海神伝説
階段をひたすらに降りていく。
役場が丘にあるとはいえ、これ程長い時間階段を降りているという事は目的の場所はかなり地下深くにあるのだろう。
次第に下から冷たい空気が流れ出し、足音も広がって響き始めた。
「そろそろじゃ。暗いから足元に気を付けい」
村長がそうモグリに伝えてすぐ階段が終わり、そこで足を止めた。まだ暗闇に目も慣れていないが、階段での足音や今感じるこの場の雰囲気から相当この場所が広い空間である事をモグリは察した。やがて進むにつれ、奥の方からぼんやりと揺らめく光が辺りを照らし始めた。
青い。
それがこの空間へのモグリの印象であった。岩が剥き出しの洞窟の壁や地面に、ゆらゆらと青い光が反射していた。漂う潮の匂いとその光の紋様から、それが海面の反射だと気付いた。
「気付いたか。そうじゃ、この洞窟は先で海と繋がっておる。海底洞窟の一部、端なんじゃ」
辺りを頻りに見渡していたモグリに、村長が声を掛けた。モグリは無言で頷くと歩いている先の景色に目を凝らした。
静かな湖のように凪いでいる海面から、淡い青が漏れ出ている。その海面の中央に岩で出来た神殿の黒い台座が構えられ、台座の上の屋根から大きな金属の塊が吊り下げられていた。モグリはすぐにその正体に気付いた。
「これは鐘、ですか」
村長は「そうじゃ」と頷くと、近くの岩に腰掛けた。
「この鐘は『潮騒の鐘』。シオサイ村で代々の村長が密かに守ってきた、世界の秘密じゃ」
「潮騒の鐘。村の名前の由来ですか」
「ああ。だがこれは村長しか知らない事じゃ。訳あって次期村長のランダスにはもう話したがな」
「⋯⋯」
「ん?どうした?」
(ランダスさん、思いっきり俺に海神だとか鐘がなんだとか外で喋ってたよな。い、今は黙っとくか。)
「いや、何でも。続けて下さい」
「うむ。でな、まず鐘の仕組みについて話してしまうと潮騒の鐘は、村の鐘が同時に鳴らされた場合のみ共鳴して発動するんじゃ。この事も秘密故、村長以外には村の鐘を同時に鳴らす事を『潮騒の鐘』だと伝承してある。海への感謝や豊漁の祈りの鐘とな。んで、それ自体は嘘ではない。実際、潮騒の鐘を鳴らす重要な意義だ」
「この潮騒の鐘自体の存在を隠す為なんですね」
「そうじゃ」
「ですが、何の為に存在を隠し続けているんですか」
「うむ。それ即ち、」
「海神様の伝説だ」
◇ ◇ ◇
海神。
古代の更に遥か昔。
この海を創成したとされる神。
その海から全ての命が始まったーーー
「のじゃ」
「薄っ。え、話薄。今ので終わりですか」
神妙な顔持ちと前振りから信じられない短さの話を展開し、モグリは拍子抜けした。
「は、そんな話をするために呼ばれたんですか俺」
「最近の若者は話を最後まで聞かなんだ。これだから困る」
「⋯⋯」
村長はやれやれ、と頭を掻きながら溜め息を吐いた。
「今言ったように、海神様の話は古代のそのまた遥か昔の話。まだ伝える手段が伝話のみとされる時代じゃて、長い時間の中で人に人に渡る中で、内容が削れてしまったようだ。変な着色がされてないだけマシか、あった方が考察と研究しがいがあるかはさて置きな。だからワシらも困っとるんじゃ。内容が無いy」
「そうですか。なら、俺とその海神様の関係は、一体?それ以上の話が無いなら何の証拠も」
「だからお主をここに連れてきた。今話したのが世間一般に伝わる話。今から話すのが、」
「この村に伝わる話じゃ」
◇ ◇ ◇
海神は海をお作りになった後、自分亡き後にその海を統べる後継者達を産み出した。
その一柱が、深海の神。
深海の神は海の浅きと深きを知り、その声で海の調和を保つ。
名を、『オルヴェイン』
深海の響きを持つ者。
しばらくの間、海神の後継者達、つまりは子供達は海神の下、協力し合って海とその世界を統べていた。海神も自分が亡き後も、そうやって子供達が協力し合い海を統べる事を望んでいた。
しかし、海神が亡くなると波の神と氷海の神が激しい後継者争いを始めた。
