神の失態
長い間、眠っていたようだ。
徐々に覚醒する意識と共に、目も開いてきた。ぼんやりとした視界には、どこまでも広がる白く眩しい空間が映っていた。地面と天井の境界線も、果ての地平線も見えないこの無音な空間で艾理は体を起こした。
「俺、死んだのか」
次第に意識と記憶がはっきりしてくる最中、艾理はこの空間があの世だと察した。車に轢かれた時点で即死したのだろう。ついてない所では無い、俺なんかそこまでの罪犯しましたか?レベルだ。
艾理は立ち上がって体を確認する。無傷で痛みもしないし、着ている制服も汚れ一つ無い。魂だけ飛んだようだ。そしてこの空間があの世なら、次に訪れるのは天国か地獄かの審判。もしくは来世の発表か。
「いや?これ夢の可能性がまだあるな。実はまだ生きていて、救急搬送されて手術されて意識不明の重体。夢から覚めると病室のベッドの上で」
「いや、即死です」
「ん?」
ふと気がつくと、目の前に誰かが立っていた。白い装束に身を包み全身が発光している女性の姿だった。素顔は白いベールに隠されて見えないが、声と見た目から比較的若い女性だろうか。艾理はその女性に声を掛けた。
「あなたも、死んだ人ですか?」
「いえ。私は転生を司る女神、ヘンダルです」
「頭打って死んだんですね」
「頭打って気が狂ってるんじゃありません!本当に私は女神なんです」
「はあ。転生を司る女神ですか。あ、なら俺、マジで死んだんですね」
女神は艾理の言葉に顔を引き攣らせながら(ベールで表情は見えづらいが、空気的に)。
「はい」
と、答えた。艾理はその女神のぎこちない受け答えに違和感を覚える。
「えっと、女神さん」
「は、はい」
「俺が死んだのは女神さんのせいですか?」
「まあ、まあその、簡単に言うとそうです」
「人を殺しといてなんですかその言い草は」
「ですがそれが神の仕事で、世の理ですから。それにあなた、こう言いましたよね」
「はい?」
「俺も死んだら~、って」
『俺も死んだら、あの世でまた直接話せるのかな。⋯⋯なんてな』
艾理は目を閉じて唸った。
「いやまあ言いました。言いましたけど、あれはただの独り言ですし、真に受ける奴が何処に⋯⋯目の前に居たわ」
「はぁい。別の世界のあなたの思考までは読めませんが、発言は確かに聞き取れましたよ」
「神様も言質で上げ足取りですか」
「あなたもそうとう捻くれていますね。亡くなった事に、後悔していないようです。それともまだ自覚が無いか」
「両方かな」
「お話、よろしければ聞いても?」
「嫌です。で、俺は何故死んだんですか?たとえ俺の独り言があったとして、俺より強い死にたい願望抱いてる人間なんて世界中にもっといるでしょう。何故、俺なんです」
「たまたまです」
「は」
「理由を話す責任がありますから、今から経緯をお話致します。話はまず⋯⋯」
ヘンダルが言うには、「世界」は艾理がいた世界以外にも無数に存在しているらしい。ヘンダルは艾理がいた世界と、別の世界の間で魂のバランスを取っている女神の1人だという。そして今回、世界のバランスを取ることになり、ヘンダルも業務を取り行いに艾理の世界を覗いていたのだが⋯⋯
近々、女神や他の神々総出の進級式があるらしく、ヘンダルも含めて同じ役割の女神達はポイント稼ぎにヤッケになっていた。ヘンダル達はまず、誰が一番早く転生者を見つけられるかの競争をすることになった。その丁度のタイミングで「死んだら云々~」と発言したのが、艾理だったのだ。
「なるほど。それで俺は車に轢かれた、と。という事は、車を暴走させたのがヘンダルさんですか」
「あ、少しニュアンスが違います。私はその、車が暴走して艾理を轢く出来事を見守っていただけです。まあレースは私の勝ちになりましたが」
「悪趣味な神々め。ん?引き起こしたわけでは無いんですか」
「ええ私は。確定する出来事を予知してそれを見守るやり方と、出来事自体を引き起こす2種類があります。で、他の神々が⋯⋯」
「なるほど。まだ続きがありそうですな」
「はい。まだ話には続きがありまして」
ヘンダル曰く、俺は車に轢かれ後、ビルの方へぶっ飛び、工事中の商業ビルの鉄骨が崩れ落ちて下敷きになった後、激突した車が大爆発し、残りの足場が全て落下し、真下のガス管が熱と衝撃で連鎖爆破し、乱れた道路で横転したタンクローリーがその場で大爆発し、商業ビルの増設中の箇所が艾理の方へ全て崩落し、爆発したガス管の地面が陥没して辺り一面が埋まったらしい。
「あんたら死神?」
