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八年前『結婚する』と言った幼馴染が、俺を睨みながら弁当をくれる  作者: 芦名 雅


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第10話 べ、別に嬉しくなんかないから

文化祭の後片付けが終わり、日が傾く頃、教室にはもう陸と茜の二人しか残っていなかった。


「さっきの話の続き、ちゃんと聞かせて」


 陸が切り出すと、茜は椅子に座ったまま、俯いたまま黙り込んだ。


 机を片付ける音も、廊下を歩く生徒たちの声も、いつの間にか遠くに消えていた。夕日が窓から差し込み、埃っぽい教室をオレンジ色に染めている。茜はしばらく自分の指先を見つめたまま、言葉を探しているようだった。


 しばらくの沈黙の後、茜はゆっくりと顔を上げた。目には涙の跡が残っていたが、その表情はどこか吹っ切れたようにも見えた。


「ずっと、意地張ってた。八年前の約束、忘れたふりしてたのも、素直になれなかったのも、全部\...\...怖かったから」


「怖かった?」


「うん。海外から帰ってきて、陸がもう私のこと忘れてたらどうしようって。だから先に、自分から距離を置いた。傷つく前に、諦めたふりしようと思って」


 茜の声が震えていた。


「でも、全然だめだった。弁当作るのも、意地悪言うのも、全部......本当は、もっと近くにいたかったから」


「月島さんと話してる時、本当に嫌だった。でも、それを言ったら、好きだって言ってるのと同じになる気がして、意地でも認めたくなかった。ノートに全部書いてたのも、誰にも言えない分、紙にぶつけるしかなかったから」


 堰を切ったように、茜の本音が次々とあふれ出てきた。教室に差し込む夕日が、その頬を伝う涙をきらきらと照らしていた。


「転校が決まった時も、本当は言いたいことがいっぱいあった。でも、うまく言葉にできなくて、結局あの公園で、あんな子供っぽい約束しかできなかった」


「あの時、ちゃんと『好き』って言えてたら、こんなに遠回りしなくて済んだのかな、って、ずっと思ってた」


 陸はゆっくりと茜の隣に座った。距離を詰めるその動きに、茜の肩がわずかに緊張する。


「俺も似たようなもんだよ。約束思い出した時、すぐ言えばよかったのに、変に格好つけて黙ってた。桜庭が誰かと話してるだけで、勝手にモヤモヤしてた」


 二人は顔を見合わせ、どちらからともなく小さく笑った。張り詰めていた空気が、少しずつほどけていくのが分かった。


「なあ」


 陸は改めて、茜の目をまっすぐに見た。


「もう一度、ちゃんと聞かせて」


 茜は真っ赤な顔のまま、消え入りそうな声で答えた。


「......好き。ずっと、陸のことが好きだった。八年間、ずっと」


 言葉を続けるたび、涙が一粒、また一粒とこぼれ落ちていった。


「だから、返事は......よろしくお願いします」


 言い終えた瞬間、耳まで真っ赤になった茜は、慌てて付け加えた。


「べ、別に、今すごく嬉しいとかそういうんじゃないから!」


「はいはい」


 笑いながら答える陸に、茜は頬を膨らませながらも、その手をそっと握り返した。指先が触れ合うと、二人とも同時に頬を赤らめて、それでも手を離そうとはしなかった。


 窓の外では、文化祭の後片付けを終えた生徒たちの声が、夕焼けの中に響いていた。遠くから吹奏楽部の練習する音が、かすかに聞こえてくる。


「なあ、今度こそ、ちゃんと約束、更新しないか」


 陸が冗談めかして言うと、茜は少し考えるふりをしてから、小さく頷いた。


「......いいけど。今度は、忘れたふりしたら承知しないから」


「約束する」


「指切りする?」


 子供っぽい提案に、陸は思わず噴き出した。


「今さらかよ」


「うるさい、これはけじめだから」


 差し出された小指に、陸は自分の小指を絡めた。八年前と同じ仕草。だが、その意味は、あの頃とはまったく違うものになっていた。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」


