二話 何もしなかったことを嘆く少年と、してしまったことを後悔する少女(4)-3
最初にマリーの寝息が聞こえ始め、クロエもいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。疲れていたのかもしれないし、ロランの心音が心地よかったのかもしれない。近づいてくる足音に気がついて、眼を覚ました。
「マリー様! 大変ですぅって、わお」
入ってきたセバスチャンが慌てて後ろを向いた。見てはいけないものを見てしまったと思ったようだ。
「……んー。なんだい、うるさいなぁ」
マリーが起き上がって大きく伸びをする。ロランは眠ったままだが、いくぶん規則正しい呼吸に変わっていた。クロエは震えが止まっていることに安堵する。
「ロランさんを探して森に探索の手が広がっています。どうしましょう?」
後ろを向いたままセバスチャンがマリーに報告した。
「おやや、あてが外れたねぇ。ここなら大丈夫だと思ったのだけれど……」
服を着ながらマリーが他人事のように答えた。クロエの服も拾って手渡す。
「防壁に血がついていたのです。それで森に逃げたことが分かってしまいました」
迂闊だった。クロエは気が焦っていて、血痕にはまったく気を止めていなかった。冷静さを失っていたとしか思えない。
「ごめんなさい」
「べつに謝ることじゃないさ」マリーは肩をすくめた。
「セバスチャン、もうこっちを向いても大丈夫だよ。それにしたって夜中なのにやっこさんはずいぶんと頑張るね」
ようやく振り返ったセバスチャンが、身振り手振りで危険を伝えた。
「ドルレアン男爵がやっきになっているのです。それはもう大騒ぎです。クロエという暗殺者の仲間と行動を共にしているそうで……もしや、そちらにいらっしゃる方がそうなのですか?」
セバスチャンが真っ直ぐなまなざしでクロエを見た。その目は善悪をどうにか判断しようとしている目だとクロエは感じた。
「そんなこと本当にしたのかい?」
マリーが聞いた。
「……ええ、したわ」
(私は殺人鬼だ。言い逃れはできない)
クロエはロランをマリーに預けて、ドルレアンの元へ行こうと思った。ロランはこの状態ではまだ動かせないし、マリーに迷惑もかけられない。ロランとモニクも自分が脅したことにすれば、きっと彼らが罪に問われることもないだろう。
「はははははっ。面白いっ! あんたがドルレアン男爵をねぇ、はははっ」
マリーが突然高笑いをしだした。あまりに唐突でセバスチャンもぽかんと口を開けている。
「いやー、実に愉快だ。さっきから見た目とは裏腹にずいぶん行動力があるんだね。意外だよ」
マリーはクロエの肩をぽんぽんと叩いた。クロエには笑われる理由がわからなかった。
「じゃあロランもドルレアン暗殺に噛んでいるのかい?」
「ロランは、私を助けただけ」
クロエが釈明する。そうだ。こうしている場合ではない。クロエは気を取り直す。マリーにお願いをしなければならない。
「ねえ、ロランを任せてもいい? こういう状況になって申し訳ないけれど、私が行けば解決する問題だから」
マリーはロランを見て、次いでクロエを見た。
「何を言っているのさ。ロランがここまでして助けてくれてるんだろう? だったら簡単に諦めるんじゃないよ。あたしもドルレアン男爵にはちょっと言いたいことがあったからちょうど良かった。みんなで行こう」
「ちょっと! マリー様、何を言っているんですか!」
セバスチャンが激しい口調で言い募る。
「いまの騒ぎを見ていないから言えるんですよ! マリー様の身に何かあったらどうするんですか!」
マリーはまるで聞く耳を持たないというように、櫃から毛皮の肩掛け(ケープ)を取り出して羽織った。
「そんなに大層な命じゃないよ。それにもう遅い。匂わないかい?」
「……匂い?」
セバスチャンは鼻をひくひくと動かした。クロエもかすかな煙の匂いを感じて戦慄が走る。
「洞窟に火を放ったんだ。あぶり出すつもりだろうよ。さあクロエ、ロランを起こして」
言われてクロエはロランに声をかけた。何度か問いかけると気だるそうに薄くまぶたを開ける。ロランが慌てないようにクロエは優しく話しかけた。
「ロラン。調子はどう?」
「……ああ、大丈夫だ。すまない。意識を失ってたみたいで……」
「いいのよ。起こして悪かったわ。残念ながら追っ手が来ているの。歩かなきゃいけないわ。手を貸すから、起きて」
クロエはロランの支度を手伝った。体重差がありすぎて支えるだけでもやっとだ。それでもロランはおぼつかなくて、クロエは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。その間にセバスチャンが外の様子を見にいき、マリーはぶつぶつと何かを言いながら引き出しを漁っている。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
「え? 全然構わないよ。こっちは捜し物が見つからないだけだから気にしないで。セバスチャンの奴がすぐに片付けちゃうんだよなー、……あったあった」
マリーは幾つかの書面を手に取って袖にたくしこんだ。それからロランに小瓶を渡す。
「気つけ薬だ。ちょっとキツイかも知れないが、痛みはマシになる」
ロランは礼を言って瓶の中身を一気にあおった。とたんに激しくむせ返る。
「ごほっごほっ。いったいこれは何が入ってるんだ?」
「内緒だよ」
マリーの口元がにやりとして、ロランは背筋が凍る。セバスチャンが渋い顔をしながら戻ってきた。
「抜け道のほうからは煙が出ていませんから、そちらから行きましょう。出てくるところを待ち構えているかもしれませんが、燻製になるより良いでしょう」
「うん。行こう」
狭い通路を蝋燭を持ったマリーが先頭に、ロランをセバスチャンとクロエが前後に挟んで支えながら歩いた。傾斜のある険しい道のりだったが、吸いこむ空気が徐々に綺麗になっていくのが感じられた。
(もう少し……)
クロエはロランの背中を支えながら、自分自身を励ました。ロランも苦しそうに息を継いでいるが、それでも時々こちらを心配するように振り返る。そのたびクロエは大丈夫よ、と声をかけた。




