真向 艾理の半生
なあ、上に表示されてる俺の名前読んだか?
酷い名前だよな。
俺の名前、
真向 艾理
真向は良いよ。
艾理ィ⋯⋯?
もぐりって、明るい意味合いの言葉じゃないだろ。法を犯す人とか、無資格無免許で仕事する人とか、潜入している人とか。俺の両親はどう気が触れたらこんな意味合いを持つ言葉を息子に名付けるんだ。まぁ一応、由来はあるらしい。
母が俺を妊娠中に具合を悪くした時に蓬の葉の薬を飲んだら治ったんだと。で、きっとこの子には蓬に縁があるだろうと、蓬の別の漢字の「艾」に、理解のある人に育って欲しいと「理」の字を付けて艾理と。うん、あのさぁ⋯⋯
『蓬』
で良いだろ。真向 蓬ならまだ格好良いまであるだろ。で、この名前と俺自身の性格のせいでさ、色々思うことあるんだ。
名は体を表すやらなんとやら。上記で半ばキレた感じ出したけど実際、俺はモグリだと思う。どこに属するでも無く、その様子は八方美人という言葉も当てはまるかも知れない。誰にも本心は明かさないし、ろくに言葉も交わさない。挨拶もこちらからはしない始末。親友と呼べる存在は居ないし、今は友人と呼べる存在も居ない。誰とも群れる事無く、スクールカーストの最下層で文字通り潜っている。
進級してクラスが替われば、最初は声を掛けてくれる人もチラホラいる。だが、当たり障りの無い俺の言葉に、彼らも次第に俺から距離を置くようになる。何度か虐めのターゲットになりかけたが、その兆候すら無視していたら、言葉が可笑しいかも知れないが、いじめっ子すら寄り付かなくなった。
けれど、
昔からこんな感じな訳では無かった。
◇ ◇ ◇
小学生低学年の頃。夏休み前にとある転入生がクラスに加わった。彼は色白で細身の大人しめな子で、いつも本を読んでいた。何が理由で転入して来たのかは記憶に無いが、あの年頃の子が居る家族なら、親の転勤が理由だろう。転入してしばらくは、俺も彼に特に関わる事は無かった。
ある日、彼は席の近くを通りかかった俺に急に話しかけてきた。
「君はあれだな。マッコウクジラみたいな名前してるな」
「は?なんて?」
彼は呆気に取られている俺の表情に鼻で笑った。俺はそんな彼の態度に若干苛つきを覚えた。彼の机に片手を乗せ、上から彼を睨み付けた。
「急に話しかけてきて何笑ってんだよ。意味わかんねぇ」
「すまない。いや、初めて名簿を見た時から思っていたんだが。マコウモグリ?だっけか」
「ああ。そうだけど。それが?」
「これだよ」
彼は机の上で窮屈そうに広げられている大きな動物図鑑のとあるページを指差した。
「何これ。魚?」
「君本気で言ってる?」
「知らねぇよ、俺本読まないし」
「そっか」
今思えば、本を読まない、という俺の発言を嘲笑しなかった読本家の彼は優しい人だったのだろう。もしくは⋯⋯
「これはね、マッコウクジラってクジラだよ。深海という、とても深い海に潜る事が出来るんだ。君の名前にピッタリだろう?」
「マッコウで、潜りってか?はあ。まあ確かに」
彼は得意げに下のコラムを指差す。そこにはマッコウクジラとダイオウイカの挿絵が描かれていた。
「マッコウクジラは深海であのダイオウイカを捕食するんだよっ。凄くないかあのダイオウイカをだよ!」
「ダイオウイカ?スーパーのイカ売り場で見た事無いな」
「あはははっ、売ってたら食べてみたいね。けど一説によればアンモニア臭が強くてとても食えたもんじゃ無いらしい」
「ダイベンジョウイカだな」
「失礼だな、イカの大王だよ」
「俺そんな臭いの食べたくないけどな」
「⋯⋯」
「⋯⋯ふっ」
「ははっ」
「あははは‼︎」
彼と俺はそんな些細な会話で笑い合い、その日に親しくなった。彼はそのまま図鑑をめくり、俺に様々な海洋生物や陸上動物の話をわかりやすく、それでいて面白く、何より俺と同じ目線で聞かせてくれた。本を自分で読まない俺にとって、本を読めと口煩い親や先生と違い、そんな彼の話は何よりもためになった。その日は、見回りの先生に声をかけられ、夕方5時の市内放送を聞きながら学校を後にした。
その日の帰り道。
「は?この図鑑、自分のなの?」
「そうさ。親が買ってくれるんだ」
「ゲームとかは欲しく無いのか」
「うん、まあね」
「珍しいな」