「大変申し訳ありません‼︎約10名の神が一斉にあなたに力を行使したため、本来、命が無くなる直前にこの場に魂のみを呼び、転生するか元の世界に生き返るかを選んで頂くのですが。永遠に事故に巻き込まれているので、すぐにここに呼べなかったどころか、体の原型どころか、周囲の景観ごと跡形もなくなってしまい⋯⋯。もう元の世界にあなたを戻して差し上げることが出来なくなりました。お詫びの仕様がありません。大変、申し訳ございませんッ」
唖然として言葉が出てこない。呆れ、とも諦めにも近いかもしれない。これが夢ならなんて哀れな夢だろう。だがこれは現実らしい。あの速度の車に轢かれた時点で、無事ではないだろう。
「私以外の神は即刻主神により消滅させられました。私しかもう存在していませんが、謝罪を」
「いやもういいですよ。謝らないで下さい。許しても、俺は戻れないんですよね」
「はい」
艾理は相変わらず表情のわかりづらい女神の謝罪を断り、腕を組んで俯いた。
(まあ、あのままあの世界で生きていても何も良い事は無かった気がする。何が楽しいんだか悲しいんだかわからない世界で、誰かと関わらないと生きていけない世界でずっと誰とも関わらず生きたいだなんて、のたまいながら生きるなら)
艾理は女神に控え目に微笑んだ。
「状況はわかりました。俺は転生するんですね?」
「っ、はい。そうです」
「ですよね。転生先の姿とか、人種とか生き方は決めれるんですか?」
「はい。冒険者とか勇者とかが人気です」
「ってかどんな世界ですか?まあ今のでだいたい予想は出来ましたけど」
女神は再度申し訳なさそうにしながら、手を胸の前で合わせた。
「申し訳ございません。転生後の世界の事を詳しく説明する事は出来ません。しかし、そうですね。あなたには説明する義理はあるかも知れません。こちらの不手際ですから。今からあなたが転生する世界は」
「一つだけ」
「ナーロッ、え?」
「一つだけ質問して良いですか。その方が、考え事が少なく済みそうですから」
「はい。どうぞ」
「海はありますか」
艾理は真っ直ぐ、女神のベール越しの瞳を見据えながらそう尋ねた。女神は艾理の言葉に少々呆気に取られたようで、すっとんきょうな声で、
「海、ですか」
と問い返した。
「はい。海です」
「ございます。魚もイルカもおりますよ。イカもタコも。あ、ハマグリも」
「美味しいですよねじゃなくて」
「サザエにロブスター、あ、えへ。海はありますよ。それが質問ですか」
「はい。なら、俺、なりたい転生先があります」
「ほう。なんなりと」
握り拳を固めながら、艾理は力強くしっかりとその名を発した。
「マッコウクジラです」
「左様でございますか。マッコウクジラですねかしこまりマッコウクジラ⁇」
「はい。マッコウクジラです。いますよね」
「は、はい存在しております」
「じゃあ早速お願いします」
「へ、へえ。はぁい」
実は、この時点で2人にズレが生じていた。艾理は転生先の海中生活への物思いに耽、ヘンダルはヘンダルで、艾理の訳わからん注文に悩んでいた。
「は?マッコウクジラ?冒険者とか勇者とか選択肢を耳にしといてマッコウクジラ?なんで?まだイルカなら可愛くない?いや、そもそも「海はありますか」って何?サーフィンが趣味なのかな、ああ見えて。いや、違う。あれは多分、マッコウクジラの亜人、が正解ね。恐らく彼も選択肢は数あれど全て人間ではある筈。そうですわ、亜人に決まってますわ。けどマッコウクジラの亜人なんて今まで居たかしら。まあ良いか。一応合ってるか本人に聞かないとですね。あの」
「生まれ変わったら、マッコウクジラになろう。彼に名前が似ていると言われてからずっと気になってる動物だからな。いつか付けっぱなしのテレビで流れていた動物番組でマッコウクジラの特集をやってて見た事あるし、ある程度生き方も知ってる。どこまでも広い海と深い海を泳いで暮らすんだ。彼が似ていると小馬鹿にしてきたあの動物になって、新しい人生を生きよう。鯨生、かな。うん。生まれ変われるんだ。今度は人と接しずに、エコロケで。あ、前世の記憶は引き継ぐのかな。聞いてみるか。ん?ヘンダルさん何か喋ってるな。はい?」
この両者の独り言の最後の言葉が、最悪のタイミングで合わさる。
「あの、マッコウクジラの亜人で合っていますか」
「はい」
そしてその問答が、この空間に刻まれた転生の儀を発動させてしまった。
「ん?ヘンダルさんなんて言いました?」
「ああ、まずい起動したッ。空間も急激に閉じ始めた‼︎あわわわ止めないと、間に合わない⁈」
「あのう、ヘンダルさん?なんか急に空間が縮小してません?」
「ま、まあ、亜人で合っているに決まってますわよね。艾理さん」
「はい?」
空間が急激に閉じ、艾理の意識が飛ぶその刹那。ヘンダルは艾理の肩を叩き笑顔でこう言った。
「では、良きマッコウクジラ亜人ライフを~♪」
「へ?」
艾理は渾身の疑問符を発しながら、完全に意識を飛ばした。
続く。