調和を担っていたオルヴェインはその争いを仲裁。その功績から他の神や民から人望を集め、次期海神となった。
そこから深海の神オルヴェインは、父である先代の海神の意思を継いで他の後継者達と共に自身を中心とした「七海神」を発足、世界の統治を始めた。
世界に平和が訪れた。
が、
それを快く思わなかったのが、波の神セリュオンと氷海の神グラキエス。
二神が手を取り合い、オルヴェインに戦争を仕掛けた。七海神の中でも最強格であったオルヴェインはセリュオンとグラキエス相手にも善戦したものの、流石に二神を相手取るのは苦難であった。
致命傷を負ったオルヴェインは自らの息子に名前と力、意志を授け、命懸けで逃した。
息子と仲間達は二神に存在が明らかにならぬように、深海での彼の仲間であった生き物の姿に自らを変えた。
その生き物がマッコウクジラだと伝えられている。
オルヴェインは逃げ落ちる際、とある物を遺した。
オルヴェインは彼の協力者や、支配下だった村や国に自らの鳴き声を発する「鐘」を設置し、自らの話を伝えた。
そしてオルヴェインは追手から隠れ、いつか訪れる再訪の時まで、この世界の海の何処か、最深の海に身を潜めた。
鐘はいつかオルヴェインの力が必要になる時のために、伝承者がオルヴェインを忘れない為に鳴らす。
世界に散らばったオルヴェインの鐘が一斉に鳴った時、オルヴェインは復活するのだという。が、その各地で連携が取れない以上、不可能に近いだろう。
村にある他の鐘は伝承を隠すためのダミーだ。
昨日、村長は村人に東西南北の鐘を鳴らすように命じた後にこの洞窟に密かに入り、潮騒の鐘を鳴らしたのだ。
まだ力を完全に覚醒し切っていないモグリには潮騒の鐘の音は聞こえなかったが、届いていた。その鐘の音がモグリの眠っていた音波能力を覚醒させたのだ。
◇ ◇ ◇
「口悪くしてすいませんでした」
壮大な話に、モグリは思わず村長に頭を下げた。村長はケラケラ笑い飛ばすと岩の上で胡座をかいた。
「この話はシオサイの村の他にも、当時の協力者や支配下だった村には伝えられているんじゃろうが、その協力者が誰か、村がどこかはワシにはわからぬ。他の場所では違うのかも知れぬが、少なくともこの村には残ってはおらぬ。そこでもこうして、情報が漏れぬように伝承者も絞られておるだろな」
「な、なるほど。突飛な話ですが、今の話があるなら俺が海神の生まれ変わりって言われたのもわかりました。けどマッコウクジラがいるなら、マッコウクジラの亜人は何故生まれてこなかったのでしょうか。珍しいとは?」
「伝承には無いが、推測するに恐らく呪いの類いじゃよ。オルヴェインが消えた後、セリュオンとグラキエスによってマッコウクジラの亜人は生まれないようにされたんじゃろ。強力な二神の神の呪いなら、永劫の効き目になるだろう。じゃから、世界からすればお主は非常に珍しい亜人で済むが、ワシや海神様の伝承者、他の神や秘密を知る者からすれば⋯⋯」
モグリは目を細めた。
「オルヴェインの生まれ変わり、ですか」
◇ ◇ ◇
「そうなるな。オルヴェイン様がまだ生きていたとしても、彼の方の身内と見做されるだろう。呪いが解けたのか、なんなのかはお主も知らぬならワシも知らん」
「呪い⋯⋯」
村長は潮騒の鐘に視線を向けた。
「他の海神達がその後、どうなったか話しても良いか。話せるうちに話しておきたい」
「はい。お願いします」
◇ ◇ ◇
オルヴェイン失脚後、セリュオンとグラキエスの海神の座を巡る争いが再び勃発。他の四神はセリュオンとグラキエスに見切りを付け、海神の座を巡る争いから抜けた。オルヴェインと同じように海の彼方へそれぞれ姿を消したのだ。
争いはセリュオンが勝ち、グラキエスは殺された。セリュオンはグラキエスを取り込んで更に力を増大。その狂った力はやがて全てを取り込み、闇を飲み込んでしまった。
やがてセリュオンは魔王となり、セリュオンの支配下の者達や生き物は魔族や魔物に。