たまたま通学路が途中まで同じだと発覚した俺達は、一緒に歩いていた。
「もうすぐ夏休みだな。お前はなんか予定あんの?旅行とかさ」
「んー、わかんない。とりあえず宿題して、沢山本を読むかな」
彼は図鑑を両手で大事そうに抱え、口元を微笑ませた。
「君は?」
「俺は、ばあちゃん家。クーラー古くて暑いから嫌なんだよ。蚊が多いし」
「知ってるかい?血を吸う蚊は全部メスなんだよ」
「まじ?」
「まじだよ。卵を育てるために血を吸うんだ。それ以外の期間やオスは普通に蜜を吸うんだ」
「俺めちゃめちゃ刺されるんだよな。モテモテじゃん」
「良い餌なんだよ」
「あ⁈まあ蚊に好かれてもな」
「あははは、だろう?」
彼は歩道橋の手前で足を止めた。
「僕、ここ渡るから」
「そっか。じゃあな」
「うん。また明日」
彼と手を振り、俺は歩き出した。が、すぐに足を止めて振り返り、歩道橋を見上げた。
「あのさあ‼︎」
彼はつま先立ちになり、手すりギリギリからこちらを見下ろした。
「何?」
「夏休み暇ならさ、俺に宿題教えてくれよ。お前、頭良いだろ。お前の話も聞きたいし」
彼は数秒黙った後、目元のみでもわかるぐらいの笑みを浮かべた。
「いいよ。まずは海洋哺乳類と魚類の違いからだな」
「それは明日で良いよな。ってか馬鹿にすんな」
「あはははっ」
夏休みの予定がわからない、と応えた時の夕日に照らされた影のある彼の顔は、微笑んでいたが⋯⋯
何処か悲しげで、俺はその時気付いていたはずなのに、何も声を掛けられなかった。どう掛ければ良いかわからなかった。
夏休み中、彼と俺はほぼ毎日会った。待ち合わせは、あの歩道橋の上だ。
艾理少年史上、後にも先にも類を見ない速度で夏休みの宿題は片付いた。何を書いたら良いんだか謎の読書感想文も、半日で済んだ。
宿題が終われば、公民館や図書館、俺の部屋で、彼の話を聞いていた。動物図鑑を読み終われば植物図鑑。図鑑を一通り読み終えれば、児童書を説明してくれた。彼はいつも大人が読むのと変わらない小説や政治書も読んでいたが、俺に説明する類いの本も仕方なく目を通している訳ではなく、彼自身が好んでいるものだった。
ある時、気になって聞いたことがある。
「なんでそんなに本が好きなんだ?」
「本は好きさ。けどね、多分、自分の知らない世界を知れる事自体が面白くて好きなんだ」
「へえ」
「本を読めば、地球中の動物の事や人々の暮らし、考え方や歴史や社会の仕組みを知れる。ファンタジー物も、未知の世界を冒険出来る。そしてそこにも同じように人々の営みがある。読んでも読んでもキリないね」
「はあ。そりゃ、ゲームしてる場合じゃないな」
「へえはあ、しか言わないから話聞いてないのかと思ったら、しっかり聞いてたんだね」
「失礼だな。質問したの俺だぞ」
「あははは。逆に質問して良い?艾理、君は、本が好きかい?」
俺は開いていた有名な外国の長編小説を閉じ、表紙を見つめる。
「うん。まあ、ゲームの方が面白いけど。つまらなくは無いな」
「そっか」
「⋯⋯貸そうか?ゲーム」
「え?」
俺の発言に、彼はビクッと反応し振り向いた。その顔はまた複雑な、嬉しいようなそうで無いような困惑と見れる様子だった。でもそんな事より、俺は彼とゲームが出来るかも知れない期待に胸が弾んでいた。
「いや、遠慮するよ。まだ読んでる途中で先が気になるから」
「ちえっ。ま、今度やろうぜ」
「うん」
今度。
その今度は、来なかった。
夏休み終盤付近で、彼と会う頻度が徐々に減っていった。彼が言うには家の事情らしい。
けれど、俺も気付いていた。毎日会っていたからだ。彼は最初から色白で細い体だったが、夏休み中に段々と痩せていった。些細な会話中に咳をする事も増え、それからは冷房の弱い公民館で会うようにしていた。だが、彼の体調は悪くなる一方だった。
「体調悪いの?風邪?」
そう尋ねても、彼は「大丈夫だよ。夏風邪がこずれたのさ」と笑って誤魔化すだけ。今思えば、もっと問い詰めた方が良かったんだろう。小学生1人に何が出来るか高が知れているが、それでも⋯⋯
「僕、病気になっちゃってさ。もう治らないみたいなんだ」
「⋯⋯は?」
