【閑話 俺は嫌なものを見た②】
――夜が明けた。
家政婦ビビとの再会は、朝、日が昇りきってからのことだった。
公爵自ら調理してくれた、素朴な朝食を頂いている途中で、彼女は出勤してきた。
「遅くなりまして申し訳ありません。おはようございます……いま、朝食の支度をいたしますね」
「もう私が作ったから要らないよ。見ての通り、今食事中だ」
公爵が言うと、ビビはほんの少しの間をおいて、「そうですか」と頷き、会釈をした。
これでお詫び完了、ということだろうか。いくらなんでももう少しくらい申し訳なさそうにするもんだろうに。
これは「気さくな家族のような関係」ではない。きっぱりと、ダッチマン公爵は舐められていた。
「では食後のお茶を淹れてきますね」
やはり聞き取るのがやっとの小声でそう言って、さっさと厨房へ引っ込んでしまう。
本当に、覇気というかやる気が無いメイドだ。他人事ながら気分を損ねる俺に代わって、マリーが公爵を心配そうに見つめた。
「あの……いつも彼女はあんな感じなんです?」
「あー……いえ、遅刻までは滅多にない……です。その、愛想が無いのはいつものことですが」
公爵は自作のパンをちぎりながら苦笑した。
「給金のぶんの仕事はしているつもりなのでしょう。しかしそれ以上のことは……どうも。自分の主人はヤンだと思っているようでして」
「どうしてそんなことに? お給金は公爵様が出しているのでしょう?」
「まあそうなのですが、どうもこう……私は人を指導するというのが、苦手で。彼女にはヤンのように、厳しくアレコレ言ってくれる主のほうが、わかりよく従えるのかもしれません。ははは、仕方ないですね」
俺は眉を顰めた。
グラナド城の侍従達も大概馴れ馴れしいと部外者からはよく言われるが、これはその次元じゃない。主従関係以前に、人間づきあいとして無礼が過ぎる。公爵は彼女をガツンと叱るかさっさと解雇にしてしまえばいいのに。
よほど、そう進言しようかと思ったが、辞めた。もそもそとパンを齧る横顔が、同年代である俺の父よりもずっと老けて見えたのだ。
同時に、『戦争嫌い』という、彼の噂を思い出す。
この人は、もう争いたくないんだ。異国人とも、身内とも、誰とも……。
ビビは愛想こそ皆無だが、彼を攻撃しないし、最低限の仕事はする。もうそれだけで十分、多くを求めなくなっているのだ。……老人が選んだ、己の終末の過ごし方だ。俺が口を出すことではないだろう。
無言のメイドによって配られたお茶を飲み、公爵は顔の皺を深くし、くしゃりとした笑顔になった。
「そういえばキュロス卿、貴公のグラナド商会は東洋大陸との貿易をされているのですよね? 茶の起源は東洋からと聞いた覚えがあります」
「……そうですね。侍女や執事が、日替わりで色々と淹れてくれます」
「ああ、いいですねえ日替わりのお茶! キュロス卿は、お好きな茶葉などありますか?」
「ええと……すみません、そこは侍従に任せきりで……正直言って俺は、何を飲んでも美味いとしか」
他愛のない世間話に、公爵は本当に嬉しそうに目を細めた。
「貴公は良い侍従と家族に恵まれているのですね。いやはや、本当に羨ましい。家族は良いものです」
「そう、ですね……ええ。城のみんなには感謝をしています」
――と、その時だった。
全員にお茶とお菓子を配り終えたビビが、扉の前で一礼した。
「それでは公爵様、私は少々出かけて参ります」
「うん? なんだ、何か用事を言いつけた覚えはないが。火急の用事で無いなら客人のもてなしを優先して――」
「火急の用事で――市場へ買い出しに行って参ります。申し訳ありませんすぐに戻りますので」
口早に言い終えるより早く踵を返すビビ。公爵が止める間もなく彼女はリビングを飛び出していった。
扉が閉まる直前、彼女と目が合った。俺とマリーを睨むような――いや、怯えているような。
……まさか。
嫌な予感がした。耳を澄ますと、扉の向こうからタタタタッと走る女の足音。急いでいるというより、焦っている――一刻も早くこの場から逃げ出すために。
俺は立ち上がった。
「コルネリス卿、俺も出かけてくる!」
「へっ? ど、どうなされた急に」
