ダッチマン公爵の懊悩
ダッチマン公爵邸は、先に商人から聞いた通り、港から見て北、島の中央あたりにあった。
市場や一般住宅地からさほど離れていない、賑やかな場所である。背丈くらいの鉄柵に囲まれていなければ、市民の憩いの広場か公園とでも思ったかもしれない。
鉄柵の向こうにはさすが広大な庭園が見えるけど……その門扉には、鍵が掛かっていなかった。これにはキュロス様もたじろぐ。
「なんで門が開きっぱなしなんだ? 平和そうな離島とはいえ、公爵の家だぞ……田舎の貧乏貴族じゃあるまいし」
そういえばシャデラン家の正門も鍵が壊れたままだったなー、と思い出したけど、何も言わずにおいた。
「……わたし達の来訪は事前に早馬で連絡したんですよね? 開けておくから勝手に入ってこいってこと?」
「いやまさかさすがに――でも、門番がいないな……」
「門番さん、休憩で持ち場を離れているとか」
そう話してからしばらくその場で待ってみたけど、誰も出てくる気配がない。
わたし達は視線を見合わせ、お互いに顔を曇らせた。
「……やはり、罠、でしょうか……」
「……それでも、行かないわけにはいかないがな」
キュロス様は独り言のようにそう言うと、外套越しに、腰に佩いた剣を撫でていた。
敵から送られた地図を頼りに、罠かもしれない場所へ、自ら門を押し開き入っていく。
庭園を縦断すると、綺麗なお屋敷に辿り着いた。……思っていたより小ぢんまりとしているけど、ここが公爵の邸宅らしい。
ドアノッカーを叩いてみると、中から、従僕らしい、「はい、ただいま」という男の声がした。
……さて、鬼が出るか蛇が出るか――息を呑んで待つ。
やがて現れた従僕は、にこやかな笑顔だった。
「お待たせいたしました。グラナド公爵ご夫妻ですね? ようこそお越しくださいました」
……ん? なんか……従僕にしてはずいぶんお年を召しているような。
それになんだか、良い生地の服を着ている。物腰も上品だし、筆頭執事かな。
わたしは会釈をしようとスカートの裾を摘まんだが、なぜかキュロス様に制止された。
そして彼は胸に手を当て、腰を落とした。貴族同士の最高敬礼。
「お初にお目に掛かります。キュロス・グラナドと申します。ダッチマン公爵」
――えっ⁉ この老紳士が?
わたしも慌てて最敬礼をすると、老紳士はさらにニッコリと笑い、深い皺を顔に刻んだ。
「ええ、お待ちしておりました、グラナド卿」
おっとり、ゆっくりした口調と、穏やかな微笑み。
年のころは七十をいくつか過ぎた頃だろうか、自らロビーで迎えてくれたダッチマン公爵の第一印象は、『体格に反比例するほど腰の低い人』だった。オラクル人は長身が多いと聞くけれど、ダッチマン公爵も驚くほど背が高い。年齢のことを考えると、若い頃はキュロス様より大きかったかもしれない。
わたしも女性としてはかなり背が高い方だけど、二つの山が並べばやはり壮観である。思わずぽーっと眺めている間に、公爵同士の挨拶が粛々と交わされていく。
「ディルツ国王陛下から、書状は先に拝読しております。私の名はコルネリス・ダッチマン。この島を含め、近隣領の統治をしております。以後、どうぞお見知りおきを」
「突然の訪問、たいへん失礼いたしました。まさかコルネリス卿直々にお出迎え下さるとは、卿のご厚意に深く感謝いたします」
キュロス様が恐縮して見せると、公爵はなんだかとても嬉しそうに笑った。
イタズラが成功した子どもみたいに、ククッと肩を震わせて。
「いやあ、実は単なる人手不足なのです。もっと前からご来訪が分かっていれば人を雇ったんですがね、従僕も門番もいない家でございますから」
「従僕が居ない? 公爵邸にですか……?」
「ええ。男所帯でも、自分の住処の掃除くらいはできますから」
わたしは目を丸くしてしまった。
自分の家を自分で掃除する公爵⁉
従者の数が少ないことで有名なグラナド城だって、住み込み、通いを合わせて百人くらいは家政婦や従僕がいる。この家はグラナド城よりはるかに小さいけれど、それにしたって料理とか洗濯とか……まさかそれも公爵様がやっているの⁉