歩道橋の上。久々に会えた彼は目に見えて痩せていた。肌も薄暗く頬がこけ、以前より目が大きく見える。何より、彼の後ろには彼の両親と看護師が立っていた。支えがないと満足に歩けないのだろう。向こう側の歩道橋の下には車椅子を手に持った別の看護師が見えた。小学生低学年の俺でも、彼が現在入院している事は理解出来た。
「艾理、夏休みの宿題、全部終わったかい」
優しく微笑みながらそう尋ねる彼の声は聞いた事が無い程弱く、掠れていた。下を通る車の走行音に掻き消されそうなその声に、胸が痛んだ。いつも楽しそうに本の事を話してくれた彼の声では、もう、無かった。
「ああ、終わったよ。お前のお陰で。本当ありがとな」
「なら良かった。僕も、君にお礼言わなきゃな。ほら、最初の会話覚えて」
「なんだよ。治らないって」
自分から出た声も、聞いたことが無い程、震えて掠れていた。それがどうしようもなく悔しくて、悲しい。非力な自分の声が嫌になり、涙が込み上げる。
「なんだよ。なあ、治らない病気って。なんだよそれ知らないよ」
「ごめん。言ってなかった。まあけど、君には説明してもわからないよ」
「それでも、言えよ」
「ごめん。言おう言おうとは思ってたんだ。けど、そしたらもう、君とは、会えない気がして⋯⋯」
「言えよ‼︎なんだよそれ意味わかんねえ‼︎夏休みの最初から病気治してれば、まだ助かったかも知れないだろッ」
「何も知らないくせに⋯⋯」
「え?」
彼は目を見開き、俺に凄んだ。
「何も知らない癖に偉そうに言うなよ‼︎治らないんだよ最初から。だから僕は、最後に君との夏を選んだんだ」
「ッ⋯⋯」
彼は目から大粒の涙をポロポロと流しながら俺に近付き、手に持っていた大きめな紙袋を渡した。
「これあげるよ。要らないかもだけどさ」
「⋯⋯なに?これ」
「ゲームの次に面白いやつ、だよ」
「はっ。なるほどね」
「大事にして欲しいな」
「うん。するよ」
彼は骨張った細い手を伸ばしてきた。俺はその手を強く握り、握手を交わした。
「病気治せよ。ゲームする約束がまだだから」
「あ⋯⋯そうだね」
「お前が好きそうなやつ買ってもらうからさ」
「頼むよ」
2人は手を離し、
「じゃあね」
と、いつもの別れ際と同じように手を振って別れた。そうすればまた、いつもみたいにこの歩道橋で会える気がしたんだ。
彼は父親に抱き上げられ、看護師とゆっくりと歩道橋を降りていく。俺はその後ろ姿を見ながら袖で涙を拭いた。
「君が真向艾理くんかな」
その時、彼の母親がそう呟いた。その瞬間まで彼の両親に意識が向いていなかったが、今目の前に立っている彼の母親はとてもやつれていた。下手すると彼本人以上に。無理もない。息子が不治の病にかかっているのだから。息子と仲良くしてくれてありがとう、などと言われると予感した俺は、まともに対応しなければと深呼吸して息を整えた。
「は、はい。そうです」
「そうなのね」
「あの、俺」
「なんで」
「え?」
「なんであの子を連れ出したの?」
「え?」
予想だにしない発言に、息が止まる。
冷や汗が鳥肌が悪感が耳鳴りが、止まらない。
「なんで教えてくれなかったの。なぜ止めなかったの。なんで先生に知らせてくれなかったの。なんで」
「お前のせいだッ。あの子の命を返せ、人殺し人殺し、人殺しッッッ‼︎‼︎」
「いや、ち、ちが、俺」
「人殺しッ‼︎‼︎‼︎‼︎」
その後、どう家まで帰ったかは覚えていない。
夏休み明けの日、彼の姿は無く、
翌日、彼の訃報が届いた。
死因は述べられず。クラスで関わり合いの無かった奴らも、同級生が亡くなったとあれば思う所はあったのだろう。唖然とする教室の中、何故か涙する人も居たが、俺は何も感じなかった。
葬式も親族のみで執り行われたらしい。正直、助かった。彼の親とどう会えば良いか見当もつかない。
「真向、お前あいつと仲良かったよな」
「うん」
クラスの賑やかしい連中に声を掛けられた。
「死因知ってたら教えてくれよ。こっそりさ」
「は?」
彼らからしたら、ゴシップ感覚なのだろう。話を聞いていた委員長キャラの女子が止めに入るが、賑やかしい彼の取り巻きがそれを邪魔する。
「なあ、教えてくれよ。俺らもちゃんと喪に服したいからさ」
「そうだよ。知ってんだろ?教えろよ」
「な⋯⋯」
「あ何?声小さ。なんて?」
