第5話 文化祭実行委員
二学期に入り、クラスでは文化祭の出し物決めが始まった。
黒板に候補が並び、多数決で決めようという流れになったところで、担任が急に「実行委員をじゃんけんで決める」と言い出した。負けたのは、陸と茜の二人だった。
「なんで私まで......」
不満そうにぼやく茜に、担任は笑って付け加えた。
「相楽くんと息ぴったりだったから」
二人揃って言葉を失った。クラス中がどっと沸いた。
委員会の初日、話し合いは難航した。
「お化け屋敷がいいって、みんな言ってるだろ」
「幼稚。喫茶店の方が絶対無難で人が来る」
意見がぶつかり合うたび、茜は容赦なく陸の案を切り捨てた。だが放課後の準備作業になると、誰よりも率先して段ボールを運び、装飾を仕上げていくのも茜だった。
「そんなに嫌いなら、無理しなくていいのに」
陸が言うと、茜は手を止めずに答えた。
「嫌々やってるわけじゃない。任された以上、中途半端にするのが嫌なだけ」
その横顔は真剣そのもので、陸は思わず見入ってしまった。
作業を分担する中で、茜は誰よりも細かい部分にこだわった。メニュー表の文字の大きさ、装飾の配色、テーブルの配置まで、何度も見直しては書き直す。
「そこまでやらなくても」
陸が言うと、茜は真顔で返した。
「中途半端が一番嫌い。やるなら最後まで、ちゃんとやる」
その言葉には、彼女の生き方そのものが表れているようだった。
準備が進むにつれ、クラス内の役割分担も自然と定まっていった。力仕事は男子、細かい装飾は器用な女子、看板作りは絵の得意な生徒。その中で、陸と茜は自然と二人で作業する時間が増えていった。
ある放課後、教室の隅で布に絵の具を塗っていた茜が、うっかり筆を落として自分の手に絵の具をつけてしまった。
「あ......」
「貸してみろ」
陸は近くにあったウェットティッシュを取り、茜の手を軽く拭いてやった。触れた瞬間、茜の肩がぴくりと跳ねる。
「じ、自分でできるから」
「じっとしてろって。絵の具、乾く前に取らないと落ちにくいんだよ」
子供の頃、よく茜の汚れた手を拭いてやっていた記憶が、自然と体に染みついていたのかもしれない。茜は何も言わず、されるがままになっていた。頬がほんのり赤らんでいるのを、陸は気づかないふりをした。
ある夜、準備が長引き、二人だけが教室に残ることになった。窓の外はすっかり暗くなり、蛍光灯の下で作業する茜の額に汗が光っていた。
「疲れたろ、少し休めば」
陸が椅子を差し出すと、茜は珍しく素直に座り、小さくため息をついた。
「......ありがと」
聞き取れないほど小さな声だったが、確かにそう言った。
自販機で買った缶コーヒーを二人で分け合いながら、しばらく他愛のない話が続いた。昔飼っていた犬のこと、苦手な食べ物のこと、将来の進路のこと。
「陸、将来何になりたいの」
「まだ全然決まってない。桜庭は?」
「私も。......でも、海外にいたとき、ずっと日本に帰ってからのこと考えてた。帰ったら、何しようとか、誰に会おうとか」
「誰に会おう、って」
「べ、別に。あんたのことじゃないから」
言い訳がましく否定する声のトーンで、逆にその答えが透けて見えるようだった。話しているうちに、茜の口調から少しずつ刺々しさが抜けていくのを、陸は肌で感じ取っていた。
教室の時計が七時を回った頃、ようやく二人は帰り支度を始めた。
「明日も残るのか」
「別に、暇だから付き合ってあげるだけ」
茜はそう言いながらも、隣を歩くペースを陸に合わせていた。街灯の下、二人の影が並んで長く伸びていた。
「なあ」
しばらく歩いたところで、陸が口を開いた。
「もし文化祭、成功したらさ。二人で打ち上げでもするか」
「......別に、いいけど」
茜は素っ気なく答えながらも、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。夜風が二人の間を通り抜けていくのを感じながら、陸は密かに、この時間がもう少し長く続けばいいと思っていた。
文化祭準備の合間、クラス全体でのミーティングが開かれた日のことだった。看板のデザイン案を巡って、男子グループと女子グループの意見が真っ二つに割れてしまった。
「これじゃ収拾つかないって」
困り顔の陸に対し、茜は静かに手を挙げた。
「二つの案、いいとこ取りすればいいんじゃない。看板の上半分はこっちのデザイン、下半分は色使いだけあっちを参考にする」
その提案に、両陣営とも納得の表情を見せた。的確な仲裁に、陸は素直に感心した。
「桜庭、こういうのうまいよな」
「別に、普通のことでしょ」
謙遜する茜だったが、クラスメイトからの信頼は日に日に厚くなっていた。実行委員としての手腕を、誰もが認め始めていた。
放課後の作業も佳境を迎え、教室にはペンキの匂いと賑やかな話し声が満ちていた。その中で、陸と茜だけが黙々と、しかし息の合った様子で看板を仕上げていく。誰に指摘されるでもなく、二人の間には自然な連携が生まれていた。
文化祭一週間前、完成間近だった看板が倒れ、中央に大きな亀裂が入った。
「私が直す」
茜は迷わず言った。
「一人で?」
「実行委員なんだから」
陸は壊れた板の反対側を持った。
「じゃあ俺も実行委員だ」
二人で夜まで修復した。途中、茜は海外で何度も転校し、人に頼るのが苦手になったことを初めて話した。
「自分でやれば、誰にも迷惑かけないから」
「でも今は俺がいる」
言った陸自身が驚いた。
茜は俯き、小さく「そういうこと、簡単に言わないでよ」と呟いた。
翌朝、直った看板を見てクラスが沸いた。陸は、昔の約束ではなく、目の前で頑張る茜に惹かれているのだと気づき始めた。
文化祭前日の夜、最後の準備を終えた教室で、陸と茜は二人きりで最終確認をしていた。
「明日、うまくいくかな」
珍しく不安げな声を漏らす茜に、陸は少し驚いた。
「桜庭でも、そんなこと考えるんだな」
「そりゃ考えるでしょ。実行委員だし......失敗したら、みんなに迷惑かけるし」
窓の外はすっかり暗くなり、教室には二人分の足音だけが響いていた。
「大丈夫だろ。桜庭がここまで準備してきたんだから」
「......あんたも、結構頑張ってたじゃない」
珍しく素直な労いの言葉に、陸は思わず頬が緩んだ。
「明日、成功したら、約束の打ち上げな」
「言われなくても分かってる」
そう言いながらも、茜の口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。教室の窓に映る二人の影が、静かに寄り添っているように見えた。