わたしの疑問を感じ取ったのだろう、公爵様はまた楽しそうに笑った。
「一応、通いのメイドは一人おりますがね。基本的には『自分達』でやっております。家事も、慣れれば楽しいものです」
はははっ、と明るく笑う。
その笑顔に嫌味な感じは全く無くて、心から歓迎してくれているように思えた。
思わず、肩から力が抜けていく。
なんか……想像よりはるかに、いや期待をはるかに超えて、いい人そう……。
「玄関先で立ち話もなんですな、さあどうぞ中へ。客室を温めておりますので」
「あっどうも、お構いなく……」
「いいえとことん構わせていただきます。嬉しいな、お客様なんて久しぶりなので――ああそうだ、ビビ! ビビは居るか?」
廊下の奥に向かって声を張る公爵。すると、すぐに手前の扉が開き、少女が顔を出した。
「お呼びでございますか、コルネリス様」
か細い声で、囁くように問う少女――いや違う、ただ極端に小柄なだけの大人の女性だった。年のころは二十歳前後、桃色がかったブラウンの髪に淡褐色の瞳で、身長以外はオラクル人らしい特徴。彼女以外、この場にいるのが全員長身なので、並ぶと子供のように見えてしまう。
ビビと呼ばれた彼女が、公爵の言う『一人だけいる通いの家政婦』らしい。
「ビビ、こちらは大切なお客様だ。これから客室へご案内するから、三人分のお茶とお菓子を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
やはり小さな声で承諾するビビ。
……なんか……丁寧だけど、ずいぶん物静かな雰囲気の人だな。
彼女が厨房のほうへ引っ込むと、公爵様はわたし達を促して、廊下を進み始めた。どうやら客室へは自ら案内してくれるようだった。
前を歩く公爵に続いて、緋色の絨毯が敷かれた廊下を進んでいく。
公爵様のお屋敷は、外観から見て取った通り小ぢんまりとしていた。部屋数は十も無いくらいだろうか。もちろん庶民の家とは比べ物にならない豪邸だけど、何人もの使用人を抱えている感じはない。
内装もシンプルイズベストという感じで、煌びやかな金銀財宝など全く無かった。ホールのキャビネットには可愛らしい野花が生けられていたりして。
貧乏育ちのわたしには、正直こういう素朴なインテリアにホッとしてしまう。
ダッチマン公爵様、本当に良い感じのひとだなあ。
そんなことを考えながら、隣を行くキュロス様をちらっと見た。
……緑の目が輝いている。隣に居るわたしがやっと聞こえる小さな声で、ぶつぶつ呟いていた。
「すばらしい……黒曜石を磨き上げた花瓶……扉がすべて桃花心木……良い家だ……」
……あんまり素朴っていうわけじゃないらしい。
通された客間もまた同じく、ほっと落ち着く色合いの家庭的なインテリアだった。
部屋の中央に置かれたティーテーブルに、お茶菓子がすでに用意されていた。
先ほどのメイド、ビビがお茶を淹れてくれる間、のんびりとお菓子の山を眺める。
なんだろうこのお菓子、見たことない。たっぷりのクリームを分厚いビスケットで挟んであるのだけど、クリームの色や質感がなんだか普通と違うみたいで。
「これ、何という名前のお菓子ですか?」
ビビに尋ねてみたが、無視をされた。正確には何かボソボソと小さな声で呟かれたけれどまったく聞き取ることが出来なかった。うーん、このメイド……自己主張しないというか、影が薄いというか。いやメイドとしてはこれで普通なのか。グラナド城の侍従はみんな気さくだからなあ。
公爵様はそんな彼女の様子に慣れているらしい。特に気にすることも無く、ニコニコとわたし達にお菓子を勧めた。
「さあどうぞ、お召し上がりください」
と、その瞬間、キュロス様は「おおっ」と感嘆の声を上げた。
「こ、この鮮やかなラベンダー色のクリームにライチの香り! まさか、メゾン・デ・ミアムのサンドビスケット⁉」
