザリッ、と砂を噛むような音。アンジェロさんの靴が、倉庫の床を擦った――次の瞬間、彼の姿が消えた。

 ほんの一瞬、まばたきほどの間もない時間で、アンジェロさんは駆けていた。キュロス様に向かってまっすぐに――。


 がぎっ! 金属同士がぶつかる硬い音。キュロス様の剣とアンジェロさんの剣がぶつかっていた。 


「――ぐ!」


 キュロス様の軸足が後ろに下がる。


 刃を合わせて力比べになるかと思ったら、すぐにお互い刃を引いて、手首を返し、切りつける。再び、三度、金属がぶつかる音が鳴る。

 わたしには今、彼らが何をしているのか、何が起こっているのかわからない。それは彼らの剣戟が早すぎるからなのか、わたしの視界が涙でぼやけているせいか。

 どちらが強いのか、今、押し勝っているのかも全然わからない。どうしてこんなことになったのか、どうすればよかったのかも、なにも。

 ただとにかく今の状況が嫌だった。この戦いが早く終わってほしい。何もかも完了して、早く、いつもの平和な生活に戻りたい。グラナド城に帰りたい。


 だから――わたしは叫んだ。


「キュロス様、勝って――……」


 わたしの声はここで途切れた。


 キュロス様の剣が弾き飛ばされ、空中で弧を描き、地面に突き立つ音に遮られて。


 ――キュロス様‼


「……ぐっ……!」


 どうやら度重なる剣戟を受けて、痺れてしまったらしい、右手を抑えて呻くキュロス様。

 アンジェロさんは不敵に笑った。


「さて、終わりでござるな」


 言葉と同時に、彼は躊躇なく剣を振り下ろした。

 キュロス様は退かなかった。むしろまっすぐに手を伸ばした。鈍く光る刃に向かって。


 そしてその大きな手で、刃を握ったのだ!


 ――あああっ!


 血しぶきと共に彼の指が落とされる、世にも恐ろしい光景が――その妄想が、脳裏で弾け、視界が白む。わたしはその場で失神した。



 ……気を失っていたのは、ほんの数秒……いや、一瞬だけだった。

 わたしは地面にへたり込んだ状態で、ハッと覚醒した。

 キュロス様の悲鳴……ではなく、


「……あ?」


 という、素っ頓狂な声の、呟きによって……。


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