幕間 ひまりの告白
文化祭まで残り五日。
ひまりは放課後、陸を呼び出した。
場所は校舎裏。
あまりにも告白らしい場所で、陸は着いた瞬間に何となく察した。
「月島」
「まだ何も言ってないよ」
「いや......」
「顔に出てる」
ひまりは笑った。
でも、いつもの軽い笑い方ではなかった。
「私、相楽くんが好き」
真正面から言った。
陸は息を止めた。
分かっていたはずなのに、本人の口から聞くと重さが違う。
「最初はちょっと気になるくらいだった。でも桜庭さんが来て、焦って、取られたくないって思って。それで、本当に好きなんだって分かった」
「月島......」
「返事、聞いていい?」
陸は迷った。
ひまりはいい子だ。
明るい。
話しやすい。
自分を好きだと言ってくれる。
もし茜が帰ってこなかったら。
そんな仮定が一瞬浮かび、陸はすぐに消した。
それは失礼だと思った。
目の前のひまりにも。
そして茜にも。
「ごめん」
ひまりは目を閉じた。
「やっぱり?」
「俺、茜が好きだと思う」
「思う?」
「......好きだ」
口にした瞬間、陸自身が一番驚いた。
誰かに言うことで、曖昧だった気持ちが形になった。
ひまりは数秒黙ったあと、笑った。
「そっか」
声は少し震えていた。
「ごめん」
「二回言わなくていい。惨めになるから」
「悪い」
「三回目」
陸は黙った。
ひまりは空を見上げた。
「悔しいなあ」
「......うん」
「そこ否定しないんだ」
「何て言えばいいんだよ」
「分かんない」
二人とも少し笑った。
ひまりの目には涙が浮かんでいた。
でも泣かなかった。
「ねえ、相楽くん」
「ん?」
「だったらちゃんと告白して」
「え?」
「私を振っておいて、桜庭さんとは『幼馴染だから』で曖昧なままとか許さないから」
「......分かった」
「あと、ノートとか昔の約束とか、そういう答え合わせで決めないでね」
ひまりは真剣な目をした。
「今の桜庭さんを好きなら、今の桜庭さんに言って」
その言葉は、陸の胸に深く刺さった。
八年前の約束。
図鑑。
四つ葉。
全部大切だ。
でも、それだけではない。
文化祭の準備で誰より働く茜。
失敗したくなくて一人で抱え込む茜。
甘味処で真剣にあんみつを選ぶ茜。
英語を褒められて複雑な顔をする茜。
口元を隠さず笑うようになった茜。
今の茜。
「ありがとう、月島」
「お礼言われると腹立つ」
「じゃあ言わない」
「もう言った」
ひまりは涙を指で拭った。
「文化祭、ちゃんと成功させようね」
「ああ」
「桜庭さんには、このこと言わなくていいから」
「いいのか?」
「私から言う」
「え?」
「女同士の話」
翌日の昼休み。
ひまりは茜を階段の踊り場へ呼んだ。
「私、昨日、相楽くんに告白した」
茜の顔から血の気が引いた。
「......返事は?」
ひまりは少し意地悪をしたくなった。
「どうだと思う?」
茜は答えられなかった。
ひまりは、その顔をしばらく見つめたあと、視線を逸らした。
「……今日は、教えない」
「え?」
「私が言った答えを聞いて安心してから動くんじゃ、たぶん意味ないから」
それだけ言って、ひまりは階段を下りていった。
取り残された茜は、手すりを握ったまま動けなかった。
もし、陸がひまりを選んでいたら。
その想像を、今まで何度も途中で打ち消してきた。けれどこの日は、最後まで考えてしまった。
放課後。茜は一人で帰った。
家に着くと、机の奥から八年間の手紙を入れた箱を取り出した。
『会いたい』。『忘れないで』。『帰ったら普通に話したい』。
どれも送れなかった言葉だった。
茜は一番上の封筒を手に取り、しばらく見つめたあと、箱の蓋を閉じた。
「……もう、やめようかな」
口にした瞬間、胸の奥が鋭く痛んだ。
八年前の約束にしがみつくのも、弁当を作るのも、陸が誰と話しているか気にするのも。
陸が幸せなら、それでいい。そう思えたら綺麗だった。
でも、思えなかった。
悔しくて、寂しくて、涙が出た。
それでも茜は翌朝、弁当箱を一つだけ鞄に入れた。陸の分は作らなかった。
学校へ向かう途中で、何度も引き返して作り直したくなった。それでも歩いた。
――好きだからこそ、諦めなければならないこともある。
その覚悟を、茜は初めて本気でしようとしていた。
翌日の昼休み、ひまりが茜の机の横に立った。
「昨日の返事、言うね」
茜は顔を上げられなかった。
「……うん」
「振られた」
茜が顔を上げる。
喜びそうになって、必死で抑えた顔。
ひまりは笑った。
「その顔、失礼」
「ご、ごめん」
「いいよ。私も性格悪いことしたし」
「月島さん......」
「でもね」
ひまりは一歩近づいた。
「私、ちゃんと言ったよ」
茜の表情が固まる。
「八年分あるんでしょ」
「......」
「何もしないで、怖いからって逃げ続けるのは、私に失礼だから」
茜は唇を噛んだ。
「分かってる」
「本当に?」
「分かってる......!」
今にも泣きそうな声だった。
ひまりはそれ以上追い詰めなかった。
「じゃあ、頑張って」
「......なんで応援するの」
「別に応援じゃない」
ひまりは笑った。
「私を振った男が、いつまでもうじうじしてるのがムカつくだけ」
茜はしばらく黙ってから、小さく頭を下げた。
「ありがとう」
「だから応援じゃないって」
二人は初めて、恋敵ではなく、同じ人を本気で好きになった者同士として笑った。
すれ違いが始まった一週間、茜は弁当を作るのをやめた。正確には、作れなかった。朝、いつものように卵を割っても、陸がひまりと話している光景が浮かんで手が止まる。
母親は何も聞かなかった。ただ、二人分並んでいた弁当箱が一つになったことだけを見ていた。
「茜」
「何」
「恋って、相手に勝つことじゃないからね」
包丁を持つ手が止まった。
「急に何」
「独り言」
「意味分かんない」
「そう」
母はそれ以上言わなかった。
茜は悔しかった。ひまりにではない。陸にでもない。何年も好きだったくせに、いざ失うかもしれないと思った途端、逃げることしかできない自分に腹が立った。
その頃、陸も昼休みの机を見ていた。以前なら当然のように置かれた弁当がない。それだけで教室の景色まで違って見える。
「コンビニパン、そんなまずそうに食うやつ初めて見た」
悠人が言った。
「普通だよ」
「桜庭弁当に舌が慣れたんじゃね」
否定しようとして、陸はやめた。
味だけではない。蓋を開ける前のやり取りも、「多く作っただけ」という嘘も、食べ終わったあと茜がちらりと空箱を確認する仕草も、全部込みで昼休みだった。
「なあ悠人」
「ん?」
「幼馴染が他のやつと付き合ったら、普通どう思う?」
「幼馴染による」
「役に立たないな」
「じゃあ質問変えろ。桜庭が誰かと付き合ったら、お前どう思う?」
陸は答えられなかった。
想像しただけで、胸の奥が嫌な形に縮んだ。
悠人はため息をついた。
「それが答えじゃね?」
陸は初めて、自分が何を恐れているのか理解した。八年前の約束がなくなることではない。今の茜が、自分の隣からいなくなることだった。




