第6話 姉の覚悟
妹の陽菜からすべてを聞き終えたとき、美咲の内側で何かが、音を立てて折れた。
リビングに座ったまま、美咲は長い時間、動かなかった。
陽菜はすでに自分の部屋に戻り、扉の向こうで小さく泣いている気配がする。
美咲はそれすら、今は追うことができなかった。
頭の中で、健人の顔が何度も浮かぶ。
かつての優しそうな笑顔。
別れ際に腕を掴んできた力。
そして、妹を押し倒したという事実が、繰り返し蘇ってくる。
美咲はゆっくりとスマホを手に取った。
既読無視にしていた健人の番号を、久しぶりに開く。
新しいメッセージを打つ指は、意外なほど落ち着いていた。
怒りが喉の奥で熱く渦を巻いているのに、画面を見つめる目は静かだった。
『健人。少し、話せる?』
送信ボタンを押す。
数分後、既読がつく。
すぐに返信が来た。
『美咲? 急にどうした。何かあった?』
美咲は画面を見たまま、深く息を吸った。
それでも、打つ文字はわざと柔らかくした。
『最近、ちょっと疲れてて。あなたと話したくなった。昔みたいに』
既読。入力中の表示が長く続く。
『……本当に? 急にそんなこと言われても、正直戸惑うよ』
美咲の唇が、小さく歪んだ。
甘い声で誘うような文面を、さらに重ねる。
『うん。今夜、いつもの公園で。人の少ないところで、ゆっくり話したい。いい?』
少し間が空いてから、返信が来た。
『……分かった。時間は?』
『九時。待ってる』
送信を終えると、美咲はスマホをテーブルに置いた。
画面が暗くなる。
その暗いガラスに、自分の顔が薄く映っていた。
目元は静かだった。
口元も、ほとんど動いていない。
けれど、胸の奥では、真っ赤な怒りが静かに、しかし確かに燃え続けていた。
美咲は立ち上がり、陽菜の部屋の前まで歩いた。
扉に耳を寄せると、まだ小さく泣く声がする。
「……先に寝てて」
短い声だけかけて、美咲は離れた。
リビングに戻り、椅子に座ったまま、しばらく天井を見つめていた。
夜の九時まで、あと数時間。
その時間をどう過ごすべきか、考えることさえできなかった。
ただ、胸の奥で燃え続ける怒りだけが、はっきりと感じられた。
やがて美咲は立ち上がり、自分の部屋へ向かった。
クローゼットを開け、赤いカーディガンを取り出す。
袖を通すと、いつもの感触が指先に伝わる。
鏡の前に立ち、ゆっくりと羽織り直した。
そこに映っている自分の顔は、静かだった。
「……来いよ」
誰もいない部屋で、美咲は小さく呟いた。
甘い声色ではなく、低く冷たい声だった。