他の四神達が他の生き物や人類の統治を始めた。やがてそれらから信仰を受けた海神達は海神では無く、別の神へと姿を変えていった。
潮を司るマリクスは人々に「航海の守り神」として祀られ、
豊漁を司るネリディアは「母なる女神」と呼ばれ、
海嵐を司るテンペルスは「力の神」と崇められ、
星を司るアストレオンは「天空の神」と祈られた。
◇ ◇ ◇
「は?魔王ってセリュオンだったんですか。」
「伝承ではな。実際はどうだか」
「は、はあ」
「現魔王の名前はセリュオンじゃっがな」
「セリュオンやないかい」
と、ここでモグリはとあることに気づいた。
「海神が、いない。今、海そのものの神がいないんですね?」
村長は静かに頷いた。
「そうじゃ。マリクスが最も海の神に近いが、彼でさえ自らを航海の神止まりにしている。もう二度と海神戦争を起こさぬ為じゃろう」
「え、それってつまり⋯⋯」
「やっと話が繋がったじゃろう。そうじゃモグリ。お主はな、世界をひっくり返す存在かも知れん」
「新たな海神戦争の引き金という名のな」
◇ ◇ ◇
「そんな⋯⋯」
モグリは言葉の重さに伸されて頭に片手を当てて項垂れた。村長の話が本当なら、モグリは海神オルヴェインと何らかの関係があるのだろう。生まれ変わりか、使いの亜人か。
あの転生の女神は、この事を知っていて転生させたのだろうか。
いや、
マッコウクジラの亜人に転生したのは、女神のミスとは言えそもそもモグリが「マッコウクジラになりたい」と言ったからだ。他の生物を言っていれば他の亜人になっていただろう。この世界に転生したのは偶然か、それとも意図的か。が、意図的とは思えない。転生する直前の女神の慌てようは演技には見えなかった。まあ、実際のところは神のみぞ知る、と言ったところか。あんまり知らなそうな女神だったが。
「俺は、」
モグリは青黒い床の岩を見つめながら呟いた。
「俺は、これからどうしたらいいんでしょうか。何もわからないんです」
「うむ」
村長は項垂れているモグリに、自身の横に座るように促した。モグリはおずおずと岩場によじ登って腰掛けた。
「記憶が無いのに加えて、今の話を聞いたら一体全体どうしたら良いか見当も付かんよな。そうじゃろ」
「はい」
「伝承を守る村長としての言葉と、無駄に長生きしてるジジイとしての言葉をそれぞれ送ろう。まずは村長として」
村長は潮騒の鐘を横目に深呼吸した。
「お主がこの村で目覚め、潮騒の鐘の音を聞き、元の力の一部を覚醒させ音波で海獣を倒した。そして海神の伝説を、伝承者から託された。お主はこれから、海神オルヴェインの生まれ変わりとして力を取り戻しながら海を、世界を渡る事になるだろう。世界は荒波の時代を迎えるだろうが、それも潮の流れじゃろう。そしてそれがモグリ、お主の使命じゃろう」
「俺の、使命」
「んで、次はジジイとしての戯言じゃ。モグリ、」
「はい」
村長はモグリに振り返り、ガハハと笑った。
「自由にせいっ」
「⋯⋯はい?」
「じゃから、自由にせい。お主は亜人としてもまだ若い。んで記憶も無いなら、産まれたてと変わらん。どうしたら良いかなんて何も分からんくて当然じゃて。だから記憶を取り戻すのも兼ねて、自分探しと思って自由にこの海を渡ってみい。お主にはそれを出来る力が備わっておる。クラーケンを倒せるんじゃ、並大抵の事じゃ死なないだろ」
「え、でも村長的には俺に海神様になって欲しいんじゃ?」
「なりたいか海神に」
「え」
村長は何度目かの呆気に取られた顔をしたモグリの様子に笑った。村長は膝に肘を置き、顎を手に乗せてモグリに笑いかける。
「生い先短いワシには別にどうでも良い事よ。お主に海神伝説は伝えた。もう村長としての役割もほぼ無くなった。後の事はこれからを生きる奴らの仕事じゃ」
「え、えぇ⋯⋯」
「無責任と思うか?」
「いや、その」
「お主はわかりやすい。顔にすぐ出る。四角い顔によく出る」
