蝕むもの
煙草の先から立ち昇る煙が、空調の風に吹かれて霧散していく。先に溜まった灰が折れ、ズボンに落ちる。
ジェイスはそれを黙って払った。
すっかり短くなった煙草を灰皿へ押し付け、ふと窓の外を見る。外はすっかり暗くなっていた。
口に残っていた煙を吐き、目の前のファイルへ視線を向ける。ファイルは自殺した男の人事資料だ。
自殺した男は、ルイジアナ出身の海兵隊員であった。
実弾訓練中に禁断症状によって発狂。訓練場から脱走しジープを盗み、あのスナックを襲撃。
バーテンを射殺して以降は、ジェイスが知っての通りだ。
彼はまたファイルを開き、男の家族欄を読む。
祖父は第一次世界大戦、父親は第二次世界大戦に出征。軍人の家系、という訳ではない。典型的、模範的アメリカ人家庭というだけだ。
家族のため、国のため、自由のために戦う。そこに何の疑いも抱かず、招集令状が来たら万歳三唱で送り出される。
学生ブラスバンドが演奏する「ジョニーが凱旋するとき」をバックに、直前に婚約したガールフレンドと「いつ帰ってくるの?」「クリスマスまでには」なんて言葉を交わしながら輸送船に乗り込む。
そして、無事故郷に帰ってきた時には、勲章を胸にして、仕込んだ種を産んで抱えたガールフレンドに迎えられる。
その時に流れているのも、「ジョニーが凱旋するとき」だ。
ジョニーが再び行進しながら家に帰って来る時には
万歳! 万歳!
私達は心からの歓迎で迎えるだろう
万歳! 万歳!
男達は喝采し、男の子達は叫び
淑女は皆が迎えに出て来る。
そして皆が陽気になるだろう
ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
村の古い教会は喜びの鐘を鳴らすだろう
万歳! 万歳!
私達の愛する男の子を迎えるために、
万歳! 万歳!
村の若者と女の子達は声を掛ける、
道に撒く為の薔薇の花を持ち、
そして皆が陽気になるだろう
ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
だが、それは昔の話だ。
帰還兵の口から流れる美化された戦場の武勇伝は消え失せ、技術の発達によって戦場の生の光景がテレビを通じてお茶の間に流れる時代。
蜘蛛の巣が張った帝国主義を掲げて侵略戦争を行うドイツ軍や、アジアの覇者になろうと愚かにも奇襲攻撃を仕掛けてきた日本軍は、ブラウン管には映らなかった。
ナパームによって燃えるジャングル。
母を探し、泣きながら焼けた村を歩く兄弟。
生き生きとした顔で捕虜を虐待する米軍兵士。
戦争の化けの皮が剝がれたのだ。
アメリカが唱えてきた自由と解放は欺瞞と傲慢によって作られた虚像に過ぎず、現実にやっていることはただの「弱い者いじめ」であると銃後の人間は理解したのである。
このベトナム戦争で反戦運動が活発化した一因はそれだろうと、ジェイスは考えていた。
無論、戦争そのものを批判することは、決して悪いことではない。
だが、銃後の人間は戦争への批判と責任の矛先を、あろうことか兵士へ向けてしまった。
兵士は戦争において一山いくらの駒に過ぎず、批判と責任を負わせるにはあまりにもミクロな存在なのに。
個々の戦争犯罪行為は個々が持ちうる責任の範疇で裁かれるのに、それらを銃後の人間は兵士に対して一般化させてしまったのだ。
それによって、愚の骨頂としか言いようがない帰還兵いじめが始まった。
彼等を批判し、排除したとて平和になる訳でも戦争がこの世から消える訳でもないのに。
これが更に良くないのは、この戦争から活発になりだした点だ。
戦争の本質や行為は昔から変わっていない。
ベトナム帰還兵をなじる際に「ベイビーキラー」という言葉がよく用いられるが、赤ん坊いや民間人殺しは今に始まったことではない。
それこそ、先の大戦である第二次世界大戦では米軍は西部戦線・太平洋戦線の両方においてドイツ・日本の民間人を大量に殺傷している。
こと日本においては、広島と長崎に原子爆弾を投下し、それぞれ約十六万と約八万人の民間人を殺しているのだ。
だが、原爆を投下したB29の搭乗員達は大量虐殺者の誹りを受けるどころか、戦争を終結させた英雄としてアメリカ国民は讃えた。
この時点で矛盾が生じている。
それだけではない。先の大戦において発生したナチスドイツによるホロコースト。その犠牲者は約六百万とされ、アメリカに限らず連合国はその行為を批判した。
だが、焼夷弾で焼き、原爆で殺すのと強制労働させた後に虐待死させ、ガス室で殺すのと何処に違いがあるというのだ。目的は方法は異なるが、結局のところやっているのは民間人殺しに他ならない。
勝てば官軍負ければ賊軍。負けた側に正義は無く、勝った我々が正しいと詭弁を弄してきたのに、ここにきてアメリカは手のひらを返したのである。
これまでの矛盾から目を背け、自分達は悪くないとばかりに帰還兵を責める民衆。
彼等が生み出した負のエネルギーは、巡り巡ってアメリカでありながらアメリカでなく日本でありながら日本でない矛盾の地、沖縄で炸裂している。
酷い話である。ジェイスは胸が重くなるようだった。
そして、こう思った。
自分達が頑張ってこの地の麻薬を撲滅させたとしても、矛盾が消えない限り、きっと麻薬に手を出す兵士はいなくならないだろう、と。
更に彼は、こうも思った。
人が人を殺し続ける限り、人はその苦しみから逃れようと足掻き藻掻くだろう、と。
脳裏に浮かぶ、何かに怯えた父親の顔。
ジェイスにしては珍しく舌打ちをし、その浮かんだ顔を振って掻き消した。
色々と考え込んだせいか、彼は頭痛を覚える。それだけではない、何かに当たりたい・ぶちまけてしまいたいという衝動まで湧いてきた。
ストレスは静かにジェイスの精神を蝕んでいた。
彼の意識は自然と腰のホルスターへと向けられる。夢遊病者のような危うい手付きで、彼はGIコルトを抜いた。