「さすがグラナド卿、よくご存じで」
コルネリス様の目もきらりと輝く。キュロス様は震える指でサンドビスケットを摘まんだまま、
「まさか本当に? フラリアの本店に何度問い合わせても売り切れ御免としか返事が来ないというのに、一体どうやって――」
「この家の料理長はパティシエ・グルマンの従兄弟でしてな。その縁で、秘蔵のレシピを……いやそれにしてもグラナド卿の御慧眼が素晴らしい」
「うちの料理長が修業時代に一度食べて以来忘れられないと、何度も何度もいう物だから、文字通り夢にまで見ていました。おお、これが……」
「レシピからの再現品ではございますが、そのぶん作り立ての味わいをお楽しみいただけます。さあどうぞお召し上がりください」
「で、ではひとつ失礼して。……うおおっ⁉ な、なんだこの食感! ふわっふわなのに弾力のあるクリーム、一体どうやって⁉」
大騒ぎするキュロス様に、彼以上に嬉しそうに笑っているコルネリス・ダッチマン公爵。
……うん、楽しそうで何よりです。
そしてこのお菓子、きっとすごく高価なんだろうな。
お菓子を食べながらも、キュロス様の興奮は止まらない。
「食器も素晴らしい。この陶器の艶とデザインは、戦前のスフェイン製でしょう? よく手に入りましたね」
「おおっ、そこまでお気づきとはさすがでございます! ええ、ええ、この縁の金彩はスフェインアンティークならではの、失われた技術。刻印に使われている金土は今や伝説のものとなっていますゆえ」
「薄く軽く、それでいて放熱しない……こんなセットでお茶とお菓子を味わうことができるとは、まさしく贅の極み」
「ああそう言っていただけるのが何よりの幸福です」
公爵はいよいよ目を細め、顔いっぱいにシアワセそうな皺を刻んでいた。
「私の信条は、『金は掛けるところに掛ける、要らないところはとことんケチる』でして。この生まれ持っての性格を活かしていたらなんとなく商売も上手く行ったようなものなんですよ」
キュロス様はウンウン頷いた。
「わかります、まさに商売の基本です」
「それにしてもグラナド卿、その若さでこれほどの目利きを、一体どこで習得なさったのか」
「イプサンドロスとの貿易には、お菓子も食器も含まれています。伊達に国一番の貿易商と呼ばれていないのですよ、ふふふ」
「ほほほっ、さすが、さすがでございます。いやしかし、お仕事のためだけに勉強したわけではないでしょう?」
「ははは、そんなことは決して――お恥ずかしい。隣の妻には内緒にしていただきたく」
「わはははは、承知いたしました! 男同士の秘密ですね。ははははは」
お菓子を手に持ったまま、大笑いする二人の紳士。
……わたしは無言のまま、静かにお茶を吸った。うん、すっごく高級な味がするわー。全然わからないけど。
「――いやはやグラナド卿とは仲良くやっていけそうです!」
「こちらこそ、いやその呼び方はまだ距離を感じます、どうぞキュロスとお呼びください」
「それならこちらもコルネリスと呼んでいただかなければなりませんな。はははは」
しまいには肩まで組んで笑い合っている。
……うん、とりあえず、平和に始まってよかった。わたしもお菓子をひとつ摘まんでいただく。さくっとしたビスケットに、甘くてちょっとプニッとした、お花とフルーツの香りのクリーム。ああ本当に、とてもとても、高級な味がする。おいしい。
――そうして、ひとしきりティータイムを楽しんで、茶器や什器、家具にまで言及をし、ひとしきり盛り上がって。
ふと、ダッチマン公爵が真顔になったのは、空に赤みが差し始めた頃だった。
「――そういえば、キュロス殿。本日の御用向きは、はてなんでしたっけか……」
「あ。」
キュロス様は、ふつうの青年みたいな声を出し、ポンと手を打った。
「す、すみません、ええとそうだ、そうだ。あの、商談。新しい商売の提案がありまして」
キュロス様、ここまでの談笑は演技じゃなかったのね……。
わたしは思わず半眼になって夫を見つめた。




