第5話 その優しさは嘘だった
妹の陽菜が健人を「少しは信用してもいいのかもしれない」と思い始めていたのは、事実だった。
別れてから何度かやり取りをするうちに、健人のメッセージは以前より柔らかくなっていた。
姉の悪口も言わなくなり、「お前が無理しなくていいように」と気を遣うような文面が増えた。
陽菜は警戒心を少しずつ解いていった。
「今度、昼間の公園で少しだけ話さない?人の多いところで」
そう提案したのは陽菜の方だった。
人目のある場所なら少しくらい会話をしても大丈夫だと思った。
約束の日、陽菜は放課後に近所の公園へ向かった。
午後の光が差し、ごく普通の風景。
ただ、この日は公園に誰もいなかった。
健人はすでにベンチに座っていて、陽菜を見つけると穏やかに手を挙げた。
最初の十五分は、本当に普通の話だった。
学校のこと、最近見た映画のこと。
健人は笑って聞いてくれた。陽菜も、気づけば肩の力が抜けていた。
「……美咲とは、もう本当に終わりなんだな」
健人がぽつりと言ったとき、陽菜は小さく頷いた。
「姉ちゃんも、もう連絡してないって」
さっきまで浮かべていた穏やかな笑顔が消える。
「……そうか」
声の温度まで変わっていた。
陽菜は眉を寄せる。
「健人さん?」
健人は答えなかった。
ただ、陽菜をじっと見ていた。
その視線に、陽菜は初めて違和感を覚えた。
さっきまでの優しい目ではない。
何かを確かめるような、冷たい目だった。
「じゃあ……」
健人がゆっくり立ち上がる。
「もう邪魔する奴はいないってことだよな」
陽菜が「え?」と声を上げた次の瞬間、健人の手が伸びて陽菜の腕を強く掴んだ。
力が一気に強くなる。
陽菜が立ち上がろうとしたところを、健人は体を寄せて押し倒した。
背中が冷たい土の上に落ち、視界が空と健人の顔で埋まる。
「ちょっ……離して!」
陽菜は両手で胸を押した。
健人はそれを押さえ込み、顔を近づけてくる。
呼吸がかかる距離。以前の優しい声色は、もうどこにもなかった。
「お前、最初から分かってたろ。俺が何したいか」
陽菜は膝を上げて健人の体を蹴ろうとした。
健人の体勢がわずかに崩れた隙に、陽菜は横に転がり、地面を這うようにして距離を取る。
服が土で汚れ、手が痛み、呼吸が喉に引っかかる。
「助けて……!」
遠くにいた人がこちらを見て立ち上がったのが見えた。
健人は舌打ちをすると、一瞬だけ陽菜を睨みつけ、そのまま公園の外へ歩いて消えた。
陽菜はその場に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
腕に残る指の跡が熱い。
土の感触と、健人の重みが、まだ体に張り付いている。
家に帰るまでの道を、陽菜はほとんど覚えていなかった。
玄関を開けたとき、美咲がちょうどリビングから顔を出した。
「おかえり。……陽菜?」
陽菜の顔を見た瞬間、美咲の表情が凍りついた。
陽菜の唇が、小さく、震えた。
「姉ちゃん……。健人さんに、襲われた」




