二話 何もしなかったことを嘆く少年と、してしまったことを後悔する少女(4)-5
☆ (リシャール)
囲まれて怯えていたドルレアンが震えた。最初は恐怖に戦いているのかと思ったが、どうも様子が異なる。やがてのその口から声が漏れ出した。発作のように肩を痙攣させ、ヒッヒッヒッと息を荒げる。群衆がざわついた。
「笑ってやがる……っ」
誰かがつぶやいた。
「ワハハハッ! ハハッハハハハッ!」
ドルレアンが今度こそはっきりと声を大にして笑い出した。口からよだれをまき散らし、本当におかしくて仕方がないようにその場を転げ回る。そのたがが外れた突飛な様子にみな目を見張った。
「わはははは。もうよい。茶番はここまでだ。下賤の者どもが、思い知れ!」
ドルレアンが突如真顔になって一番近くにいた私兵の首を掴んだ。掴まれた兵士は「ヒィッ」と悲鳴をあげてその手を振り払おうとするが、万力のような腕力にそのままドルレアンに引き寄せられる。ドルレアンは口を開け、私兵の肩口を鎖帷子ごと強引に噛みちぎった。断末魔の叫びがあたりにこだまする。尋常ではない状況にまわりの私兵たちが一斉に離れた。ドルレアンは笑顔で私兵の肉を貪り、体がどんどんと膨れあがっていく。体には長く針のような剛毛が生え、手足は太く鋭い爪が伸びた。前足で捕まえたままの私兵を器用に掴んで頭に齧りつく。誰もが固唾を呑んでその食事の様子を見守るしかなかった。
気がつけばドルレアンは、馬ほどありそうな巨大な狼に成り変わっていた。そのドルレアンだったはずの野蛮な獣は天にも届きそうな声で遠吠えをした。血の臭いを嗅いだのか、遠吠えに呼ばれたのか、いままで姿を見せることのなかった狼たちが一匹二匹と森の影から姿を現す。町民が悲鳴をあげて逃げまどい、狼たちがそれを狙った。狼に弓を射かけながらジャンは叫んだ。
「女子供は町へ非難しろっ! 男は隊列を組んで守るんだ! 早く!」
続々と集まってくる狼たちに自警団の面々が町民を守るよう列を作った。そのほかの者は逃げ惑い、あるものは祈り、あるものは腰の抜けて動けない老人を背負って森を走った。ドルレアンは悠然と混沌とした状況を楽しむようにのどを鳴らした。
「なんだこいつは……」
リシャールはつぶやいた。
「ああ、やばいっ」
マリーがボリボリと髪を掻きむしった。
「まずい、まずいぞ……こいつは悪魔に取り憑かれている。人狼だ。なんてこった……」
ジャンとリシャール、私兵たちがドルレアンを囲んだ。誰もがその異様さから次の一歩を踏み出せず、遠巻きに化け物とその足元に転がった憐れな死体を眺めるしかなかった。
「夢じゃないのか……?」
リシャールは体中の毛が逆立つのを感じた。そして、それと共にどうしてこんな魔物に媚びへつらっていたのかを思い返した。
名誉のため。
家のため。
金のため。
悪魔に魂を売って得られる満足を考えた。結局は自分のためだが、しかしあくまでも人としての栄光であり幸福だった。悪魔に身を堕とすには、あまりに不快感のほうが大きい。
「う、うおおおおおっっっっ」
リシャールは剣を振りかざして人狼に向かった。こんな醜悪な生き物は、殺して富を奪い去ってしまえばいいのだ。死骸を教会へ持ち込めば騎士の叙任くらいはもらえるかもしれない。そうすれば称号を糧に出世もしていける。こんなものに荷担していた悪名のそしりも免れよう。殺してしまって損はない。リシャールは商売人の性でそう判断した。犬ころ一匹殺せないはずはない。リシャールにはその獣が金に見えた。
人狼が鋭い爪を一閃した。リシャールは振り上げた剣をおろす暇もなく、その顔は薄く刻んだ豚の腸詰めのようになった。とり囲んでいた輪もそれで一瞬にして崩れた。




