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第8話 私と戦いなさい!

公園の奥に立っていた健人は、美咲と陽菜の姿を見つけると、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


「……美咲」


その声は、以前と変わらなかった。


穏やかで、どこか懐かしい響きを含んでいた。


けれど今の美咲には、その声がひどく不快に聞こえた。


健人は美咲の前で足を止める。


そして、陽菜を見る。


一瞬だけ、健人の目が細くなった。


「……なんで陽菜までいるんだ?」


陽菜の身体が小さく強張る。


美咲は一歩前に出て、陽菜を自分の後ろにかばった。


「私が連れてきたの」


健人は小さく息を吐いた。


「……で、何しに来たんだ」


美咲は健人をまっすぐ見つめた。


「話し合いに来たわけじゃない」


健人の眉が、わずかに動く。


「じゃあ、何しに来た?」


少しの沈黙が落ちる。


夜風が公園の木々を揺らし、葉擦れの音だけが二人の間を流れていった。


美咲はその音を聞きながら、ゆっくりと口を開いた。


「妹に手を出したでしょ」


健人の表情が変わった。 


「……何の話だ?」


「とぼけないで」


「知らねぇよ」


声のトーンが低く落ちる。


陽菜の肩がびくっと震える。美咲は動かなかった。


「陽菜から全部聞いた」


「全部?」


健人は肩をすくめて見せた。


「何を聞いたってんだよ」


美咲は彼から目を逸らさず、静かに言った。


「公園で陽菜を押し倒したこと」


健人の目が細くなる。笑みが、ゆっくりと消えていった。


「……陽菜が、そう言ったのか」


「そうだよ」


美咲の声は静かだった。


「怖かったって」


健人は黙った。美咲は続ける。


「あなたに腕を掴まれて、押し倒されて、逃げたって」


「……違う」


「何が違うの?」


「そんなつもりじゃなかった」


「じゃあ、どんなつもりだったの?」


健人は答えられなかった。


その沈黙が、美咲には何よりも答えに見えた。


陽菜が美咲の背中越しに口を開く。 


「……私、怖かった」


健人が陽菜を見る。


「陽菜……」


「健人はもう私に近づかないで!」


陽菜の声は震えていた。


それでも、はっきりと言った。


健人の顔から、少しずつ余裕が消えていく。


「俺は美咲のことが好きなんだよ」


美咲は冷たく見つめ返した。


「だったら、なんで陽菜に近づいたの?」


健人は黙った。


「私と別れたあと、陽菜に連絡したよね」


「それは……」


「優しくして、安心させて、信用させて」


美咲の声が少しずつ低くなる。


「そのあと、何をしたの?」


健人は答えない。


美咲は一歩近づいた。


「私がいなくなったら、陽菜に近づいていいと思った?」


「違う!」


「何が違うの?」


「お前が俺を捨てたからだろ!」


その言葉が、夜の公園に響いた。


陽菜が息を呑む。健人は荒い息を吐きながら、美咲を睨んだ。


「俺はお前に捨てられたんだぞ」


「だから?」


美咲は動じなかった。


「だから妹に手を出していい理由になるの?」


「……」


「ならないよね!」


美咲の声は、静かだった。


健人は舌打ちした。


「じゃあ、どうするんだよ」


美咲は答えなかった。


健人が一歩近づく。距離が、はっきりと縮まる。


「警察にでも行くのか?」


「……」


「俺を訴えるのか?」


美咲は健人の目を見た。


そして、ゆっくりと言った。


「違う」


健人が眉をひそめる。 


「じゃあ何だよ」


美咲は赤いカーディガンの袖を握りしめた。


胸の奥で、これまで抑えてきたものが、音を立てて弾けた気がした。


もう、言葉だけでは終わらない。


この男の「女は弱い」という目を、この場で否定したかった。


「私と戦いなさい」


「……は?」 


健人の顔に、呆れたような笑みが浮かぶ。


「お前、本気で言ってるのか?」


「本気だよ」


「俺と?」


「そう」


健人は美咲の身体を上から下まで見て、鼻で笑った。


「女相手に?」


その瞬間、美咲の目が鋭くなる。


「……女相手だよ」


一歩、前へ出る。


「それが何?」


健人の笑みが消えた。


陽菜が美咲の背中を見つめる。


その姿は、もう以前の姉ではなかった。


怖がりながらも、それでも前に立っている。


陽菜は小さく拳を握った。


「……姉ちゃん」


美咲は振り返らなかった。


ただ、健人だけを見ていた。


「あなたは、最後まで女を見下してる」


「何言ってんだよ」


「私だから勝てないと思ってる。


女だから、怖がって逃げると思ってる」 


健人は黙った。


「違うよ」


美咲は拳を握った。


「私はもう、逃げない」


夜風が吹き抜ける。


赤いカーディガンの裾が、大きく揺れた。


健人がゆっくり拳を握る。


「……後悔するぞ」


美咲はその拳を見つめ、それから健人の目を見る。


「後悔するのは、あなた」


静かな声だった。


けれど、その言葉には一切の迷いがなかった。


美咲は構えた。陽菜が一歩だけ後ろへ下がる。


健人も構える。


夜の公園から、すべての音が消えたように感じた。


二人の間に、張り詰めた空気が流れる。


美咲は拳を握り直した。


そして、健人をまっすぐ睨みつけた。


「……来なさい」


その瞬間、健人が地面を蹴った。

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