 小さな声で歌う茜の横顔に、陸は目を細めた。


「指切った」


 二人の指がそっとほどかれる。窓の外はすっかり茜色に染まり、教室の中を優しい光で満たしていた。


 二人の八年越しの約束は、今度こそ、ちゃんとした形で結ばれたのだった。そして、その約束は、これから始まる新しい日々の、ほんの最初の一歩に過ぎなかった。


 付き合い始めて最初の週末、陸と茜は改めて、あの公園に足を運んだ。八年前と同じベンチに、今度は恋人として並んで座る。


「なんか、変な感じ」


 茜がぽつりと言うと、陸は頷いた。


「確かに。でも、悪くない変な感じだな」


 二人は顔を見合わせて笑った。夕暮れの光が、あの日と同じように、二人を優しく照らしていた。


「これからも、ちゃんと言葉にするようにする。素直じゃないの、直せるかは分からないけど」


 茜が真剣な顔で言うと、陸は小さく笑った。


「無理に直さなくていいよ。桜庭のツンとデレ、両方好きだから」


「べ、別にそんな、恥ずかしいこと言わなくていいから!」


 顔を真っ赤にして反論する茜に、陸はますます笑いを深めた。この調子は、きっとこれからも変わらないだろう。それでいいと、陸は思っていた。


 公園の砂場では、小さな子供たちが無邪気にはしゃいでいた。その姿を眺めながら、茜がふと呟いた。


「私たちも、あんな風だったんだね」


「ああ。八年経って、ちゃんとここに戻ってきたな」


 陸の言葉に、茜は静かに頷いた。差し出された手に、今度は迷わず自分の手を重ねる。夕焼けに染まる公園で、二人の新しい物語が、静かに始まっていた。


 告白のあと、陸は鞄からあの図鑑を取り出した。


「なんで持ってきてるの?」


「これ、俺の名前の隣に茜の名前もあるだろ。俺が八年持って、茜が八年持った。今度は二人で持ってればいい」


 ページの間には四つ葉のクローバーが残っていた。


「これ、陸が見つけてくれたんだよ」


 引っ越し前日、泣く茜へ幼い陸が渡したものだった。


『これ持ってたら、また会えるから』


「......会えたね」


「ああ」


 後日、二人は公園のベンチで小指を絡めた。


「八年前の約束、期限ある?」


「一生」


「重いな」


「嫌なら解約してもいいけど?」


「しない」


 茜は笑った。


「陸。帰ってきてよかった」


「おかえり」


「......ただいま」


 翌朝もきっと、茜は弁当を渡しながら言うのだ。


「べ、別にあんたのためじゃないから」


 陸はもう、その言葉の本当の意味を知っている。


 翌日、教室に入ると、すでに噂は広まっていた。


「相楽と桜庭さん、ついに付き合い始めたらしいよ」


 誰かの声に、茜は真っ赤になって俯いた。


「な、なんでもうバレてるのよ......」


「そりゃ、あれだけ分かりやすかったらね」


 悠人がにやにやしながら茶化してくる。真央もひまりも、我が事のように嬉しそうな顔をしていた。


「おめでとう、二人とも」


 クラス中からの祝福に、陸と茜は照れくさそうに顔を見合わせた。


「これから、色々からかわれそうだな」


「......別に、慣れてるし。今更でしょ」


 そう言いながらも、茜の口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。八年間の空白を経て、ようやく素直になれた二人の物語は、これからも続いていく。教室の窓から差し込む朝日が、二人の新しい門出を静かに祝福していた。


幕間 言葉にしなければ分からない


付き合って一ヶ月。


二人は初めて、本気で喧嘩した。


原因は些細だった。


陸が約束を忘れた。


土曜日、一緒に図書館へ行く約束。


陸は悠人たちに誘われたサッカーへ行き、スマホを見るまで完全に忘れていた。


着信七件。


メッセージ。


『どこ?』


『もう駅着いた』


『陸?』


最後。


『もういい』


血の気が引いた。


陸はすぐ電話した。


出ない。


茜の家へ走った。


玄関前で待っていると、買い物袋を持った茜が帰ってきた。


「茜」


「......何」


「ごめん」


「別に」


その「別に」は、いつものものと違った。


冷たい。


「完全に忘れてた」


「そう」


「本当に悪かった」


「友達と遊ぶ方が楽しかったんでしょ。いいよ」


「違う」


「何が違うの」


茜の目が赤かった。


「一時間待った」


陸は言葉を失った。


「駅で一時間。連絡もなくて。事故でもあったのかと思って、心配して。それで悠人くんの投稿見たら、普通にサッカーしてて」


「......ごめん」


「八年前もそうだった」


「え?」


「待ってた」


茜の声が震えた。


「手紙。連絡。何か来るかもしれないって、ずっと待ってた。住所分からなかったのは私も同じだし、陸が悪いわけじゃないって分かってる。でも......待つの、嫌いなの」


