日記の話
注意!
ちょっと長いよ!
これは広く大きな一つの国の、城門からちょっと外側に建っているレストランの経営者、コハル。つまり私が始めた、たった一日だけの、そして特に何も起きない一日の、日記です。
本来なら日記というのは毎日記録を短くノートや日記帳に書き記すものであり、たった一日だけ日記をとるというのは、たとえ天地がひっくり返ってもなお納得できないほど可笑しな行動であることを重々承知しています。
ただ、絶え間ない時が進み行くこの日々に対して、たった一日の日記ほど書く価値のあるものはないと考えています。なので続編、つまり明日の日記はないので悪しからず。
さてさてそろそろ始まります。私が送る、私とハルカさんのなんてこともない一日日記、とくとご覧あれです。
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「努力は実るまでも実る。」という言葉はご存知でしょうか。
努力と言うのは実ってなんぼで、実ってから努力は結ばれると考えるのが人間という生物ですが、ハルカと言うまだ10代になったばかりの少女はそうではないと昨日、停電のせいでランタン以外の光が消えたテーブルの上で語りました。実るまでのその過程、例えば寒い冬の中、朝に起きて布団から出る努力も、布団から出ようと思ったところから努力は結ばれ始める。つまり実りが始まると。
面白い子でしょう?どうしてそんな事を語るかを全て説明すると、鼻提灯が膨らむほどに時間がかかってしまうので、完結にまとめましょう。彼女も、努力をする側の人間なのです。
◯
ぼんやりと何かの音が聞こえてきました。小鳥の囀り、民家の物音、早朝に走る健康な人の足音……私に朝を告げる音ばかりです。朝を嫌がらない生物はいないと考えるほど起き上がる事を嫌がる私を、瞼越しに音と光が急かします。なぜ朝はこんなにもせっかちなんでしょう。私がゆっくり過ぎるんでしょうか。多分そうなんでしょう。
私は仕方がなく瞼を開き、天井をぽかんと見つめたあと、布団を蹴り飛ばし、起きるという意思を世界に伝えるのが日課です。そのまま布団から降りて、ひんやりとした床に足をつけ、ぺたりぺたりとキッチンへ向かいます。 キッチンは朝の空気が満ちていて、氷河期の南極ほど寒くなっていました。凍える体をゆっくりと動かして、いつも使わない大型冷蔵庫の隣の籠から五枚切りの食パンを取り出します。真っ白に茶色の耳をつけ添えた食パンを二枚取り出し、グリルに入れて、つまみをくるりと回すと、ようやく目が冴えてきた気がしてきました。この朝にしか味わえない、目の冴えていない時間はなぜ存在するんでしょうか。
すっかり狐色に変わったトーストをお皿に盛り付け、上に苺ジャムをさっさと塗って、真っ赤に染め上げます。一枚は私の、もう一枚はハルカさんのトーストです。少ないと文句を言う人もいるでしょうけど、一日にお客様が一人でも来たら、ゴミ捨て場に台風が通ってそこに家が立つぐらいにはラッキーと言えるほどお客さんが来ないので、それに比例して食べられる物も減っていくのです。ハルカさんには私以外の場所で居候してもらった方が幸せになってもらえそうです。
カウンターにトーストを運び終わると、寝室からハルカさんが目を擦りながら満を持して登場しました。猫背で歩いているので、まだぼんやりしているんでしょう。私はこっちこっちと手招きをします。ハルカさんはこっちに気がつきました。その光景はまさに微笑ましいと言え、自然と笑みが溢れてきます。
ハルカさんが席に座ると、向かい合って一緒に手を合わせます。
「いただきます。」
サクサクとトーストを食べ進め、静かな時間が続きます。聞こえてくる音は風が窓を楽器のように揺らす音ぐらいでしょう。ポロポロとパンくずが朝日に照らされた真っ白なお皿に落ちていく様は、過ぎ去った秋を彷彿とさせるようです。