「ふざけんな。お前らに何がわかんだ。何処にヘラヘラする話があった」
「は?おい、こいつ会話出来ないみたいだぜ。あいつと一緒に本ばっか読んでがッッ」
ドガッ‼︎‼︎
言葉より先に、手が出ていた。
せっかく彼に様々な言葉を教わったというのに。彼が見たら、苦笑いするだろう。
それ以降、
俺は人に話を振るのも、人の話を聞くのも最低限。出来るだけ仲を深めないように、当たり障り無いやり取りを心掛けるようになった。
心を開いた相手が突然いなくなるのも、
心を開いたつもりつもりになってしまうのも
もう、嫌だから。
あの日あの時、彼にこう聞いていればこうしていれば。たらればの自問自答をずっと繰り返して、ここまで生きてきた。
俺の心は今もまだ、あの夕焼け小焼けの歩道橋でどうしようもなく震えながら立ち尽くしている。
そしてあの日彼から受け取った紙袋も、開けれずに押し入れの奥にしまっている。俺は、受け取って良かったのだろうか。彼は本当に、俺の事を、友達と⋯⋯
◇ ◇ ◇
「心は深い深い深海に潜ったまま。なんてな」
その日、俺は高校から帰宅途中にボールペンの替えを買いに本屋に寄っていた。明日から夏休みに入るので、クーラーの効いた部屋から極力出なくて良いようにこの帰路で必要なものを買い揃えにきたのだ。
必要なものをひとしきり手に取り、レジの待機列に並ぶ。レジ前の一目に一番付く売り出しコーナーには、児童用の課題図書の売り場や旅行雑誌の売り場が作られて何人かの客も目を通していた。
「課題図書、か」
夏休みとなると、あの日から否が応でも彼との夏を思い出す。一緒に課題図書を読んで、読書感想文の書き方を教わった事。沖縄などの南の海が綺麗に見える自然の不思議。今思えば、彼はどんな気持ちで沖縄の話をしていたのだろう。楽しそうに話していた記憶はあるが、彼の本当の気持ちまでは今となってはわからない。
「そういえば名前、忘れちゃったな」
『知ってるかい?人は嫌な記憶を無意識に消そうとするんだってさ。一種の防衛本能だよ』
『へぇ。だから勉強しても全部忘れるんだな俺』
『あははは。でもさ、ならトラウマってあるだろ?あれを忘れないのは⋯⋯』
「お待ちのお客様2番レジへどうぞ」
「あ、はい」
考え事をしていた俺は、レジの人の声にしばらく気付かなかったみたいだ。会計を済ませて本屋を後にした。冷房の効いた店内から外に出ると、蒸し暑い夕方の世界に戻された。あの頃も、児童館や図書館から出たらこんな感じだった気がする。昔の方がまだ涼しかった気がするが。
もう一つ変わった事と言えば、街の再開発だろう。人口の増加に合わせて、駅ビルの改装に始まり、畑を住宅地に変え、幹線道路に接続する道路も工事中だ。
あの歩道橋も、道路の本線増設により今年中に取り壊されるらしい。
「全部変わって、そんで全部忘れるんだろうな。まあでも、そんなもんか。でも」
俺は歩道橋を見上げる。背は伸びたが、あの日と変わらず歩道橋は見上げるしか出来ない。だから、このままこの階段を駆け上がれば、彼がいて、また会える気がするんだ。
そうしたら、俺は彼にまずは「ごめん」って謝る。で、聞きたいんだ。
『俺と一緒に居て、本当に楽しかったか』
その疑念は、気持ちはもう口に出す事は出来ない。なんせ彼はもうこの世に居ないのだから。燻んだこの気持ちは重く冷たく、心の奥底に沈んでいく。
潜って、潜って、潜って。
「俺も死んだら、あの世でまた直接話せるのかな。なんてな」
俺は歩道橋から離れ、再開発工事中の商業ビルの横を歩く。帰宅ラッシュで人通りの多い道を、ながらスマホしながら歩く。それにしても暑い。早く帰ってシャワーを浴びたい。
その時だった。
「だああああ、危ない‼︎‼︎」
ながらスマホをしていた俺は、周囲の悲鳴を上げながら逃げ惑う人々から一手遅れてその騒動に気付いた。
「そこの車、止まりなさい止まりなさ、うわあああマジで止まりなさい‼︎そこの人、危ない‼︎」
「へ」
俺の目の前に、パトカーに追いかけられ急ハンドルを切り制御を失った速度違反車が突如として現れた。そしてガードレールをつっき抜け歩道に突っ込み、速度失う事無く、俺に激突した。
「がっ⁈⁈⁈」
俺は激突された衝撃で商業ビルの方へ飛ばされた。
結果、
即死した。
続く。