「外で知人と待ち合わせをしていたのです、失礼!」
言いながら、俺はマリーに目配せをした。聡い妻にはこれで伝わる。彼女は頷き、公爵の正面に座り直す。
「公爵様、夫が出かけている間、わたしとお話をしてくださいません? せっかくの機会、色々とおうかがいしたいことがありますの」
「え、ええ……なんなりと」
「オラクルとディルツは、隣国ではありますが、これまでほとんど交流がありませんでしたね。高い山を隔て気候も文化も違いますし」
「おお、奥様はオラクルにご興味がおありで?」
「はい、とっても。わたし異国の文化を調べるのが大好きなんです。実は夫との出会いもそれがキッカケなんですよ」
「なんと、それは興味深いお話。情報交換と行きましょう、私からはオラクルの話を、奥様からは惚気話を――」
「あら、いやですわ公爵様ったら。ふふふ」
……声は社交的な貴婦人そのものだが、元来、彼女は人見知りだし、上級貴族との社交にもまだ慣れていない。背筋が緊張で張っているのが見て取れる。
俺は一所懸命がんばる妻の背中にこっそり敬礼をしてから、大急ぎで公爵邸を飛び出した。
大通りまで出られたら人目につく。公爵邸の敷地内、前庭に居るうちに――。
走りながら辺りを見回すと、ちょうど門扉に手を掛ける家政婦ビビの姿を発見した。買い出しに行くと言っていたのに、籠も財布らしいものも持っていない。ただ大急ぎで、この家を出てどこかへ向かおうとしている。
――行かせてはいけない。
俺は彼女の背後から追いつくと、いきなり口を塞いだ。悲鳴も抵抗もできないうちに、腹部に腕を回して持ち上げる。
「ん! んぐ――ぅ⁉」
反射的にのけぞるビビ。俺は生まれて初めて、女を腕力で抑え込んだ。
「主に報告しに行くのだな?」
「う――う……ぐ……」
口元を抑え込んだ手のひらに、彼女が酷く震え、歯が鳴る振動が伝わってくる。
しかし彼女は一切の抵抗をしなかった。まだ脅しもしていないのに脱力し、ゆっくりと頷く。
俺は少しだけ指を開き、彼女が言葉を話せるようにした。
「俺が昨夜、ハドウェルの妻子と接触したと気付いたか」
「……は、はい……」
「あれが無理やりの監禁、犯罪行為だってのは理解しているよな」
「うっ……う、で、でも……でも。私はだた命令……」
「言い訳は良い。牢の鍵はどこだ」
問い詰めると、彼女はブンブン首を振った。
鍵を、持ってない……だと? まさか。衣食住世話をしていたのはこの女のはずだ。食事を入れるだけならまだしも、月に二度は汚物の処理をしないともたない。
あくまでシラを切るなら、彼女の服をまさぐって、鍵を隠し持っていないか調べる必要が出てくる。あるいは女の部屋を家探しするか――どちらも気が進まない。かといってマリーにやってもらうのも、それはそれでやらせたくはない。はてどうしたものか……正直俺は途方に暮れた。
その時、ビビが呻いた。
「鍵は、無い。私は『餌やり』だけ……だから」
「そういうわけにはいかないだろう。たまには中の掃除も必要なはずだ」
「そ、それは主が……帰ってきた時にだけ、鍵を預かって……」
「……何?」
「わ、私は何も知らない。あの人達が、誰なのか、なんで、あそこに閉じ込めてるのか、何も。だから離して……」
俺は眉を顰めた。
「ばかな、共犯のおまえが知らないわけがないだろう」
「違、ほんとになにも……私はただ、雇用主に、命令……されただけっ……!」
これまでにないほど力強く、これ以上なく無気力なことを、ビビは主張した。
……なるほどな。
俺は、公爵が彼女について語った文言を思い出していた。家族のように優しい雇用主よりも、厳しく命令してくれる男に従う、無気力な女。
もし本当にそうならば、俺には扱いが難しい。我がグラナド城には一人もいないからな。――だが、彼女の理想の主がヤンのような男ならば――。
俺は少しだけ腕に力を込めて、彼女に圧を与えた。それから彼女の耳元に口を寄せ、低い声で囁いた。
「ではお前の主、ヤン・ダッチマンは――」
と、言いかけてからやはり、改める。
「ハドウェル・デッケンに会いたい。あいつは今どこで何をしている?」