「今日も修行は続きますよ。」
私がそう口に出すと、ハルカさんはこくりと頷きました。何を考えているのか分かりませんが、頬に残った涙の後から、悪い夢でも見たのだと連想できます。それが本当なのかを知る術は本人に直接聞き出す事以外はないに等しいです。ただ彼女は夢の内容を覚える事が得意ではないようで、今回も覚えていないのでしょう。朝に弱いせいなのか、黙りなところも少し慣れてきました。
トーストを胃袋の海に消えてしまったので、流しにお皿をそのまま置いておきます。後で洗っておきましょう。 洗面台に向かうと、顔を水で濡らしたハルカさんが目に入ってきました。純粋に黒い目がぱっちりと開いていると言うことは目が冴えたのでしょう。
「おはようございます。」
「こちらこそ、おはようございます。」
と、ようやく挨拶を交わしてくれました。私は顔を拭いている彼女の隣まで行き、ボサボサになった髪の毛を整えます。
目が冴えた彼女は急におしゃべりになります。微笑む口元を開き、その可愛らしい声を聞かせてくれます。
「昨日はどんな夢を見ましたか?」
「特に何も見ていないです。あなたは?」
「私もです。知ってましたか?夢は必ず見る物らしいですよ。目覚めた瞬間に忘れてしまうだけで。」
「へぇ〜。やっぱり物知りですね。」
「私も昨日本を読んでいて知りました。」
「どんな本ですか?」
「“誘蛾灯の夢”という推理小説です。意外なトリックが巧妙に隠されていて読んでいて面白いです。」
「ああ!この前本屋で見つけました。買っていたんですね。」
「今夜貸してあげます。でも、ちょっと気をつけた方がいいですよ。挿絵が怖いんです。」
「怖い?」
「はい。推理小説なのにホラー演出があるんです。」
「なるほど、眠れなくならないように頑張らないとですね。」
歯磨きを始めると、また静かな時間が続きます。そんな時は、見つめ合って微笑むのです。すると彼女はこちらに気がつき一緒に笑ってくれるのです。何も話していないのに、何かを話した気がする、そんな気分になります。透明な会話といえばいいのでしょうか。そんな感じです。
すっかり太陽が山を超えた時間になりました。そうなるとハルカさんはイスターを裏庭から引っ張り出してきます。入り口前の一本道から草原へ抜ける道に真っ直ぐ置いて、よいしょと、慣れた手つきでまたがるのを隣で見ていると、成長を感じられて涙が出てきそうです。彼女はゆっくりとペダルの上に足を置き、グッと力を込めます。やはり、少し緊張しているのか額から汗が垂れていました。しかし直ぐにペダルを漕ぎ出し、私の前には鎌鼬に切り裂かれた様な風が残るばかりです。
「頑張ってくださ─────い!!」
と、声をかけてあげると、彼女は振り向き、手を振り返してくれました。その途端、バランスを崩してフラフラとした動きになってしまいました。私の心臓の鼓動が急に大きくなり、怪我をしないかと心配のあまり今にも駆け出してしまいそうになります。ハルカさんが怪我するなんて宇宙の消滅と同じことです。……母性本能という物でしょうか?まあ、彼女は直ぐにブレーキをキキッと踏み、こちらを振り返ってから頭の後ろを刺すって笑顔を振り撒くのです。えへへと笑うその姿に安心した私は肩を下ろしてため息をつきます。心配する身にもなってほしいと思うばかりですが、もしかしたらすでに私のことを心配してくれているところがあるのかも知れません。根拠は勘と言うものに縋るしかないですが。
遠くの草原で走るハルカさんはまるでお味噌汁の中に迷い込んでしまった米粒の様です。最初の頃は乗るのにも苦労していたあのハルカさんもこんなにもスイスイと走っているのを見ると旅立ちを想起させてきます。悲しいのやら、嬉しいのやら、わからなくなってきます。どっちもは欲張りでしょうね。ならばそう言う感情の名前を決めちゃえばいいんじゃないんでしょうか。イスターに乗るハルカさんから取ってハルターとでも言いましょうか。ハルター的感情です。私は今ハルタってます。まあ冗談はさて置き、そろそろ太陽が空の真上に来る頃でしょう。お昼ご飯を作ってあげましょう。