「村や、家族が戦乱や混沌に巻き込まれるのは避けたい。が、それを防いでくれとお主に頼むのもお門違いな気がしてな。モグリ自身がどうしたいか、何をしたいかを探して見つける事の方が重要な気がしたんじゃ。その先に何かを見つけたお主が、残した軌跡が海神様の行いになるのかもと考えておる。まあお主が海神本人ならな」
「俺の、やりたい事⋯⋯」
海で静かに暮らしたい。
だなんて、この流れで口に出したら違和感が溢れて溺れそうだ。なんせ記憶が無いのだから。けれど、
転生したのだ。
生まれ変わったのだ。
現に元の人間の時とは比べられない身体能力と境遇を得た。
今はもう艾理では無く、
マッコウクジラの亜人、モグリなのだ。
「村長、一つ質問して良いですか」
「ああ、別に幾つでも」
「お名前まだ伺ってませんでした」
「村長としか言ってなかったな。失礼したの。ワシの名前はカジイ」
「カジイさん」
「産まれた時からジジイみたいな名前じゃ」
「本当ですね」
「だから鳴き声もオギャ~じゃなくてオジィ~だったそうな」
「つまんな」
「良いね」
「え」
村長はモグリにグーサインを向けた。
「お主、何処か引っ込み思案というか本心が見えないと言うか。まあ記憶も無いし初めて会う人に対してなら仕方ないかと思っていたが、根っこはそんな感じだろ?」
「⋯⋯はい」
「じゃから、そういうズバズバ言えるの、ワシ良いと思う。まあいきなり無口な奴が「つまんな」とか言い出したら周りは引くじゃろうがな。けど、少しずつで良いから今の感じ忘れんようにしなさい」
「周りは引くのでは?」
「だがこの世界の荒波は沈黙する者を容赦なく飲み込んで行く。現に身を隠したオルヴェインは歴史から消え、他の四神も前の名前や物語を知る者は居ない。だからお主は、いや、お主こそは、その声を高々に吠えて欲しい。なぁに、ジジイの戯言じゃよ」
「カジイさん⋯⋯」
「やりたい事なんて、その内見つかる。焦らんでいい」
村長とモグリは祭壇を背に、洞窟の入り口に向かって歩いていた。
「まあ街からの使者が来るまでは村でのんびりせえ。くれぐれも勝手に島から出るなよ」
「出ませんよ」
「使者が来た際のやり取りは、明日にでも考えよう。ワシは今から投げてた仕事をせな」
「はい」
◇ ◇ ◇
二人が役場に戻ると、村人達が慌ただしく働いていた。村長を見つけるや否や報告や書類の確認の為に押し寄せてきた。
「何してたんすか村長、お昼寝すか⁈」
「阿保っ。モグリと大事な話をしてたんじゃ」
「村長のつまらない昔話に英雄を付き添わせないでくださいよ」
「つまらなくはなかったですよ」
モグリがそう村人達に微笑み返すと、村人達は一瞬固まった後に、
「笑ったああああああああああ‼︎」
と歓声を上げた。村長は苦笑いし、モグリは「そりゃ俺だって笑いますって」と困惑していた。すると、役場にまた一人村人が入ってきた。
「あ、いたいたモグリさん。すまないが一つ頼まれてくれないか?」
「はい?」
「港の海底に海賊船の残骸や大砲が沈んでるんだ。俺達で退けれるもんは片付けたんだが、どうしても無理なもんは無理だ。力、貸してくれないか?」
「なるほど。良いですよ」
「本当か助かるぜ。暗くなる前に終わらせたいんだ、今から頼めるか」
「はい行きましょう。村長、また後で」
村人に揉みくちゃにされている村長は、グーサインを人混みから掲げた。
◇ ◇ ◇
モグリは村人と共に北の港に向かう。丘の上から北の港で村人達が瓦礫の片付けをしているのが見えた。
自分が海神かどうかはさて置き⋯⋯
「まずは、出来る範囲の人助けからだな」
「あそうだモグリさん。今夜炊き出しを兼ねて役場前でバーベキューやるんだ。ほぼ海鮮焼きだが、好きだろ?」
「さっさ終わらせて炊き出しをしましょう。さあ急ぎますよ」
「あ待ってモグリさん別にそんな急がなくても大丈、足速ッッッ。うわ柵越えて家越えて直線最短距離で移動してる。なんなんだあの人、食い物が掛かると急に。あー、飛び込んだ。あははは」
続く。




