最後の餞には花束を
キュロス様の指は無事、一本たりとも切り落とされてはいなかった。
太く長い指が五本ともしっかりついたままである。代わりに、その手の中に何か長い……銀色の物体が握られていて。それは、どう見ても剣……ミズホの人達はカタナと呼んでいた、その刀身部分そのもので。
……そして、彼と対峙しているサムライ、アンジェロさんの手にはカタナの柄だけが握られていた。
いや、正確に言えば、その柄から花が……生えていた。
…………アンジェロさんの手に握られているのは、どう見ても、花束……だった。
「……は? え?」
キュロス様がまた呟く。己の手の中にあるものと、アンジェロさんの手にあるものとを何度も見比べては、頭上に疑問符を増やしていった。
「…………は? ……花?」
「………………花?」
わたしもへたりこんだまま、全く力の入っていない声を出す。
緊張でガチガチにこわばっていたせいか、首が痛い。軋む首を何とか回して、わたしは、ヤンのほうを見た。
ヤンの目が点になっていた。
「……花……?」
まるきりわたし達と同じ反応をしている。
唯一、その隣に居るハドウェルだけが、ずっと変わらない様子でそこに居た。なぜか驚きもせず、かといって拍子抜けして脱力しているわけでもなく、本当にそのまま普通にそこに立っている。まるで何もかも予想通り、よく知る演劇に付き合わされた観客のように。
いやもう一人だけ、いつもどおり飄々としている人物がいた。花束を持ったアンジェロさんが、その花を掲げてくるりと舞う。そしてニッコリ笑って、こういった。
「手品でござる! びっくりしたでござる?」
「…………お…………おま……おまえ、は……っ…………」
キュロス様は全身をブルブル震わせて、何か言いたそうに口をぱくぱく動かしたが、やはり言葉が出てこなかったらしい。右手に握った刃、もとい刀身を模した鞘のような何かを、乱暴にポイッと投げ捨てる。そしてその場に膝をつき、がっくりとうなだれたのだった。
誰もしばらく動かない。初めて動いたのはヤンだった。
「――こ、この、殺し屋! どういうつもりだ‼」
小さな体の精いっぱいの大股で、つかつかとアンジェロさんに歩み寄る。そのままアンジェロさんの胸ぐらを乱暴に掴んだが、身長差がかなりあるためにむしろヤンのほうがアンジェロさんにぶらさがっているように見えていた。
「なんだこれは、手品だと? ただ敗けるだけならまだしも、ふざけやがって!」
「いや拙者、真面目にやったでござるよ。この鞘は確かに刃は潰してあるが、本物の金属塊ゆえ、骨くらいなら砕くことができる。キュロス殿のほうは正真正銘の真剣であるし、それなりに命がけの勝負でござった」
「そ、それなりってなんだよ。手足の二、三本は切り落とせ、命だけ残せば八つ裂きにして構わんと言ってあっただろうが!」
「八つ裂きにしたら普通自動的に死ぬでござるよ。手足だって、一本だけならまだしも二、三本も取ったら失血死でござる。人間そんなに都合よく半殺しなんてできないでござるー」
「ま、任せるでござると言ったのは貴様だろうが!」
「任せろとは言ったが出来るとは言ってないでござろ?」
「んなああああっ?」
あ、アンジェロさん……あいかわらずすぎる……!
二人の問答に、わたしは思わず笑ってしまいそうになった。いや笑っている場合では全然ないのだけども。
いよいよ怒りが頂点に達したヤンが、アンジェロさんに殴りかかろうとした。その手首を掴んで止めたのは、ずっと静観していたハドウェルさん。
「なんだデカブツ、離し……ッぐ、ぎぃああ――ッ!」
ヤンの暴言は途中で悲鳴に変わった。ハドウェルさんは表情一つ変えていないけれど、たしかに二の腕の筋肉が丸く盛り上がっていた。
「ぐ、ぎ、て、てめえっ、家族がどうなってもいいのか……」
「……居場所、わかれば良かった。錠も……アンジェロなら、檻ごと切り捨てると、言っていた……」
ハドウェルが言うと、アンジェロさんはまた花束をフリフリして、「おまかせするでござるー」と頷いていた。
「こ、これは一体……?」
わたしはまだ、状況が読めずに困惑していた。キュロス様もすっかり脱力して物言わぬ置物になってしまったし、一体ここからどうすれば収拾がつくの?
ええと……とにかく状況を整理してみようか。
ここまでの展開と、ハドウェルさんの言葉を繋げてみるに――アンジェロさんとハドウェルさんは、ヤンの知らぬところで繋がっていたんだ。ハドウェルさんは、わたし達に地図を託したのと同じように、アンジェロさんにも救いを求めていた。ヤンに家族をとらえられ、脅されている状況を打破するために。
それで、アンジェロさんはヤンに雇われているふりをして商隊に潜入してて……ええとそれはハドウェルさんを助けるため、ヤンを油断させるためで……。ん? でもそれならさっきキュロス様と対決をしたのは何のため? わたし達が倉庫を訪れた時点で正体を明かしてもいいのでは。というかもっと前に、グラナド城を訪れて事情を説明してくれれば……あっそういえば、結局カエデさんはどうなったの⁉ やっぱりアンジェロさんも、カエデさんを攫われて脅されてたの⁉
「あ、アンジェロさん、お願いします状況を説明してください。本当に、一体なにがどうなってるんですか⁉」
腰が抜けたまま、地を這うようにして彼に近づき、懇願する。
アンジェロさんは顎を撫でて、なんだかとても嬉しそうな顔をしていた。
にこにこというよりはニヤニヤと、人を食ったような笑顔。
いつも通りと言えばいつも通りではある。
「承知、説明いたします。しかしなかなか込み入った話でござる。まずはヤン殿を縛り上げて、無力化しておいたほうがよろしかろう」
あっ、そ、そうだった……!
わたしは慌てて辺りを見回して、船具を固定する縄紐を見つけ出し、ハドウェルさんに駆け寄った。キュロス様も手伝って、ヤンをきっちり拘束する。
暴れるヤンを抑え込むのに悪戦苦闘している間に、アンジェロさんは花束を宙に投げ上げる。そして腰元からもう一本、同じような花束を取り出して、ひょいひょい交互に投げ続けた。手品の次は大道芸である。わたし達はもう何も言わず、ただ内心目障りだと思いながらもヤンの拘束に注力した。
縄を結び終える前に、アンジェロさんの声が聴こえてくる。
「拙者はしがない従者であり傍観者。語り部は我が主、カエデ様の視点で申し伝えるのがよかろうな。そうあれは、三か月ほど前のことか、イプサンドロスのある日――」
「勝手に語り出すんじゃないっ!」
キュロス様が怒鳴り声をあげる。
「というかなんか無駄に長々語られそうな予感がする! 苛つくだけだから、かいつまんで話せ」
「承知。では要点のみ。……えー、その頃我が家は平和そのもので、拙者はカエデ様と、生まれたばかりの赤ん坊の世話にいそしむ毎日であった」
「……あ?」
「――そこにハドウェル殿が接触をしてきた。助けてほしいという事情を聞いて、カエデ様は拙者をオラクルに遣わしたのでござる。ご自身は息子と共にイプサンドロスで留守番して」
「ちょっと待てかいつまむな、要点はどうでもいいから詳細を話せ!」
……そうですね、わたしも同意です、キュロス様。
ヤンを縛り上げる作業も無事に終わり、わたし達は適当に、箱や樽へと腰を降ろした。
アンジェロさんから語られたものは、本人の宣告通りなかなかに込み入っており……そして本当に色々と……脱力する話であった。