家もとい私のレストランに帰ると、珍しくお客様がいらっしゃいました。そう、全身黒ずくめのマスクを被った怪しいお客さんです。扉がチャリンと鈴の音と共に閉じた時には時すでに遅し。お客様はこちらに気がつくと黒光の銃火器を突きつけてきました。こう言う時は手をバンザイして、降伏の証を記すのです。泣け叫びそうになりました。でもそうするとかえって死ぬまでの時間を狭めるだけです。
お客様はレジのあたりを漁り始め、お金が殆ど入ってないことにイラつきを覚えている様です。それは共感できます。共感の嵐雨霰です。今度は自室の方へ入って行きました。そちらには私のへそくりとお財布があると言うのに。もうどうしましょう。警察を呼んでもらうしかないでしょうが、すっからかんなこの場所に、そんな人はいません。
これからどう生活費を稼ごうかを考え始め、涙が出てき始めた頃です。お客様の叫び声が聞こえてきたのです。何が起きたのかわからず、取り敢えずバンザイを続けていますと、自室の方からハルカさんが出てきました。手にはボコボコに殴られた後のあるお客様。慣れた手つきというにはぎこちないですし、何というかそれをする人を間近で見てきた様な感じです。
私は困惑しながら、手を戻し、尋ねるのです。
「それ、ハルカさんがやったんですか?」
「えっ……えーっと〜熊がいたんですよ、それでこの人が倒れていたので連れてきました。」
私は今日初めて知りました。ハルカさんは嘘をつくのが苦手だということを。まあ、そういうことにしておきましょう。
気絶したお客様は警察の人に、修行の一環としてハルカさんに届けてもらいました。引きずって運んでいたので、おそらくズボンが破けていることにお客様は驚くでしょう。
私はその間にキッチンでお湯を沸かしています。今日のお昼ご飯はカップラーメンと呼ばれる、お湯を入れて3分待てば醤油ラーメンが完成する魔法の様な食べ物です。そういえば聴き心地はいいですが、単なる安くて簡単にできるちょっとしたサボりご飯です。一日ぐらいはいいでしょう。いえ、料理するのは好きですが、食材がないのです。農家も副業で始めましょうかね。
やかんが金切り声を上げ始めたので、火を切ります。そうして蓋を剥がしたカップにお湯を注ぎ、タイマーを3分にセットします。この待ち時間は本を読むには短く、何もしないには長いという面倒くさい性質を持っていますから、青空を眺める程度に収めます。雨が降っている日で、ハルカさんがいないと、虚無感に駆られる以外する事がないですが。
チクチクとタイマーがゆっくりと進み、三度目の静かな時間が流れます。チーンと音が鳴ることを待ち侘びて、ウトウトと待ちます。眠ってしまいそうです。
扉の鈴と、タイマーが一緒になりました。グッドタイミングと言っても十分過言ではないはずです。私はカップラーメンを窓に近い二人用の席に置いて、ハルカさんと一緒に座ります。そして声を合わせるのです。
「いただきます。」
ハルカさんは箸を扱うのが上手なようで、初めてラーメンを作ってあげた時も上手に箸を扱っていました。今もです。向かい側の席の彼女を見るだけで満腹になる程美味しく食べているのには、憧れさえもあります。いずれ私もこんな風に食べてみたいと思いつつ、麺を啜ります。
お昼ご飯を食べている途中は、ハルカさんは今日の修行の成果を教えてくれます。
「今日は木を三十本も潜り抜けられたんですよ!森の向こうまであともう少しです!」
「凄いですね!怪我は大丈夫ですか?」
「はい。枯葉のクッションが受け止めてくれました。」
「と、言うことは転んだんですね。」
「大正解です。」