陸は初めて知った。


今日の一時間だけではない。


茜の中で、八年間の「待つ」が重なったのだ。


「ごめん」


三度目。


でも今度は、それだけでは足りない。


「言い訳しない。俺が悪い」


茜は黙っている。


「次から予定入れたらカレンダーに入れる。前日に確認する。もし遅れるなら絶対連絡する」


「......子供みたい」


「子供みたいなミスしたから」


少しだけ、茜の表情が緩んだ。


「でも」


陸は続けた。


「八年前のことは、今から全部埋められるとは思ってない」


茜が顔を上げる。


「待たせた時間をなかったことにはできない。でも、これから待たせないようにはできる」


茜の目から涙が落ちた。


「......そういうこと言うの、ずるい」


「ごめん」


「四回目」


「数えてたのか」


「当たり前」


茜は涙を拭った。


「今日は許さない」


「分かった」


「明日なら許すかもしれない」


「じゃあ明日また謝る」


「五回目はいらない」


「難しいな」


「彼氏なんだから考えなさい」


その日は手をつながなかった。


でも別れ際、茜は言った。


「明日、十時」


「駅?」


「うん」


「絶対行く」


「五分前」


「十分前に行く」


「......じゃあ私も十分前」


翌日。


陸は二十分前に駅へ着いた。


茜はすでにいた。


「早い」


「そっちこそ」


二人は顔を見合わせた。


「昨日はごめん」


「もういい」


今度の「もういい」は、本当に許した声だった。


「図書館行く?」


「その前に」


茜が手を差し出した。


「昨日つながなかったから」


陸は笑った。


「はい」


手をつなぐ。


喧嘩をしないことが仲良しなのではない。


喧嘩しても、戻ってこられること。


八年前の二人にはできなかったことを、今の二人は少しずつ覚えていった。


番外編 はじめてのバレンタインとホワイトデー


付き合い始めてから、二ヶ月が過ぎていた。


 街にはバレンタインの飾り付けが片付けられ、代わりに春の気配を告げる商品が並び始めている。二月十四日、茜は朝から妙にそわそわしていた。


「今日、放課後空いてる?」


 教室でそう尋ねられ、陸は首をかしげた。


「別に予定ないけど。何かあるのか」


「べ、別に。ちょっと渡したいものがあるだけ」


 その言い方だけで、大方の予想はついた。だが、あえて聞かないふりをして、陸は普段通りに授業を受けた。


 放課後、屋上に呼び出された陸を待っていたのは、丁寧にラッピングされた小箱だった。


「これ......」


「手作りチョコ。義理とかじゃないから、間違えないでよね」


 茜は早口でそう付け加えると、視線を逸らした。箱を開けると、不格好ながらも一つ一つ丁寧に成形されたチョコレートが並んでいた。


「不格好とか言うな」


「言ってないでしょ! 顔に出てる!」


「顔じゃなくて、口に出しそうになっただけ」


「同じことでしょ!」


 ひとしきりのやり取りの後、陸は一粒口に運んだ。甘さの中に、ほんの少しビターな風味が混じっている。


「美味い」


「......当たり前でしょ。何回も試作したんだから」


 照れ隠しに強気な口調で言う茜に、陸は思わず笑ってしまった。八年前と変わらない、砂糖の効きすぎた卵焼きを思い出しながら、陸はもう一粒、チョコレートを口に運んだ。


「お返し、ちゃんと考えとくから」


「別に、期待してないし」


「期待してないは嘘だろ、それ」


「う、うるさい」


 屋上に吹く春の予感を含んだ風が、二人の間を優しく通り抜けていった。


 一ヶ月後のホワイトデー、陸は悠人に相談しながら、慣れない手つきでラッピングに挑戦していた。


「お前、意外と不器用だな」


「うるさい。初めてなんだよ、こういうの」


 放課後、陸は茜を昔の公園へ呼び出した。八年前と同じベンチで、少し緊張した面持ちで小箱を差し出す。


「これ、お返し。マカロン、ネットで調べて選んだ」


「......ありがとう」


 箱を開けた茜は、中に添えられた小さなメモに気づいた。「いつも素直じゃないところも含めて、全部好きだ」という一文に、茜の顔が瞬く間に赤く染まった。


「な、なによこれ。恥ずかしいこと書いて」


「桜庭がいつも言えないみたいだから、代わりに書いてみた」


「ば、馬鹿じゃないの......」


 悪態をつきながらも、茜はそのメモを大切そうに小箱の中にしまい込んだ。夕暮れの公園には、二人の穏やかな笑い声が響いていた。


 春が近づく気配の中で、二人の日常は、少しずつ、けれど確かに、新しい季節へと歩み始めていた。八年前の約束から始まった物語は、これからも、二人だけのペースで続いていく。


 教室の隣の席、家に帰る道すがら、休日に訪れる公園のベンチ。特別ではない、けれど大切な場所の一つ一つに、これからも二人の思い出が積み重なっていくのだろう。


「なあ、茜」


「なに」


「来年のバレンタインも、期待していい?」


「......べ、別に。まあ、考えといてあげる」


 素っ気ない返事の奥に、確かな約束の色が滲んでいた。陸はそれ以上何も言わず、ただ隣を歩く茜のペースに、自分の歩幅を合わせ続けた。


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