第14話 初めての喧嘩
付き合えば、すれ違いが全部なくなるわけではなかった。
きっかけは些細なことだった。
陸が部活の手伝いで帰りが遅くなることを、茜に伝え忘れた。茜は昇降口で四十分待った。スマートフォンには連絡がない。
ようやく現れた陸は、友人たちと笑いながら歩いてきた。
「ごめん、待った?」
「別に」
その一言で、陸もまずいと気づけばよかった。
「先帰っててもよかったのに」
茜の表情が変わった。
「......そう」
「いや、そういう意味じゃ」
「じゃあ私、先帰る」
茜は背を向けた。
陸も疲れていた。追いかけて謝れば済むことなのに、「そこまで怒ることか」と思ってしまった。
「茜!」
「何」
「連絡忘れたのは悪かった。でも、そんな怒る?」
言った瞬間、茜の目が揺れた。
「......怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってない!」
茜は走って帰った。
その夜、二人ともメッセージ画面を開いては閉じた。
陸は『ごめん』と打って消した。何に対して謝るのか分からないまま送るのは違う気がした。
茜も『もういい』と打って消した。本当は全然よくない。
翌日、弁当はなかった。
教室でも会話は最低限。付き合う前のすれ違いが戻ってきたようで、二人とも苦しかった。
昼休み、ひまりが茜の隣へ座った。
「喧嘩した?」
「......した」
「珍しく素直」
「今、そういうのいいから」
「何が嫌だったの?」
茜はしばらく黙った。
「待たされたことじゃない。私が待ってたことを、どうでもいいみたいに言われたのが嫌だった」
口にして初めて、自分でも分かった。
一方、悠人も陸に聞いていた。
「お前、桜庭がなんで怒ったか分かってる?」
「連絡しなかったから」
「半分」
「じゃあ何」
「待ってた時間を『先帰ればよかった』で片づけたからじゃね?」
陸は黙った。
放課後、陸は昇降口で茜を待った。
「昨日、ごめん」
「......何が」
「連絡しなかったこと。それと、待っててくれたのに、先帰ればよかったって言ったこと」
茜が顔を上げた。
「待っててくれたの、ほんとは嬉しかった。なのに疲れてて、変な言い方した」
「私も、ちゃんと言えばよかった。寂しかったって」
「寂しかった?」
「そこ拾わないで!」
陸は笑いそうになったが、今度は堪えた。
「次から連絡する」
「私も、怒ったら理由言う」
「約束?」
「......約束」
指切りをした。
八年前とは違う。子供の結婚の約束ではなく、今の二人が関係を続けるための、小さくて現実的な約束だった。
仲直りをした帰り道、二人はしばらく無言のまま歩いた。気まずさではなく、それぞれが今日の出来事を消化するための静けさだった。
「喧嘩、初めてだったな」
「子供の頃は、しょっちゅうしてた気がするけど」
「あれは喧嘩っていうか、ただの言い合いだろ。今日のは、なんか違った」
「......うん。ちゃんと、傷ついた」
正直な言葉に、陸は少し驚いた。
「でも、ちゃんと仲直りできてよかった」
茜がそう続けると、陸は小さく頷いた。
「これから、こういうことまたあると思う」
「うん」
「そのたびに、ちゃんと言葉にする。俺も、桜庭も」
「......名前」
「え?」
「もう、名前で呼んでよ。桜庭じゃなくて」
陸は一瞬固まり、それから小さく笑った。
「茜」
「......うん」
たったそれだけのことなのに、二人の間の空気が、また一段階近くなった気がした。
家の近くまで来た時、茜がふと足を止めた。
「陸」
「ん」
「今日、ちゃんと言ってくれてありがとう」
「こっちこそ」
夕暮れの住宅街に、二人分の影が並んで伸びていた。喧嘩をして、それでも仲直りできる。そんな当たり前のことが、これほど大切なものだとは、付き合う前には知らなかった。