彼女はまた頭の後ろを摩り、笑いました。その仕草の一つ一つが可愛らしいせいか、私はもっと笑顔になります。 スープまで飲み干すと喉が渇き始めました。冷蔵庫から牛乳を用意して、二つのコップに注ぎます。一つをハルカさんに渡し、一緒に喉を潤します。私は腰に手を当て片手で飲むのに対して、彼女は両手でコップを包み、コップの底を眺めるように飲むのです。しかし途中から私の飲み方に気がついたのか、片手に持ち替え、腰に手を当てて飲む方法に変えました。もう、ぎゅっと抱きしめしたいです。
午後からは溜まった洗濯物とお皿、そしてお風呂を綺麗にすることなど、家事を分担してこなすことから始めます。晩御飯は家事を早く終わらせた方が作ります。そうすれば私達には限られた料理の機会を逃すまいと必死になって手を動かします。
今日の分担はこうです。私は洗濯物を洗い、乾燥機で乾かし、その間に皿洗い。ハルカさんはお風呂洗いと、自室二部屋の掃除。私は早速洗濯物を洗いにかかりました。
勝敗は、私の勝ちでした。ピカピカになった床に手をつけ悲しむハルカさんの横を通りキッチンへと入ります。冷蔵庫には少しの野菜と細切れの豚肉がありましたので、今日の晩御飯は野菜炒めに決定しました。
材料を揃えると、まずキャベツは一口大にむしり始めます。玉ねぎはくし形に、野菜は短冊切りです。次にフライパンに油を敷きます。なめらかに広がる油の上に豚肉とニンニクを乗せて炒めると、いい音が鳴ります。野菜もフライパンの上で踊らせ、最後に醤油と胡椒、鶏がらスープ、そして水と片栗粉をよく混ぜた物を加えて少し炒めると完成です。いい仕上がりになりました。
ハルカさんが炊いてくれたご飯と共にカウンターに並べて、向かい合いながら、手と声を合わせます。
「いただきます。」
ハルカさんは晩御飯では必ず、メルという旅人の話をしてくれます。彼女の口から直接聞いたわけではないですが、どうやら想い人のようです。若い子っていいなぁって思います。
「メルさんはですね、お菓子の家を見た事があるらしいんです。」
「お菓子の家を?絵本に出てくるあれですか?」
「そうです。でも来た時には腐ってたらしいですよ。」
「へぇ〜。私もいつか作ってみたいですね。」
「なら応援しますよ!」
「冗談です。」
笑い合いながら温かいご飯を囲む事ができるのは、本当に幸せだと思います。私も応援していますからね、ハルカさん。
晩御飯の後は、お皿を明日の私たちに卓して、流しに置いておきます。その後は順番にお風呂に入るのです。
今日はハルカさんが先に入りました。その間私は、ハルカさんが目を擦りながらおやすみなさいと言うまで、ベッドの上で本を読んでいました。誘蛾灯の夢という本です。
私はお風呂の中で歌を歌うタイプで、頭を洗いながら昨日聞いた誰かの曲を口ずさみます。この前は大きな声で歌いすぎたせいで、ハルカさんに聞かれて恥ずかしい思いをしたので、小さくです。湯船に浸かっても歌は止まらず、まるでライブでもしているかのような気分になります。いつかハルカさんと一緒に歌ってみたいです。
ホカホカになった体を拭いて、パジャマに着替えます。この着る瞬間には何故か幸福感を感じます。そのままベッドに向かい、誘蛾灯の夢のホラー要素に驚きながら、眠りにつこうとしました。
ふと、今日のことを日記に記したくなりました。悪いお客様が来たことが関係しているのかもしれませんし、そうではないかもしれません。日記を続けることは私には到底無理な事なので、そう、今に至るというわけです。
◯
さて、いかがだったでしょうか。……いえ、この日記を誰かに見せるつもりは殆どありませんが、とりあえず聞いてみたわけです。明日はいいお客様が来るでしょうか、来ないのでしょうか。それは明日の私と、ハルカさんしか知りません。
それでは、おやすみなさい。
続編は……期待しない方がいいです。




